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<   2008年 10月 ( 5 )   > この月の画像一覧

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 犬を連れていると、入場を断られることがよくある。去る夏の長野は善光寺、戒壇巡りに並んでいると、坊主が飛んできて「とととんでもないっ!」といい、東山魁夷の展覧会では、受付のきれいなお姉さんに「犬はちょっと・・」と断られた。どちらも理由はいわず、問答無用の門前払いである。宗教も芸術も、犬に小判ということらしい。ホテルやデパート、レストランはいうに及ばず、関空のビルまでが犬の立ち入りを禁止している。これも理由はわからないが、おそらく「保健衛生上のむにゃむにゃが・・・」などというのであろう。旅の後先、愛犬と情を交わすほんの少しの時間が許されない。だが飛行機に搭乗する場合は別らしい。金さえ払えば、犬の顔も大きくなるのである。
 最も不便に思うのは、簡単に外食できないことである。犬もOKの飲食店はあるにはあるが、日本では簡単に見つかるほどの数はない。これももっともらしい「保健衛生上の・・」のせいであろう。西欧の飲食店で、主人が食事をするテーブルの下に、大きな犬がうずくまっている、よく見かける光景である。だがそれで、保健衛生上のいざこざをまだ聞いたことはない。日本の飲食店が、犬の立ち入りにもう少し寛大であってほしいといつも思う。中国や韓国のように、鍋にまで入れてもらおうというわけではないのだから・・・
by mizzo301 | 2008-10-31 11:51 | エッセイ | Comments(0)

ボルゾイの小山

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 わが町内ではうん歩、すなわち犬のウンチを残さない散歩がほぼ常識である。人目のないのをいいことに、湯気の立ちそうなのを道に残している御仁も居るには居るが、今や明らかに少数派である。やはり犬の排泄物は大事に持ち帰ってトイレに流し、人のそれと厳かに合祀するのが理想である。Opaの場合、愛犬ドンが排泄するやすぐさまトイレットペーパーをちぎってブツにかぶせ、ポリ袋に手を突っ込んでそれをつかみ取り、袋をくるりと裏返して口を結ぶ。時折スーパーで水茄子の漬け物を、備え付けのポリ袋でぬか味噌の樽から直接つかみ取りで買う、まさにあの要領である。そんな機会があれば、犬のウンチと向き合うOpaの苦労を偲んでいただきたい。
 さて話は遙か数年前のウィーンである。ある日、マリアヒルヒャーの繁華な通りで、一頭のボルゾイを連れた男に出会った。その犬の気品と見事な毛並みは人々の目を引き、いかにも自慢げに見えた。ところがそのワン公、Opaの目前で突然そんきょの姿勢をとり、ウンチキチンをひねり出し始めた。道行く人のひんしゅくの眼差しを浴びて、男はさすがにばつの悪そうな表情を見せたが、事が終わると何食わぬ顔で犬を引いて立ち去ったのである。大型犬ボルゾイのそれは、雑踏の歩道に小山を築いて置き去りにされた。結構な人出である。翌朝、散水車が全てを洗い流すまで、それがそのままの姿であるとは考えられない。うっかりその小山をこね回すことになる、不幸な靴がそこを通りかかるのは時間の問題でる。実際あの町では犬のウンチによく出くわす。ベートーベンを育んだ楽都ウィーンは、時々糞都(フント)でもある。そういえば犬はドイツ語でフント(Hund)であった・・・
by mizzo301 | 2008-10-25 16:18 | エッセイ | Comments(0)

