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大晦日の午後

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 ことしはひとりで過ごすつもりでいた大晦日に、思いがけず孫娘が来てくれた。京都の画学生であるが、一緒に住んでいた祖母が最近なくなって彼女もひとり暮らしである。東京の実家へ帰らずにOpaを訪ねてくれたのは、じじいひとりの年末年始はあまりにも寂しかろうと同情してくれたのか。あるいは弟の受験をひかえて帰省できない母親が、Opaを気にかけてよこしてくれたのかはわからない。いずれにせよ、大あわてで紙幣の印刷をすませて、車で駅へ迎えに行く。すでに電車は着いていたらしく、片手に小さな旅行かばん、片手にアップルジュースとパンの包みを抱え込んだ孫娘が、午後の日差しをあびて駅前に立っている。昨日までの寒さは去り、夕日のうつくしいおだやかな大つごもりである。ドンは犬の美容院からまだ帰らない。
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by mizzo301 | 2013-12-31 18:46 | エッセイ | Comments(0)

ポインセチア

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 師走にはいってすぐのある日、ポインセチアを一鉢買った。無宗教のOpaだが、クリスマスを飾るあの赤い葉の色が好きだ。時にキリストの血にたとえられるという赤である。寒さにはよわいという。ピアノ室のよく日の当たるガラス戸の内側の床に、いただきもののアンスリウムの鉢とならべて置いた。だがそこはときおりドンが寝そべり、外をとおる野良猫にはげしくほえて追い払う場所でもある。はたしてポインセチアの数枚の赤い葉をつけたひと枝が、ぽきりとおれてしおれきっている。ドンの仕業にちがいないがここは怒るまい。その枝をちぎりとり捨てようかと思ったがものは試し、水道水にあてて水切りをし、キチンの窓辺の花瓶にいれてみた。 やってみるものである、翌朝そのひと枝はみごとに元気をとりもどし、葉っぱの深い赤がOpaの寝ぼけ眼をおどろかせてくれた。キリスト復活である。と思ってその足でピアノ室にいってみると、またしおれきったひと枝、それも折りとり、昨日の要領で水にさす。期待どおり翌朝、そのひと枝もあざやかな赤をとりもどした。枯れ果てるかと思えたポインセチアの小さなふた枝に、生きようという植物の強い意志を見た気がした。裏庭の睡蓮鉢では、いまだに止められない酸素のぶくぶくが、ふり積んでうかぶ紅葉をむなしくゆらせている。
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by mizzo301 | 2013-12-29 19:22 | エッセイ | Comments(0)

金魚のきえた朝

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 三年前の初夏に十尾を飼いだして、長く生き残っていた二尾の金魚が忽然ときえた。二日前の朝、裏庭に面した雨戸を開くと、決まって水面近くにあらわれるはずの二尾が一尾しか見えない。水に手をいれて水草の陰をさぐってみたが、いる気配はない。あたりの地べたに横たわっていたりしないかと見まわしたがそれもない。最初は三センチばかりの小魚がいまでは七、八センチにまで育ち、睡蓮鉢で悠然と泳ぐ彼らに餌をあたえ、朝一番に見るのが好きだった。二尾はいつも寄りそって、まるでながく連れ添った夫婦のように見えた。彼らが結婚していたかどうかはわからない。Opaが勝手に亭主ときめた、やや大きい方がいなくなったのである。残された寡婦は心細げである。餌をあたえても、水草に身をひそめてなかなか水面に顔をださない。餌の容器でこんこんと鉢をたたくと、ようやくあがってきて一口餌をくわえるがすぐまた水草にかくれる。二尾で餌をしきりに食った面影もない。不憫である。初冬の日没ははやい。Opaもひとりやあんたもがんばりやと、水底にうずくまる彼女を心ではげまして、ベランダの灯りを消し雨戸をとじる。翌朝、雨戸を開いて餌をやろうと睡蓮鉢をのぞくと、いるはずの一尾のすがたがない。念のため水底の石や水草を動かしてみたがどこにも見あたらない。こうも立て続けになぜ・・Opa茫然自失。気持ちをつたえる相手がいないのはつらい。そこへ剪定にやってきた植木屋に、一件をまくしたてた。あっ、それは猫の仕業でっせ、とっさに彼はいう。うちも金の卵を産んどった烏骨鶏がやられましてん。明け方鶏小屋がやかましいさかい出てみたら、烏骨鶏をくわえたでっかい黒猫がこっちを向いてにらみよりましてん、こわかったあ。金魚もじぇったいに猫のせいや。うったえなはれ、うったえなはれという。どこへどう訴えろというのだろう。この植木屋をどこかへ訴えたい気分であった。
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by mizzo301 | 2013-12-16 23:40 | エッセイ | Comments(2)

初冬の根来寺を訪う

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 紅葉のたよりを聞くたびにどこぞへ出かけたいと思うが、京や奈良は今のOpaの足には遠すぎる。そこでドンをさそって、車で三十分たらずの根来寺へ出かけた。古くから和泉と紀伊の国を結ぶ根来街道を往くのだが、今は関空と和歌山を結ぶ大動脈として整備が進む。山里をぬいながら山峡に分け入り峠をこえる、つい数年前までの古道の面影は感傷のかなたに消えていく。風吹き峠のあたらしいトンネルを抜けると大寺はちかい。境内はほどよい人出で、おそい紅葉をもとめる人々のそぞろ歩きが似合う。紅葉の大枝を手前に、国宝大塔を撮ろうと三脚をかまえるカメラマンもいる。境内を流れる渓流の両岸から折り重なる紅葉に、午後の木漏れ日が映えるのもまた美しい。Opaのささやかな紅葉狩りであった。あたり一円は室町末期には坊舎二千数百、僧兵一万余をかかえる一大宗教都市であったといわれるが、秀吉の焼き討ちにあう。わずかに多宝大塔と太師堂だけが焼失をまぬがれ、それぞれ国宝、重文として四百年前のおもかげを今に伝えている。大塔の板壁には、当時の鉄砲玉の穴がいくつも残されて、まさに兵どもの夢のあとを見る思いである。見るたびに、そこへパチンコ玉をはめ込んでみたい衝動に駈られるOpaであった。
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by mizzo301 | 2013-12-04 18:18 | エッセイ | Comments(0)