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<   2009年 07月 ( 6 )   > この月の画像一覧

大ちゃん死す

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 雨の朝、睡蓮鉢の大ちゃんが死んだ。享年二年十ヶ月。生き残りの金魚三尾のなかの一番大きいやつである。体長二センチで我が家に来て、今では五倍のゆうに十センチにまで育っていた。、毎朝雨戸を開くと大口をあけて餌をねだっていたのが、三、四日前から彼だけが水底でじっとして動かない。ついに昨日の朝、水底の麦飯石に身を持たせるようにして横たわっているのを見て、薄い塩水の洗面器にそっと移し、一昼夜蘇生を試みたがそのままあえなく昇天した。魚といえども死の前は身体が大儀で動けないのは、人と同じだなあと思った。彼に目をつけて二十センチをこえる巨大金魚に育ててやろうと、未来を嘱望していただけに残念である。金魚が死ぬたびにかたわらの棕櫚竹のしげみにポイッと捨てて、ダンゴ虫やナメクジに囲まれながら目から朽ちてゆき、いつのまにか消えてしまう。だがさすがに目をかけてきた大ちゃんだけに、とてもそんな末期をさせられない。といって公益社を頼むほどのことでもない。思案の末、庭の桜の根方に浅い墓穴を掘ってうめてやり、空念仏をつぶやいて終わった。枯れた株のひこばえから育てているこの桜にもう一度咲いてほしいと願って、一昨年はプードルのはなもここに葬ったのであった。だが未だに花は見られない。犬でだめなら金魚でというわけでもないが、この木の根方にはOpaの執念が埋まっているのである。大ちゃんの初盆は、亡きはなの三回忌でもある。
by mizzo301 | 2009-07-29 11:12 | エッセイ | Comments(0)
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 見事な皆既日食をテレビ中継で見た。ソファに寝そべったままの日食観測である。放送のあいまに、肉眼やすすをつけたガラスで太陽を見るのは危険ですと繰り返す。だがそのむかし日食といえば大人も子供も小学校の校長先生も、すすでいぶしたガラス片で太陽をあおぎ見たものである。グーグルをひもとけば昭和23年か28年の日食、あるいはその両方で同じようなことをしたはずである。なかには無謀にも肉眼や下敷きで太陽を見るものもいた。それはたしかに危険であろう。だがそのせいで目を悪くしたという知り合いはひとりもいない。栄養失調の戦後の日本人は目だけがやたら丈夫やったんかなあ。もうひとつ不思議なのは、今回の日食で日本中がなぜかくもおおさわぎになったのかということ。戦後だけみても日本で見えた日食は23回、なかには同年に二度もおきた年が二回ある。皆既日食は46年ぶりというけれど、22年前の昭和62年には沖縄で金環日食が観測されている。でもこんなに盛り上がったという記憶はない。だがこれはむしろいいことだと思いたい。不景気などどこ吹く風、わしらは元気でっせとばかりに日本中が一瞬ざわめいたのだから。それにしても観測のベストポイント、トカラ列島は悪石島まではるばる出かけた人たちは気の毒であった。雨雲にはばまれてろくに観測もできなかったという。そういうことも承知で渡航した人たちの意気込みは実に尊い。もうひとつ日食といえば、国鉄の大きな駅には必ずあった日本食堂のカレーライスがなつかしい。
by mizzo301 | 2009-07-23 11:05 | エッセイ | Comments(0)

日曜大工

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 日曜日に門扉を自作した。文字どおり日曜大工である。元は重い鉄材の門扉であったが、地盤沈下で高さが合わなくなって仕方なくとりはずし、廃品回収業者に持ち帰ってもらったのだった。そのままでは犬が自由に外出をする。それは困るので、ホームセンターで買ったじゃばら式の安直なガーデンのしきりを取りつけた。臨時の門扉である。それで数年を過ごしたのであるが、風雨にさらされた安物はちょっとした風にもぱたぱたと音をたてて今にもどこかへ飛んでいきそうにしなる。塗装はとっくにはげ落ちてみすぼらしい。それをばかにした近所の犬が、通るたんびに小便をひっかけていく。ゆえにますます朽ちていく。だがこの古家に、今さら工事をたのんでまで高価な門扉をあつらえる気にはなれない。そこでついに門扉の自作をOpaは決意した。構想をねること一週間といえば聞こえはいいが、ただめんどうだなあと思っていただけ。ついに日曜日、ホームセンターで白いペイントと掛け金などの金具を買う。木材は以前、縁台を作ったときに買った物が残っている。天気予報晴れのち曇り時々雨、庭の片隅に日よけテントをはって作業場を確保する。電動鋸のおがくずと白ペンキにまみれること、昼めしをはさんで数時間、ついに自作門扉は完成した。できばえは上々、世界遺産登録の覚悟もすでにある。だがなぜかほめてくれる人はいない。かくてペイント代千九百八十円、金具類六百九十円しめて二千六百七十円が老人のサイフから消えた。トホホ・・
by mizzo301 | 2009-07-20 14:48 | エッセイ | Comments(1)

