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<   2009年 06月 ( 7 )   > この月の画像一覧

百万本のばら

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 バルト三国のひとつ、ラトビアのリガを紹介するNHKの「世界ふれあい町歩き」に、ラトビアの文化大臣ライモンズ・パウルスさんがでて、「百万本のばら」をピアノでつま弾いた。わたしの作品ですという。もとはこの歌、「マーラは与えた」というラトビアの歌謡曲だそうである。ネットをたぐって見つけたこの歌は、「マーラは命を与えたが、幸せは与えなかった・・」と、母子三代にわたり人生のあきらめを歌っている。あるいは周辺国に常に圧迫される、小国ラトビアの悲哀がこめられているともとれる内容である。バラなど一本もでてこない、似ても似つかぬ歌詞である。いうなればゼロ本のバラである。それをロシアで「百万本の・・」歌詞があたえられ、時の大歌手アラ・プガチョーワが歌って大ヒット、たちまちロシアの人気歌謡になったのである。1985年の夏、Opaがソ連を訪れたのはそんなさなかであった。レニングラードのベリョースカでまっ先にそのテープを買い、すり切れるほどに愛聴したものである。日本ではいつの頃からかその歌を、カトートキコさんが歌い出した。貧しい絵描きの悲恋を実に巧みに歌うのであるが、彼女自身が歌の由来を語るのは聞いたことがない。これはカトートキコの歌だと思いこんでいる日本人は多いのではなかろうか。当時のソ連には著作権というものがなかったから、彼女にはめっぽうおいしい歌にちがいない。
by mizzo301 | 2009-06-27 16:31 | エッセイ | Comments(3)

まぼろしの梅雨

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 ようやくキュウリを一本収穫した。それも根本近くの葉っぱにかくれて大きくなっていたのを、近所のK夫人にフェンスごしに指されてはじめて気づいたのである。たった五本の株に水やりをして、朝夕ながめていながら見落としている。目が節穴とはこのことや。キュウリの生長ははやい。すでにつるには次の収穫候補生たちがぶらさがり、日照りの中で早くも夏の歌をうたっている。かん水は欠かせないが、とても風呂の残り湯では足りない。仕方なく水道水をはりこんでやる。梅雨とは名ばかり、ここんとこ一滴の雨も降らない。ここは泉州のディープサウス、かつてはみさき砂漠とまでいわれた少雨の土地である。車で二、三キロも走れば、二十数個のため池がナビに現れる。水を求めた先人の苦労のあとである。今のところ全国的に空梅雨とTVはいうけれど、みさき砂漠の住人はひがみやすい。雨が降らないのはここだけやないかと疑うのである。季節を限らず、車でとなり町の驟雨を走り抜け、家に着いてみるとそこには雨の痕跡もないことが実際によくある。そんな時やっぱりここは砂漠やと思うのである。いっそラクダでも飼って、ハゲ頭にターバンで海水浴客相手にひとかせぎ出来ないかなどとあらぬ妄想、やっぱり頭がおかしい。梅雨、庭のあじさいに長雨がしとしとと降り注ぎ、無数のでんでん虫が板壁をはい上がる、ものうい気分でそんな光景をながめていた子供時代は、今やまぼろしとはなりにけり。
by mizzo301 | 2009-06-19 16:03 | エッセイ | Comments(0)

