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今はむかしの東福寺

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 ふと思いたって、京都は紅葉で知られる東福寺をたずねた。おひまを一日いただいた、主夫の気散じである。このお寺を訪ねるのは何十年ぶりであろう。紅葉の季節はいくらかにぎわったとはいえ、昔はいつ来てもひっそりと静まった古刹であった。三門をあおぎ、本尊を拝し、禅堂のトイレ百人せっちんに感心し、方丈をめぐり、季節には通天橋で心ゆくまで紅葉をめでることができた。金閣寺や銀閣寺をはじめ、名高い社寺仏閣が立ち並ぶ東山山麓の道をめぐり歩いた観光客は、清水寺あたりで疲れはて、東大路の南のはずれにある東福寺まで足をのばす人は多くはなかった。静かなお寺のゆえんである。それも今は昔であることをすっかり忘れたOpa、京阪の東福寺駅に降りたっておどろいた。すでに駅前は紅葉目当ての観光客でひしめき、ガードマンたちがハンドトーキーを手に声をからしている。ときおり中国語やロシア語までがとびかう群衆に、押し流されるようにして参道を寺に向かう。ようやく境内に近づいて、目前にひろがる紅葉にカメラを向けると、立ち止まるなとガードマンにたしなめられた。それにさからって紅葉の通天橋を、ようやく一枚撮る。錦秋をめでる風情や、古寺参けいのゆとりはここにはない。あるのは、押しよせる人の波ばかり。かつてこの山内をたずねて、満たされた思いですごした時間は帰らぬ夢か。できることなら、花にも紅葉にも縁のない静かな季節に、もう一度来てそれをたしかめたい。
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by mizzo301 | 2010-11-28 18:02 | エッセイ | Comments(0)

勤労感謝の日

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 子供のころ、この日は新嘗祭だった。意味はわからないがとにかく学校はお休み。しばらくして、それは勤労感謝の日となった。新嘗祭は神嘗祭とともに五穀豊穣にかかわる宮中行事である。戦後民主国家の祝日としてはふさわしくない、ということで1948年に発布された、国民の祝日に関する法律で他の祝日とともに改められている。もとの呼称はそれぞれ、建国記念日は紀元節、春分の日は春季皇霊祭、秋分の日は秋季皇霊祭、天皇誕生日は天長節などと古めかしい。ところで勤労感謝の日、いったいだれがだれの勤労に感謝するねん、とアホウなOpaは思っていたが、法律の主旨は「勤労をたっとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう日」なんだそうである。どこかこじつけっぽい文言であるが、それで戦前からの休日を確保しつづけることができたのだからめでたい。なんだかよくわからないが、みなさんありがとう、ありがとう、ありがとう・・・いえどういたしまして、年金老人Opa、どうせ毎日が祝日でおます。
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by mizzo301 | 2010-11-23 14:37 | エッセイ | Comments(0)

アイフォン4のたのしみ

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 アイフォン4を買った。うれしくってしようがない。携帯電話とカメラのついたアップルのポケットコンピューター、年寄りには過分のおもちゃである。居間で台所で便所で寝床でいじくりたおしている。楽しい。Opaの場合、読書がかわった。著作権の切れた古今の名作を無料で公開する電子図書館、青空文庫を知ってはいたが、パソコンの画面で小説を読む気はしなかった。それをアプリひとつでアイフォンに取り込んで読める。読みたくなればポケットから取り出しさえすればよい。文庫本より手軽、おまけにただである。ただ大好き、よってひと月たらずで芥川龍之介、太宰治、泉鏡花、菊池寛、直木三十五、ガルシン、チェーホフの短編などを手当たり次第に読んだ。直木賞を知ってはいたが、彼自身の作品を読んだのはアイフォンが初めてである。ウィキによれば、青空文庫の項目数はおよそ9300、さらに増加中だという。いくら読んでも読みつくせるものではない。しかも、これら著作権切れの作品を、電子機器で読めるテキストファイルにするのは、すべてボランティアであるという。感謝多謝である。実はOpa、読書はするが小説はあまり読まなかった。それを携帯電話にうながされて読むことになるとは思わなかった。アイフォンの思わぬ効用、青天のへきれきである。ひとつ困ることがある。書評を読んで取り寄せたり、書店で衝動買いをした本が、机上に積み上がっていく。アイフォンの読書に耽溺するあまり、現実の本を読む時間が極端に減ってしまった。読書が読書を駆逐するというか、老人はあたまが痛い。
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by mizzo301 | 2010-11-21 18:34 | エッセイ | Comments(0)

クモの糸でバイオリン

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 物置入り口で、ひと月あまり顔なじみだったジョロウグモの姿が突然きえた。破れた巣だけが、半月型の廃墟になってわずかにのこっている。家洗い業者のホースによる高圧水流で、あっというまにぶっ飛ばされたのだろう。事前の退避勧告を忘れて、とんだ被害にあわせてしまった。もしやブロック塀にでもたたきつけられてへしゃげてはいないかと、あたりを点検したが、クモせんべいは見つからなかった。意外と生きのびて心機一転、Opaが九月に見たようなオーケストラ・スコア・デザインの長大な巣を、どこかで元気に編んでいてほしい・・。
 なぜか今年の我が家は、ジョロウグモの巣が多い。薬味のねぎをつむにも、庭の夕やみはうっかり歩けない。ちょっと数えただけで四カ所に網をかまえているからだ。そのクモの糸、ウィキペディアによれば同じ太さの鋼鉄の五倍の強度、ナイロンの二倍の粘性があるそうだ。鉛筆の太さで網をはれば、理論的には飛行機も受け止められるという。そんな性質を利用して、実用性の研究をする奈良医大の先生が、クモの糸でバイオリンの弦を開発したという。クモの糸一万本をよりあわせ、バイオリンの強い張力に耐えるという労作である。TVでご自身がそれを演奏披露しておられるのを見た。まったりとした美音である。もしその弦がひとそろい手にはいるなら、Opaのバイオリンで庭のひまなジョロウグモたちにその音を聞かせて、彼女たちの感想をきいてみたい。
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by mizzo301 | 2010-11-12 13:46 | エッセイ | Comments(1)