豊作のキュウリ

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 今年はトマトがしり腐れ病とやらに感染して思わしくないが、キュウリは豊作である。たった五本の苗から多い日は一日に十本もとれたりする。水さえ与えれば日に三センチも伸びるというから、毎朝何本かは必ずとれる。サラダ、酢の物、漬けもの、もろきゅう、ちくわのキュウリづめ、ピクルス、新案特許キュウリのオムレツ、キュウリのステーキ、キュウリのスープ、キュウリのキューちゃん、キュウリのまるかじり、思いつく限りの食べ方でいくら食べてもキュウリが余る。最初は喜んで食べたドンも食傷気味らしく、この二三日でキュウリを食べなくなった。もはや河童をよんでごちそうしてやりたい気分である。どなたかキュウリのうまい食べ方を教えてください。さてそのキュウリ、ウィキによると世界で約五百種ほどが栽培されているそうだ。かつてはこれも果実であるから黄色く熟した実を食したが、甘みがうすくて魅力がないところから、緑の未熟な実を食べるようになったそうである。そうか、知らずに食っていたがキュウリは未熟な果実だったのだ。真偽のほどは不明とことわりながら、キュウリに蜂蜜をかけるとメロン味になるとも書かれている。そういえばいつだったかめずらしく頂き物のメロンを食った時、、キュウリの風味を強く感じたことがあった。ということは、キュウリがメロンに化けるのもありかもね。あしたの朝食で早速ためしてみよう。うまくいけば毎朝メロンが食えるということか。
by mizzo301 | 2009-07-15 17:57 | エッセイ | Comments(0)

七夕の小犬

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 今年の七夕はあいにくの曇り空、十九年に一度という満月も見えずに過ぎた。七夕といえば、子犬のドンが我が家に来てちょうど一年、昨年のこの日のことであった。犬はもう二度と飼わぬという決心をきれいさっぱりと捨て去った記念の日でもある。あれから一年、彼は人でいえば四、五歳も成長したのだろうか。最初はスリッパをくわえてはしゃぎまわるだけだった子犬が、今では町内の四つ角で、佐川急便のトラックを待たせて堂々とくそをするまでに育ったのである。また朝の七時にはOpaのベッドに飛び乗って耳目鼻口、顔中をなめまわす犬型目覚まし時計でもある。その執拗な目覚まし攻撃にはいたたまれずに起きてしまう。便利迷惑である。おかげで朝の海岸沿い遊歩道を小一時間のうん歩(ウンチ散歩)、夕方に町内一巡のうん歩がOpaの日課となった。いたずらは一向におさまらない。この一年に食いちぎったサンダル、スリッパは七足半、春には東京から帰省した娘の高そうなパンプスを引きちぎって、持ち主から鬼の折檻も受けたのであった。Opaおそるおそる弁償を申し出たものの、足にあう靴は簡単には見つかりませんなどと断られ、保護者のしつけの甘さを暗になじられているようでつらかった。だがどこ吹く風といったドンの顔を見ていると、そんなことはすぐに忘れてしまう。可愛ければしつけなどどうでもいいやと思うのである。まことに将来の案じられる、年老いてからの一人っ子である。
by mizzo301 | 2009-07-09 11:06 | エッセイ | Comments(0)
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 大阪センチュリー交響楽団に関する大阪府のアンケート結果を、先日の読売紙上で読んだ。記事からは在阪四楽団中三位という知名度の低さなど、楽団に不利な要件を府民の目にさらして、補助金削減を正当化したい大阪府知事ハシモト君の魂胆が透けて見える。府財政立て直しという大義名分をかざして、文化事業にまで補助金削減の大なたをふるおうとしているのである。だがこのアンケートには疑問が多い。まず対象が府民約八百八十万人中、無作為に抽出されたパソコンを使える千人であること。パソコンを使える府民という条件ひとつで、このアンケートはすでに正当性を欠いている。ましてやそこで在阪四楽団の知名度をうんぬんするのは、こじつけが過ぎて滑稽である。これら四団体はそれぞれの歴史と伝統をふまえ、それぞれの規模と特色をいかしつつ立派に活躍しているではないか。また、在阪四楽団は多すぎるというのもあたらない。オーストリアの人口は大阪府と同じおよそ八百万人、そこで13楽団が活動している。人口たった百六十万人のウィーンだけでも9楽団である。風土や歴史のちがう土地といちがいに比較できないけれど、官民挙げて音楽を愛する風土がうらやましい。ハシモト君が文化事業に無理解なコンコンチキだとはOpaは思わない。補助金削減も、破産状態にあえぐ府財政の立て直しにかける熱意に駆り立てられてのことであろう。だがすべての文化事業を削減すべき無駄と、簡単に片付けるのは納得がいかない。大阪にはお笑いの文化があるけれど、ワッハ上方がなくてもお笑いはなくならない。だが交響楽団はたんなる箱ものではない。おおぜいの生身の演奏家たちの職場なのである。補助金カットは、公務員の減俸などとはわけがちがう。このご時世である。そんなことになれば、たちまち家族もろとも路頭に迷う者がないとも限らないのである。きみはそこへ大なたをふるおうとしている。一方東京ではかの右巻き知事イシハラシンタロー君が、東京都交響楽団に九億円の支出を認めているという。なけなしの文化活動までも東京にひけをとるようでは、大阪人としてあまりにくやしいではないか、なあハシモト君。そのむかし、あまりの低賃金にたえかねて楽団を去った一老楽士として、はるかな後輩たちの身を案じずにはおれない。
by mizzo301 | 2009-07-02 10:14 | エッセイ | Comments(0)