チンチンマッカ

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 今朝、海岸へウン歩(犬のウンチ散歩)におりる道で、何年ぶりかでアカテガニを見た。水辺からかなりはなれた場所でも住めるカニで、家のガレージをはっていたり町内の道路を横切っていたりと、昔はこのあたりでよく見かけたカニであった。それが自然海岸を海水浴場に造成しだしたころから、ぱったりと姿を見せなくなっていた。さては開発に抗しきれず、ここでは絶滅したものとばかり思っていた。その頃、海岸は大量の石材や土砂でみるみる埋め立てられ、Opaのちぬ釣り場もあっさりと破壊されてしまった。そこをダンプカーやショベルカーがうなりをあげて走り回る数年間があった。里海公園を作る大阪府の事業は、当時のOpaには単なる自然破壊だと思われた。だが出来上がった里海公園は、二つの海水浴場をふくめた臨海公園として人気を呼び、特に夏は人々でにぎわう。そんな公園を変節の人Opaは、今ではまんざらでもないと思い、アカテガニのことなどいつの間にかすっかり忘れていたのだった。思いがけぬカニとの再会には、正直ちょっと胸がときめいた。なつかしさがこみ上げる。甲羅の割に目立つはさみをふりかざしながら巣穴へ逃げ込む姿は、居酒屋のカウンターで見かける沢ガニに似ている。唐揚げにして食ってやろうか。ダメッ、いけませんッ!当地の人はこのカニを、チンチンマッカと呼ぶ。ここでにやにやした人ははずれ。ただ真っ赤であることを、地方では古くから俗にこういうことがあるそうだ。男性付随の小道具を思い浮かべた人、そんなものが真っ赤ではおかしいではないか。なるほどこのカニは濃厚に赤い。チンチンマッカは、真っ赤なカニさんというているだけのことである。かわいいではないか。長年低迷を続ける共産党なども、チンチンマッカ党などと改名すれば、案外かつての勢いを取り戻せるかもしれないよ。
by mizzo301 | 2009-06-18 12:18 | エッセイ | Comments(0)

お水のモンダイ

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 砂糖子(サトコ)さんはかつての教え子であり、仕事上の元同僚でもある。今は天文学者である夫君の研究の関係でカリフォルニアに住んでいる。その彼女から、Opaの眼を気づかうメールをいただいた。ありがたいことである。ところで彼女の住む南カリフォルニアは、水の豊かなところであるらしい。それを享受し時には浪費する人々の様子が文面からうかがえる。そこは元は砂漠性気候地帯の高級住宅街だという。なぬ、プールつきの高級住宅街とな・・まそれはいい、まずその水は砂漠地帯由来の地下水であろう。アメリカにはグレートプレーンと呼ばれる大穀倉地帯に、オガララ帯水層という膨大な地下水の層があるという。それは何万年という時間をかけて涵養された地下水であって、使えばもとにもどらない石油などと同じ貴重な資源なのである。それを農業や工業、生活用水として長年くみ上げ続けた結果、今やその枯渇が心配されているという。はたして砂糖子さんの住む土地はその帯水層に属さないようではあるが、浪費されるのが地下水であるなら運命は同じである。石油と同じで、人々にはそれが今日明日のこととは思えないから、水のらんぴは続くだろう。そして水は涸れる。その点日本は山の多い国だけに、地下水の涵養も比較的早く、湧水や河川水などでも生活用水が確保されている。日本とご当地ではかくも事情がちがうのである。実は最近、地下水関係を一冊読破したばかりで、わしの情報は新鮮なんじゃ。砂糖子さん、いつまでも水涸れのアメリカにいると、君は干からびた砂糖菓子(サトカコ?)さんになってしまうのだよ。
by mizzo301 | 2009-06-15 12:31 | エッセイ | Comments(1)

鳩の目の涙

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 日本郵政の社長人事で鳩山総務大臣が更迭された。麻生首相が自分の強力な元選挙参謀を切り捨てたのである。それも相手が辞表を出すのを待っていたかのような歯切れの悪さである。記者会見で、首相の判断は間違っていると明言する鳩山君の目に涙がにじんでいる。西山日本郵政社長の更迭を最後まで主張しつづけ、あげくに自分が盟友に更迭される無念の涙であろう。正義を声高に叫びつづける鳩山君は、なんだか芝居じみて見えたこともないとはいえないけれど、今回はやはり彼に一理ある気がする。かんぽの宿売却や障害者郵便割引など、日本郵政にかかわる責任の所在がうやむやになり、不正疑惑の解明がますます遠のきそうな気配である。観客不在の政界ドタバタ劇場から、民意はまた遠ざかる。あのなあ麻生君、人気のない座長の君をこれまで応援してたんは、君が日本初のマンガ好き総理大臣やったからや、その君自身がマンガになったらあかん。それではマンガにならんがな・・わしもうしらん、なんまんだぶ
by mizzo301 | 2009-06-13 23:44 | エッセイ | Comments(0)

