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<   2010年 12月 ( 4 )   > この月の画像一覧

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 年の瀬の一日、東京から来ている孫と二人で大阪ミナミを歩いた、というより歩かされたというべきか。中学の修学旅行で秋の奈良に来たかれは、先生の目を盗んで大阪のラジコンショップをちゃっかりと下見している。南海電車のなんば駅から繁華街を通りぬけ、電気街日本橋筋を横切りさらに東へ、下寺町から松屋町筋を南へ少し下るとようやくその店はあった。ああしんど、関東の中学生がなんでこんなところまでと思うが、IT時代の申し子たちにはなんでもないことらしい。iPodのマップをたよりに、なじみのない土地とは思わせないかれの軽い足どりを、Opaの重い足が追う。なんでもその店は、ラジコン関係で日本有数の品揃えを誇るという。下見の際は時間を気にするあまりよく見られず、不満をかかえて奈良の旅宿へもどったんだそうだ。今日は心ゆくまで品定めをするぜ。Opa退屈だったら、入り口にあるフライトシミュレーターのデモ機で遊んでお過ごしという。コンピューター画面の滑走路にセスナが一機、アイドリングで待機、自由にお試しくださいとある。ラジコンに興味はないがこれは面白そうだ。だがやってみると以外にむつかしく、離陸すらできないで滑走路わきの草原にさかだちをして、何度も翼をもぎとられる。が、継続は力なり。失敗をくり返すことおよそ一時間半、やがてセスナは無事離陸、大空を自由に飛び舞われるようになった。おもしろい。ところが滑走路への着陸がむつかしい。なんど試みても、そのたびにセスナは、上空から草原へと真っ逆さまに墜落をくりかえして大破、これじゃ命がいくつあっても足りない。そこへ大きな商品をかかえた孫があらわれ、レジへとうながす。見事なタイミング、Opa死ぬ気で金を払わされたのであった。
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by mizzo301 | 2010-12-31 18:18 | エッセイ | Comments(0)

にしんそばは京の味

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 東福寺へ着いたのがすでに昼時であったが、まんじゅうを買いたい一心で三条までなにも食わずに来てしまった。空腹である。娘から聞いたとおり、まんじゅう屋のとなりは次の目標、そば屋「桝富」である。なんの変哲もない店構え、まよわず入る。こじんまりとした店にスローなジャズ、雰囲気やよし。こんな裏通りの店に、観光客らしい人たちが三々五々入ってくる。もしやガイドブックなどで知られた、かくれた名店なのか。きれいなお姉さんに、にしんそばと熱かん一本を注文する。あたたかいそばのどんぶりから、大きくはみ出たにしんでちびりちびり、しみじみと京都を感じる。この情感、大阪のきつねうどんには出せまへんなあ。まんじゅうを手に入れ、一杯のそばと酒に酔って、泉南は海辺の茅屋に帰りついたのはすでに日の暮れであった。折しもその夜、娘から電話あり、そば屋で手洗いを借りたかと妙なことをきく。否といえば、それは惜しいことをしたという。手洗いの窓から、それは美しい白川の流れを眺めることができたのに、というのである。そういえばまんじゅう屋もそば屋も、どこか水郷を思わせる、白川の流れを背にして建ち並ぶ。さもありなん。もしまたあの店へいくことあらば、今度はにしんそばとビールをたのんで下腹にため込み、必ず手洗いとお近づきになろう。
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by mizzo301 | 2010-12-15 15:59 | エッセイ | Comments(0)

まんじゅうこわーい!

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 この上洛は紅葉にことよせて、実はまんじゅうを買うのが目的であった。十月に帰阪した娘が、京都へ立ち寄って買ったという、まんじゅうの詰め合わせを持ってきた。粗末なポリ容器に、どれもうまそうなまんじゅうが十あまり並んでいたのだが、Opaにはそのうちのひとつしかあたらなかった。気弱でいつも損をしている。食えなかったのがどれもうまそうに思えて、心が晴れない。それじゃ自分で調達して、思いきり食ってやろう。というわけで大阪は泉州から、早朝の潮風に送られてはるばるここまで来たのである。善は急げ、円山公園を通りぬけ、知恩院の前で中国語の大群をやりすごし、青蓮院を足早に過ぎ粟田口から三条通を西へとって、白川橋を渡り右へはいるとあった、まんじゅう工場!なんでも南座横の老舗菓舗「祇園饅頭」の製造工場だという。ここは正規の店ではないが、作るついでにその出来たてを片手間に売っているらしい。簡単な台に見本をならべたにわか店舗である。白い作業着作業帽のおねえさんが、注文をきいてくれた。おはぎ以外のをすべて二個ずつ、十四個のまんじゅうを紙の折りにつめてもらう。まんじゅうを一度に、こんなにたくさん買ったのは生まれて初めてである。これで帰ってまんじゅう三昧、ウヒウヒと金を払う。そこへおねえさん、明日中に全部たべとくれやす、日持ちしませんし、と想定外のひと言、まんじゅう責めのはじまりである。帰ってさっそく濃い茶をいれ、ふたつみっつと食う。明くる日は朝からまんじゅう、昼飯もお茶とまんじゅうである。戦後は代用食といって、ふかしたジャガイモに塩をふるだけの昼飯はいやというほど食った。まんじゅうだけの代用食なぞ、想像もつかなかった。濃い茶がこわい。
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by mizzo301 | 2010-12-08 11:05 | エッセイ | Comments(1)

三年坂二年坂、今むかし

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 紅葉の東福寺を出てから、タクシーで五条坂を上がる。清水坂の角店、七味家で七味唐辛子の小袋を買う。三年坂にむかうと、五歳にみたぬ頃の遠い記憶がふとうかぶ。両親に手をひかれてのぼる石段の途中右手に、すずめのお宿という、なにを売るのかわからぬ店があり、そのすぐならびに店頭いっぱいのひょうたんを売る店があった。そこで手のひらにのる、口に赤いひものついた小さなひょうたんを、父がひとつ買ってくれたのだった。そのころ戦地から帰還したばかりの父は、母と幼いOpaをつれて近郊の名所によくあそんだ。生きて還れたという、いたたまれぬほどのよろこびが父をそうさせたのだろうか。戦時下ではあったが、空襲などの緊迫感はまだなかった。およそ七十年のむかしである。時をへて、このあたりのたたずまいはすっかり変わった。かつてはすぐ下に続く二年坂から高台寺にかけて、豆粒ほどの人形をちまちまとならべた土産物店や民具の店、、骨董の店が軒をつらねていたものである。それが今や土産物店のほかは喫茶や食堂、甘いものを食わせる店、南禅寺境内の湯豆腐屋その他の料亭などが建ち並ぶ。景観保全をいいながら、これじゃまるで体のいい飲食街である。古くは、三年坂でころぶと三年以内に、二年坂では二年以内に死ぬなどといわれたのが、呼び名の由来であるそうな。知ってか知らずか今日も大勢の観光客、くれぐれも古びた石段につまづいたりなさいますな。なに、いちばん足もとがあぶないのはOpa、あんたやがな・・・
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by mizzo301 | 2010-12-05 17:52 | エッセイ | Comments(0)