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<   2013年 08月 ( 3 )   > この月の画像一覧

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 首肩に痛み止めの注射をうちながら、八月五日のコンサートに出演した。弦楽専攻OBが、年に一度編成するオーケストラである。足腰の痛みもいまだ癒えきらないので、ずいぶん迷ったあげくの参加である。曲目の中心はブリトゥンの「シンプルシンフォニー」、昨年の難曲シェーンベルクとちがって、その名の通りシンプルな佳品である。これなら楽器とパート譜にかじりついて、家で必死の練習は必要なかろうと考えたのだ。昨年のシェーンベルクはヴィオラパートの速いフレーズで、ハ音記号とト音記号がめまぐるしく入れかわり、Opaの脳がなんども分解するほど練習したのだった。そしてむかえた本番当日は台風である。その日ガラーンとしたいずみホールの客席は、シェーンベルクの名曲「浄められし夜」の名演によって、すみずみまで浄められたのであった。その点今年はこのクソ暑い中、夕方開演もあってかお客の入りはまずまず、演奏の仕上がりもまずまずで、耳にやさしいブリトゥンの音楽を楽しんでいただけたのではないだろうか。Opaがまだ高校生のころ、ブリトゥンが来日したことがあった。テレビ出演があると新聞で知ったが、Opaんちにはまだテレビがない。一般家庭にテレビがそろそろ普及し始めたころである。電車でふた駅先の、はぶりのいい親類へテレビを見せてもらいに行った。内容は、ブリトゥンの歌の作品を彼自身のピアノ伴奏で、歌手のピーター・ピアーズが歌うというものだったような気がする。今でこそ「戦争レクイエム」や「パーセルの主題による青少年のための管弦楽入門」などで、若い人たちにも名を知られる英国の作曲家だが、当時のOpa少年にはなんの予備知識もない。CDはおろかLPレコードも普及していない。クラシック音楽は、たまたまラジオで放送されたものを聴くのが唯一の機会である。もちろん録音の手段などない。で、張り切って出かけたOpaだったが、聴きなれないその音楽は馬の耳に念仏で、とにかく退屈、お願いしてきたのだから途中で引き上げることもできず、番組のおわりを待ちわびたのをおぼえている。
by mizzo301 | 2013-08-28 15:36 | エッセイ | Comments(0)

帰郷・・

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 妹夫婦の家に預けたドンを受け取りに行き、そのまま四泊もした。Opaの実家であるが、泊まったのは何十年ぶりかのことである。義弟の蔵書が乱雑におかれ、パソコンの残骸がころがる物置部屋をかたづけて、妹が急ごしらえの寝室をしつらえてくれた。ここはかつてOpaが暮らし、後年、自分で育てた庭を眺めながら、母が静かに息をひきとった部屋でもある。ガラス戸越しに、炎暑の中に百日草が咲く光景は、半世紀前の夏とかわらない。夕方を待って、妹に誘われるままにドンをつれて界隈を散歩した。50年の歳月に風景はすっかり変わり果て、Opaには地理がまったくわからない。大通りに面した一軒の古びたたばこ屋の前で、むかし夏にはここはかき氷屋さんもやってたわね、と妹がいう。道から一段高いこの店は、たしかに覚えがある。今は路線バスが走る大通りが、かつては子供たちの遊び場にもなった小道であったことをまざまざと思い出した。なつかしい。翌夕、駅前の散髪屋を訪ねた。彼は泣き虫一年生のOpaを、よく小川の小魚とりにつれていってくれる五年生で、網で巧みに魚をとる名人であった。Opaは獲物を入れるバケツ持ち、いつも彼のあとを追っていた。手みやげの水茄子を差し出すと酒が出た。小学校での火事さわぎを語り合い、友の早世を嘆き、七十年分の思い出話にふたりは酔った。
by mizzo301 | 2013-08-18 17:57 | エッセイ | Comments(0)

蜘蛛のこと

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 脚が癒えず、まだ杖で歩いていた初夏の頃、庭先のテント下でコーヒーをすすりながら新聞を読んでいた。ふと目を上げると、卯木の枝と物干しの支柱に小ぶりの女郎蜘蛛が巣をかけている。いったん目にするとそれが気になって、毎朝視線がそちらにいく。何日も眺めていたある朝、その蜘蛛がなんだか少し大きくなったような気がした。本人から少しはなれた巣の一隅に、もう一匹の蜘蛛がゆらいでいるように見えたが、それは抜け殻のようなもので生きてはいない。はたして蜘蛛は脱皮をするのだろうか。そうして成長するものなのか、Opaは知らない。とりあえず蜘蛛は成長を遂げた。といってもまだ若い蜘蛛である。その巣に獲物がかかっているのをみたことがない。ひと月あまりも何も食べずに生きているのだろうか。それともOpaの目をぬすんで、何らかの間食にはげんでいるのだろうか、わからぬうちに日が過ぎた。そうして7月にはいったある朝、その巣に獲物があるのをOpaは初めて見た。蜘蛛の糸にくるまれた蠅らしきものが、巣にはりついている。巣の主はどんと中心に陣どって動かない。蜘蛛の食事風景を見れるかもしれないと、痛い右脚をさすりながら幾日も待ったが、いっこうにその気配はない。これは来るべき子育てのための備蓄なのか、あるいは何かの記念日のごちそうだろうかなどとOpaは考えた。そんなある日、娘夫婦が来た。夕方、脚の不自由なOpaにかわって、婿が庭に水をまいている。 終わった頃を見はからい、蚊取り線香を手に庭にでた。はたして蜘蛛の巣は下半分になって、水滴が光っている。例の獲物はそのままだ。無惨に破れた巣に女郎蜘蛛の姿はない。突然の水勢にあわてて、とるものもとりあえず出奔したらしい。きっと彼女は帰って、破れた巣を修復するだろうと考えてOpaは待った。だが蜘蛛は帰らなかった。
by mizzo301 | 2013-08-14 22:32 | エッセイ | Comments(0)