若きピアニストのこと

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 四年に一度アメリカで開かれるバン・クライバーン国際ピアノコンクールで、全盲のピアニスト辻井伸行さんが優勝した。「音楽家としての評価に全盲かどうかは無関係、ひとりのピアニストとして聴いてほしい」と、ご本人のことばである。そうあるべきだとOpaも思う。演奏を聴く機会はまだないが、百万遍の拍手喝采を贈りたい気分である。彼は点字譜をなぞるのがまろしくて、全ての曲を聴いておぼえながら練習したという。しかもそれは独奏曲だけではない。室内楽から協奏曲にまでおよぶのである。そうなるとおぼえるのは自分のパートだけではすまない。曲中どの部分でどの楽器がどう演奏しているかを知らなければ、ピアノとあわせることは不可能である。ただあわせるだけではない。彼はそうして至高の演奏を聴かせるというのである。協奏曲では「指揮者の息づかいに耳をすませ、心に指揮棒を思い浮かべながら」演奏し、聴衆を熱狂させたと読売新聞のコラムは伝える。一般に音楽をおぼえるというと、カラオケを思い出す人もいるだろう。あれは単に一本の旋律をおぼえるだけ、九官鳥かカラス程度の芸である。音大生ならば聴音という科目を、すでに入試から経験しているであろう。教師がピアノで弾く旋律や簡単な和音を聴き取り、それを五線譜に書く単純な作業である。学生時代のOpaなど、それすらまともにできなかった。今は書く必要はなく、バイオリンの曲をひとつおぼえたいと思っても、どうしても脳みそで受けつけない。受付の窓口がまるで開かない。とにかくOpaにとって、音楽をおぼえるのはかくも難題なのである。だから余計に、辻井さんのすごさがよくわかる。すべての音楽を耳から脳にすんなり取り込み、まるでそこに作曲家別にきちんと整理された書架があって、必要に応じた曲を卓抜した演奏でそこから引っ張りだしてくるかのようである。しかもその書架は年々重みをますであろう。演奏を聴くまえから、とにかく彼はすごいのである。空洞脳Opaはそう思うのである。
by mizzo301 | 2009-06-13 12:52 | エッセイ | Comments(0)

梅雨の日のたわごと

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 ラジオで梅雨入りと聞いた二日目の朝になって、ようやくしょぼい雨が降り出した。これでも庭の草木には恵みの雨である。昨日までは、特にあじさいには朝夕にバケツ一杯の風呂の残り湯を特別にくれてやる日々であった。いよいよ五月雨にぬれそぼるあじさいの風情を楽しめると思うたら、明日からはまた晴天が続くとラジオの気象予報士がいう、なんでやねん。あじさいにしても、汗や脂くさい風呂の残り湯をあびるより、清らかな天水を受ける方がうれしかろうに。だがOpaとしては、天の恵みが少ないからというて、上水道水を花卉の水やりに使うのはあまりにもったいないと思うのだ。風呂は水替えをせずに二晩はたてる。その残り湯で洗濯、さらに残りをかん水用のペールにためて使うのじゃ。わしはエコじじいなのである。上水道の水がそのまま飲める国は、世界193ヶ国のうち、日本をふくめてわずか六カ国ほどなのだそうだ。それどころか、世界のほとんどの国々は水不足に悩んでいるのである。その貴重な水を流しっぱなしにして洗車をしたり、惜しげもなく庭にまいたりする国は日本以外にはほとんどないという。オーストラリアなどでも、放水は禁じられていてバケツ一杯の水で洗車をすませるという。われわれは水の豊かな国にいるあまり、その有り難みを実感できないのである。金遣いの荒いことを金を湯水のようにつかうというが、水のないアラブの金満国などからみれば、日本人は湯水を金のようにつかうと見られているのかもしれない。
by mizzo301 | 2009-06-11 00:01 | エッセイ | Comments(0)