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いかなご&レモン

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 前のお宅からいかなごのくぎ煮をいただいた。えっ、もうそんな季節?と思いながらありがたく頂戴する。そうか、明日からもう三月なんだ。今年はイカナゴ漁の解禁日が早かったそうである。前のお宅の奥様は、毎年その日を待ちかねるようにしてくぎ煮作りをされる。大量に煮て、遠方の親類や知人に送られるそうだ。Opaにもいただくことすでに何十年にもなる。まさに兼好法師のいう、ものくるるよき友である。先週までの寒さがうそのように暖かい。つめたい風に早春賦を思い出す季節なのに、今年はそれがあたらないのか。夕食にはさっそくくぎ煮をいただこう。あたたかいご飯にのっけるとうまい、定番である。朝食にはくぎ煮をたっぷりのせた食パンを二つ折りにして食べる。これもまたうまい。それにボール一杯の生野菜、ベーコン、ゆで卵、バナナ一本、ヨーグルト、さらに野菜ジュース、これって朝から食べ過ぎかなあ。昼になってもなかなかお腹がすきません。ドンと夕方の散歩にでる。関空が少しかすんで見える。いかにものどかな春の海である。ドンとOpaは共に三月生まれ、まもなく仲良く年をとる老犬と老人。今夜は春一番の大荒れになると、テレビがいうている。あわてて収穫したレモン、さてどうしたものか。

by mizzo301 | 2018-02-28 21:13 | エッセイ | Comments(0)

牡蠣の季節に

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 貝毒が発生しています。海岸でとったアサリなどの貝類を食べてはいけません、と町内の拡声器が呼びかけている。毎年春になると、決まって流れる市役所からの警報である。今年はそれがえらく早い。そのせいで近くの漁港で開業したばかりの牡蠣小屋が営業中止になった。大阪湾では初めて地元養殖の牡蠣を食べられるというめずらしさもあって、けっこうな人気を呼んでいただけに残念である。実は先週、車にドンをのせてその場所を見物にいった。あいにくの雨にもかかわらず、そこはにぎわっていた。漁協の出す店だけあって、漁師のおいやんが牡蠣を焼き、その奥さんや娘さんとおぼしき女性たちが、かいがいしく注文をとっている。ぷりんぷりんの牡蠣はじつにうまそうではあったが、あほうなOpaは朝飯を食べ過ぎて、お腹に試食のゆとりがない。文字通りの見物である。少子高齢化による漁業の衰退を防ぐために立ち上げた事業の一環であるという。最寄りの駅から徒歩五分、我が家からは車で10分、地の利はいい。電車で来たらビールも飲めるよ。よし、来週は朝飯抜きで食べにこよう、とOpaが決めた矢先の突然営業中止である。とても残念。意気込みの出鼻をくじかれたかたちの当事者のみなさんも、さぞ落胆していることだろう。再開の日が待ち遠しい。

by mizzo301 | 2018-02-19 12:54 | エッセイ | Comments(0)

あまりにも突然に

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 昭和21年の春、Opaは小学校に入学した。毎朝あたまが痛い、腹が痛いと泣きべそで仮病をうったえて、学校へ行きたがらない新入生であった。母はそんなOpaに手をやいて、毎朝引きたてるように学校へ連れて行かねばならなかった。ついに思いあまった母は、近所に住む5年生の少年S君に、登校時にOpaを誘ってやってほしいと頼み込んだ。はたしてS少年の卒業までの二年間、彼は一日も欠かさずOpaを誘って登校してくれた。それだけではない。小川で網を使って小魚を追い、山では鳥もちでメジロを追うなど、あらゆる遊びに誘ってくれた。時には産業道路の道ばたにへたりこみ、進駐軍の車列を待って米兵のなげるガムを拾ったこともある。そんな時はなにもできないOpaにも、ガムを半分にちぎって分けてくれた。Opaは彼をSちゃんと呼んで慕った。そんなある日、学校で火事騒ぎがあった。みんな我先に教室から逃げ出した。Opaは気が動顛してランドセルをかかえて教室を出たが、なにかの弾みに階段の上で教科書やノート、筆箱など中身をぶちまけてしまった。恐怖のあまりにそれらを拾うこともできず、その場にひとり取り残されて泣きわめいていた。そこへ大きな声でOpaの名前を呼びながら、Sちゃんが階段を駆け上がって来てくれたのである。彼は手際よく散らばったものをかき集めてランドセルに収め、Opaの手をひいてごった返す正門をさけ、トイレのマンホールがならぶ秘密の通路から外へ連れ出してくれた。まさに救いの神様であった。その時の安堵感はいまだに忘れることができない。互いに成人してからは理髪店を営む彼をたまに訪れて、酒を酌み交わしながら終戦直後の少年時代をなつかしく語り合うのが、ここ何十年の二人の楽しみとなっていた。今朝、Sさんの奥さんから思いがけない電話があった。実はSは1月10日に82歳で永眠いたしました、と・・。

by mizzo301 | 2018-02-03 23:49 | エッセイ | Comments(1)