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<   2009年 12月 ( 3 )   > この月の画像一覧

年の瀬だった

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 えらく寒い日が続いたせいか、裏庭の木々もすっかり色づいて散り始めた。今朝ドンと散歩をしていると、朝っぱらから家族の人々がせわしなく立ち働いているお宅があった。庭先のかまどに蒸籠をのせて、景気よくたきぎを燃している。かたわらには石臼が鎮座している。これから餅つきが始まるようだ。今ではめずらしくなったが、昔はどの家にもあった年の瀬風景である。Opaの実家でもそれは毎年盛大に行われていた。その日には父母兄弟姉妹とその友人家族が集まった。幼い子供たちも何人かいて、彼らに餅つきを見せてやりたいということでもあった。米屋で賃つき屋の娘でもあったというS夫人は、見事な手さばきで何軒分ものお鏡を仕上げていく、それはちょっとした見物であった。そのうちに子供たちは成長して餅つきにさほど興味を示さなくなる。親たちも杵をふるうのがだんだん大儀な年になる。だが今度は子供たちより、年に一度自宅に大勢が集う餅つきを楽しみにしている老父母の手前、突然やめるわけにもいかなかった。というわけで、この行事は中年の坂をくだり初めたつき手たちが、さすがに音をあげるまで続いたのだった。それにしても最近は昔に比べて、年末が特別という雰囲気がうすれてきたような気がするのはひとりOpaだけだろうか。実際餅つきにさざめくこのお宅の前を今朝通りがからなければ、今が年の瀬であることなどほとんど忘れていたのである。年がら年中、犬の尻で製造するかりんとうを朝な夕なに拾い集めるだけの凡庸な年金生活は、老人から時間の観念を奪ってしまうのかもしれない。
by mizzo301 | 2009-12-28 12:53 | エッセイ | Comments(0)

リンゴがきた

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 長野の義兄からリンゴが届いた。ダンボールの外にまで甘い香りがただよう。切り口にたっぷりと蜜をふくんだうまいリンゴ、亡き義母の時代から四十数年来、信州からの贈り物である。当初は駅留めで木箱の鉄道便が、いつの間にかダンボールの宅配便に替わったが、リンゴのほんのりと遠慮がちな赤みとみずみずしさは今もかわらない。その昔は蜜をふくんだリンゴなど大阪では見たことがなかったから、中身が腐っているのではないかと思ったものだ。だがひとたびそのうまさを知ってからは、それまでうまいと思って食べていたそこいらで買うリンゴは、すっかりみすぼらしいものに見えてしまう。流通の時間を思えば、とれたてリンゴのみずみずしさを大阪の店頭に求めるのは無理ということか。とにかく朝昼晩、しばらくはこのうまいリンゴをだれにもやらずにせっせと食べよう。減るのを惜しんでいつまでも取り置いて、ぼけたリンゴをぼけたOpaが台所の隅でこっそり食うなんて、うーん、いつかやりそうな・・
 日本のリンゴ、台湾では貴重品だそうである。ガイド氏によれば、時には一個が千五百円もするあこがれのフルーツだという。病気見舞いに用いると、こんな上等の果物をくれるようでは自分の病状はよほど深刻にちがいないと患者は思いこんで、あの世行きを早めるという。まさか、毒リンゴじゃあるまいし・・
 
by mizzo301 | 2009-12-09 16:13 | エッセイ | Comments(0)

よい子の台湾旅行

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 八年ぶりに台北を訪れた。今回はバイオリン屋Tさんと一緒である。昭和八年生まれという日本語の流ちょうな現地ガイド氏同行、台湾一周激安バスツアーである。空港で不思議だったのは、外国人入国審査の大行列で声高な中国語が飛び交っていること。それは中国大陸から押し寄せる観光客であるとガイド氏はいう。あまりの攻勢に台湾側の対応が追いつかず、今では中国人の入国を一日三千人に制限しているそうだ。なるほどその後行く先々の観光地やホテルで、大勢の中国人観光客に出会った。台湾と中国の往来がここまで自由だとは知らなかった。八年前にはまったく見かけなかった光景である。訪台のつど思うのは、日本統治時代を知る年配のガイド氏たちの親日ぶりである。今回のガイドRさんも同様、中国人観光客のマナーをなげき、日本人のそれをほめる。戦後日本の発展を礼賛し、優秀な日本人は今の経済の閉塞から必ず立ち直るとはげましてくれる。炊飯器から自動車にいたる日本製品をほめあげる。何度かの訪日で接した日本人がみんな親切であったと断言する。はては自分の小さな孫が皇孫に似ていると自慢をして、かわいい三歳の女の子の写真を車内にまわし、愛子と名付けなかったことを悔やむのである。彼の日本礼賛はただのお世辞とは思われない。同乗十数名のツアー客、大半が少なくとも還暦を超えたと思われる世代である。それが今はみんな先生にほめられた児童の気分である。みんなすっかりよい子になってバスは走る。そして夕食の円卓でよい子たちは台湾ビールをあおり、紹興酒をたのみ、髙りゃん酒を飲み干すのであった。
by mizzo301 | 2009-12-04 11:19 | エッセイ | Comments(0)