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<   2009年 03月 ( 4 )   > この月の画像一覧

WBC決勝戦

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 ショッピングモール内のジョーシン前に大きな人だかりが出来ている。そこへ首をつっこんで見ると、液晶大画面はWBC決勝戦の土壇場である。延長戦十回の裏、抑えの投手ダルビッシュの好投を食い入るように見つめる人々。つっこんだOpaの首もついそのまま引きつけられて観戦。ついに侍日本優勝の瞬間、ワォッとささやかな歓声とまばらな拍手。人々は満足しきった顔つきで、三々五々ショッピングに散っていく。心配のあまり、強敵韓国に破れ、刀おれ矢つきて日本へ逃げ帰る侍たちの悪夢をみた人もいるだろう。みんな大いに溜飲を下げたにちがいない。殊勲の侍たちにしても、さすがに喜びとその興奮は伝わるが、勝ち誇るあまりの派手なパフォーマンスや大騒ぎはみせない。ましてやマウンドに日章旗を立てる、お子様ランチなど論外である。感動と控えめな興奮は、わが同胞の美徳であるとOpaは確信した。これまで不調に苦しんだイチローが大写しになる。眼が赤くうるんでいる。ハイビジョンってすごい!
by mizzo301 | 2009-03-26 17:02 | エッセイ | Comments(0)

本日休診

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 土曜日の朝、絶好の行楽日和である。医者がよいは気が進まぬが、重い腰を上げて眼科へ行ったらシャッターが下りている。第三土曜の休診日であった。ここはいつも混んで待ち時間が長い。だが白内障手術のことも気にかかる。思いきってやって来てこのありさま。思いっきり腰がくだけた。診察券をよく見ればわかったことやのに、あほくさ。
 腰のまがった老婆がひとり、口をあんぐりと開いたままシャッターに向かい合っている。休診を知らずにやって来たうっかり仲間らしい。シャッターに書かれた診察日を読んでいるものと気にもとめず、声もかけずにその場をはなれた。かなり歩いて振り返ると、まだ彼女はそのままの姿勢でいる。眼科の患者であれば、視力がとぼしくてシャッターの文字がよく見えないのかもしれない。休診の事情がのみこめず、困惑してその場に立ちつくしているのだろうか。少し行ってまた振り返ると、老婆はまだそこにいた。引き返してひと声かけようかと一瞬迷ったが、ついそのまま帰宅した。翌朝まだ眼科の前にいる老婆を見かけて、ふと目がさめた。小心者の夢はかなしい。
by mizzo301 | 2009-03-22 15:37 | エッセイ | Comments(0)

トリオの時間

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 若き現役のチェリストマリちゃんを頼み、大学同期のピアニストあいさんをトリオに誘ってかれこれ八年になる。ベートーベンを手始めにその間手がけた曲は数知れず、自慢にもならないが満足に仕上げた曲は一つもない。あこがれの名曲を手当たり次第に弾いて、自分たちだけで楽しんでしまおうという腹である。もとより人様のお耳には、ただの騒音である。この間の日曜日、練習はまずあいさんご持参のすしをつまむことから始まった。めし粒のついた指でブラームスを開く。ピアノトリオ第一番ロ長調、CDで聴く流麗なこの名曲が、わがトリオの手にかかるとたちまちとっつかみあい同然の迷曲となる。それでも出だしはいつも順調。ピアノの序奏にチェロの旋律が優雅に溶けあい、やがてそこへOpaのバイオリンが加わり、いつも雲行きをあやしくリードする。にごった視野のむこうにうごめく無数のおたまじゃくし。調子っぱずれのバイオリンが頭にきたのか、ピアノあいさんが突然、年齢をみじんも感じさせぬ鮮烈なビートをたたき出す。やがて三人はブラームスの紡ぐリズムの錯覚のわなにはまって、音楽は急停車。繰り返すこと京の都は百万遍、休憩である。どら焼きをほおばって渋茶をすする。こんな具合で、とにもかくにも第二楽章のFINEにたどりついた時は奏者三人へとへとで、本日の予定終了。いったいどこが面白いのやらさっぱりわからないが、なにやら楽しい脱線トリオ、草場の影でブラームスのひげ面が苦虫をかみつぶしているかもね。
by mizzo301 | 2009-03-14 12:36 | エッセイ | Comments(0)

片目のつきあい

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 昨年の春から右眼がぼやけるのはレンズのせいかと、しきりに眼鏡をふいてみたが効果がない。さては目の異常かとようやく気づいて、眼科へいったら白内障であった。ためしにパソコンに向かい左眼を閉じると、右目だけではメールの文字も判別できない。薬の効能書きなどは文字が小さすぎて、両眼でも判読不可能である。ゆえに薬は適当に飲んだりつけたりすることになる。それでも生活にはさほど不自由を感じないから、手術にはふみきれないでいる。まさかとは思うけれど、白濁した目玉をほじくり出して、冷蔵庫から取り出した新品と交換するようなイメージが浮かんで手術はこわいのである。それに右眼の不自由な仲間がうちにはもう一人、いや一尾いる。睡蓮鉢の生き残り四尾の金魚を、昨年の秋も寒くなり始めたころ屋内に移した。今まで上からながめていたのを、横から見るようになったのである。そこではじめて一尾に右眼が無いのに気づいた。白内障どころか全く目がないのである。眼窩の痕跡も見られない生まれつきの隻眼であるらしい。ところがこの金魚ひときわ活発に餌をくらい、四尾の中で一番大きく育っている。水槽から片目でOpaをにらんで、白内障がなんやねん、それより餌を早くと毎朝せかしよる。そんなつき合いが、ますます手術の日を遠ざけていくような春の日だまりである。
by mizzo301 | 2009-03-01 22:50 | エッセイ | Comments(0)