ウンポの季節

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 天高くウンポの秋である。ウンポとは、飼い犬のウンチを始末しながら行く散歩である。新語であるから辞書にはない。よく見ればこの言葉、湯気の立つのが見えるほどに新しい。雲歩と漢字を当ててもよい。朝夕は特にウンポする人が多い。当然ながら愛犬のウンチの不始末は許されない。みんな何らかのウンチ始末グッズをもって、愛犬のリードを握っている。大抵は小さなバッグにポリ袋などを忍ばせている。小さなバケツに水を入れ、デッキブラシを持っている人を一度だけ見かけたが、犬の散歩にこれだけの重装備は大変である。けだしこの町内、最初から犬の糞始末に熱心だったわけではない。現にOpaなど、人家の少なかった頃は、キョロリとあたりを見回し、愛犬の糞を側溝へけ落としたりしていた。住人の増えた今はそうはいかない。篤志家の女性愛犬家が、ペット通信などを全戸に配布、特に糞の始末を呼びかけている。啓蒙の力である。特に見張られているのでもないのだが、密かに犬ウンチ管理機構、略してICAなるエイジェントが存在するかのようである。Opaのウンポコース、ある角家に一人の同年配とおぼしきおやじが、いつも車の手入れをしている。そのおやじ、あたりを犬連れの老若男女ウンポマンが通る度に仕事の手を休め、じょうろを持ち出して、辺りかまわず消毒液をまくのである。その行為、誠に露骨でいやみたらしい。ICAの手先にちがいないとOpaはにらんでいる。
by mizzo301 | 2008-10-18 11:26 | エッセイ | Comments(0)

つくつく法師の頃

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 朝夕すっかり涼しくなった。十月八日頃を寒露というそうだ。そんな朝、季節外れのつくつく法師が鳴いている。秋菊の庭にたったひとり、ツクツクオーシと声をはげましている。その蝉の孤独を思って、励ましてやりたい気分である。つくつく法師を聞くと必ず子供の頃の夏を思い出す。この蝉の盛期はお盆明けからである。朝の六時頃、丸で機械のスイッチが入れられたかのように、一斉に騒ぎ出す。ジジジッと音程をせり上げ、ツクツクツクッと前ぶれがあってようやくツクツクオーシと歌い出す。ひとしきり歌い終わると、ツクイーヨツクイーヨと歌を変え、ジジジジッと音程をずり下げて終わる。彼らの歌い方は複雑で、ミーンミンミンと餃子の宣伝を繰り返すミンミン蝉や熊蝉など他の蝉たちとはひと味ちがってよく目立つのである。いや、耳立つというべきか。雑木林から聞こえるつくつく法師の大合唱はまた、子供達に夏休みの終わりが近いと教える歌でもあった。Opaなど小学生時代は、この声を聞くと、ほとんど手つかずの宿題を前に毎年絶望していたものである。結局宿題はせずじまいで登校、破局の新学期を迎えたことも何度かあったはずである。さてそれでどうなったのか。今も自分に都合の悪いことは、すぐにすっかり忘れてしまうのは、どうやらOpa子供時代におぼえた特技であるらしい。
by mizzo301 | 2008-10-09 15:40 | エッセイ | Comments(0)

猫の家・・

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 このところFM放送の雑音が激しい。バリバリッ、バリバリバリッと断続的に音楽を八つ裂きにしてくれる。朝の読書タイムが台無しである。近所の新築工事で使う、電動工具が電波に影響するらしい。抗議をする度胸も無いのに現場に行ってみた。なるほど、様々な電動工具がけたたましい音を立てている。足場囲いに大きな文字でタマホーム、なんだ猫の家か?いや、工務店の経営者がきっと猫好きなんだ。犬好きならポチホーム、虎好きならトラホームである。基礎に大量のセメントを流し込み、しっかりと筋交いを入れて、耐震の工法が見て取れる。阪神大震災で大揺れに揺れた、築四十年のあばら屋亭主としてはうらやましい。あの朝は地震に揺り起こされ、恐怖で腰が抜けて、足許にテレビが転がり落ちても起き上がれなかった。来るべき南海地震が怖くて心配である。震度6以上だという。我が家は倒壊、我が身は押しつぶされて人型煎餅にならんとも限らない。だが今更、家を建て替える気力も金もOpaには無い。目の前で建ちつつある頑丈そうな一軒、FM放送の雑音が消えたら完成ってことか。近所の人間煎餅を尻目に、きっと南海地震で自分だけが生き残る算段だな。ムッ、猫の家め・・
by mizzo301 | 2008-10-03 19:48 | エッセイ | Comments(0)