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とめはねっ!

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 ひょんなことで手にした書道まんが「とめはねっ!」にはまって、11巻を一気読みしてしまった。こんなことは20年近く前の「動物のお医者さん」以来である。Opaが毛筆を持ったのは、中学時代の書道の時間が最後である。以後あまたの冠婚葬祭をサインペンやボールペンでごまかし続けた、恥多き晩年である。今さら書でもないが、まんがの気安さもあって、つい手にとって見たのがきっかけだ。はたしてこのまんが、Opaのごとき無筆悪筆をひきつけて止まぬものがある。深いのである。たとえば「いろは歌」、四十七文字をすべて一回だけ使い、きちんと意味がとおっている。これを七文字ずつならべ、下の文字を読むと、とかなくてしす、すなわち咎なくて死す、無実の死という意味が隠されているという。これを「折り句」というそうだ。この四十七という数字を、赤穂義士の無念と重ね合わせて仮名手本忠臣蔵が書かれ、ゆえにこの仮名手本とは、いろは歌のことにほかならないのであると。へーっ、そやったんかあ。多くの諸賢はご存じやも知れぬが、Opaには初学問でおます。ほかにも書にまつわる知識が、さらりと豊富に示されてすっごい勉強になりやした。せやけどこのまんがの魅力は、なんというてもユーモアたっぷりに描かれる、現代高校生たちの青春であろう。これでお終いかと惜しみながら十一巻目を終えたら、来春に十二巻目が出るとある。楽しみやけど、百年若返りたい。
by mizzo301 | 2013-07-21 12:51 | エッセイ | Comments(2)

まんずごしたくて・・

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 朝の五時半、ジェジェジェと蝉がいっせいに歌い始める。突然の梅雨明けと猛暑に彼らもおどろいているのだ。通年暁を覚えないOpaだが、彼らの朝練のやかましさにいやでも目がさめる。ジェジェッといった気分で仕方なく起きる。このジェッという驚きことば、元は北の七百人ほどの集落でつかわれている超マイナーな語であると、NHKの朝の番組で知った。古い友人に、わしジェジェや、と自己紹介する人がいたが、こちらは膳所(ぜぜ)の人であった。今や全国にしれわたるジェジェである。朝ドラあなどるなかれ。番組によると、地方の人々には出来るだけ共通語を話そうと努力する傾向があるという。それで地方色豊かな方言が聞かれなくなるのであればさびしい。テレビやラジオで話す人々にも地方出身者が大勢いるはずなのに、みんななめらかで味気ない日本語を話してる。もっと方言を盛り上げて、日本語の多様性を楽しむ手はないのか。視聴者にも同じ思いがあるようで、長野の人の投書があった。ごしたいという信州言葉が聞かれなくなってさびしいというのである。Opaが初めてその言葉を聞いたのは半世紀に近いむかしの戸隠である。竹かごを編んで商う店のじっちゃが、あぐらのまま背筋をそらせて、まんずごしたくて・・といったのである。ああしんど、いうてはんねんと、長野育ちであったつれあいがすかさず教えてくれた。その後、生前の義母の口からもごしたくてを何度も聞いた。それを最近は長野人もあまりいわないらしい。関西弁のしんどいが全国区になってしまったせいではないのか。共通語を話そうという感覚を、関西人は持ち合わせない。このままだと日本語は、共通語と方言としての関西弁の二種だけになりはしないかと思うのである。
by mizzo301 | 2013-07-18 22:32 | エッセイ | Comments(0)

ガザミを買う

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 スーパーの水槽に、めずらしく生きたガザミが入っている。値札に長崎産とある。かつてはここ泉州でも決してめずらしいカニではなかった。夕方に近くの漁港にいけば、藁ではさみをしばられたガザミの箱が、つぎつぎと競り台にならんだものだった。そんな光景も消えて久しい。おもわず水槽に手をいれて、ひとつを持ってみた。ずしりと重い。わるくない。甲羅にまでたっぷりとたまごをたくわえていそうである。いぶかしげな女店員の目に気づかぬふりで、良さそうなのをふたつ選んで買った。そう、今夜は妹がドンを送り届けてくれる。彼女はいまごろ、助手席のドンにいくばくかの惜別の思いをいだきながら車を走らせているのだろう。カニを赤うでにして、彼女とドンをOpaは待った。戦争をはさんで生まれた、年のはなれた妹である。いまもひとり車を駆って、日本海や淡路島へ釣行する釣りガールであり、多忙な姪の子供たちのイクババーでもある。その行動力に、ついOpaも頼ってしまう。だがその実、まもなく七十にもなろうかという媼である。玄関から飛びこんできたドンの後から、はい、ただ今といいながら入ってきたのは、まぎれもなく元気なひとりのおばあさんであった。今宵は一泊してくれるという。兄妹もかつては少年少女であった。タカラ焼酎を酌み、カニをほじくり、多くを語るでもなくその夜は更けた。
by mizzo301 | 2013-07-09 23:52 | エッセイ | Comments(2)

ドン帰る

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 妹につれられて車で去りゆくドンを、杖にすがって見送ったのは3月10日の夕方であった。朝夕の散歩でご近所の世話にならなくてすむ安堵感は大きかった。だが一時的とはいえ、彼を人の手にあずける無念はさらに大きい。ひとりで食う夕食の出来合いべんとうはさびしかった。とくに夜中、ふと目を覚ましたときなど切実な孤独があった。あれから三ヶ月が過ぎたいま、完ぺきとはいえないまでもOpaは回復をはたすことができた。腰の狭窄症は癒えないが、右脚の痛みはうそのように消えた。杖にすがり無理に顔をあげていたせいか、首肩に痛みが残る。だがドンの散歩はできると考えて、妹に電話をした。いよいよその時がきたのね、と彼女は言葉につまった。Opaにかわって、どれだけドンを愛してくれていたかが、そのひと言でわかった。そして週末、彼女はドンを車ではるばる送り届けてくれたのだった。
by mizzo301 | 2013-07-03 18:50 | エッセイ | Comments(0)