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<   2008年 08月 ( 6 )   > この月の画像一覧

平成くそ取りの翁

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 娘夫婦のシーズー犬、シー子が来た。飼い主夫婦が一週間、バイオリンで韓国へ出稼ぎに行く間預かれという。シー子はさびしい。初日から玄関に座り込んで、飼い主を待ちわびるシー子の背に孤愁が漂う。そんな人の、いや犬の気も知らずにじゃれつく新参者ドン、遊び盛りの幼犬である。今のシー子はそれどころではない。やがて彼女のいらいらは頂点に達し、猛然とドンに怒りをぶつける。その大きな目は憎悪とやるせなさ、絶望の涙で真っ赤である。ついにその夜はストレスからの下痢が止まらず、衰弱が目に見えて哀れであった。だがこれは、環境に慣れるには一度は超えねばならぬ試練である。諸君、心配はご無用。練達の犬飼、この家の住人の手厚い介護と深い愛のお陰で症状はみるみる改善され、なんと翌夕には早くも鋼鉄のウンチをたれるまでに彼女は回復したのである。執拗にじゃれるドンを、相変わらず邪険に追い払うシー子ではあるが、その目から憎しみの色はすでに消え、なぜかその身からは孤愁の陰も消え失せている。今や愛しい飼い主のことなどすっかり忘れたかのようにくつろいで、堅いウンチを垂れている。幼犬ドンも負けじとでかいウンチを垂れまくり、その収拾にOpa大わらわ。やがてキムチを携えて帰朝した娘夫婦に抱かれ、シー子はさすがにうれしそうに帰って行った。平成くそ取りの翁、大活躍の一週間であった。
by mizzo301 | 2008-08-27 19:49 | エッセイ | Comments(0)

キュウリの決意

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 初夏からよく採れたキュウリに味をしめ、七月末に再び種を蒔いた。実るかどうかもわからない、キュウリの二期作である。さっぱり雨は降らないが、にわか農夫の熱心な灌水のお陰か大量に発芽、育った苗から強そうな五本を選んで植えた。今では蔓をからませながら、スパイダーマンさながら、えらい勢いでネットに這い登っている。一期目のキュウリと違うのは、その蔓の絡ませ方が実に念入りで、少々の風には耐えてみせるぞという、キュウリの堅い決意を感じさせる事である。まさかキュウリに作為はあるまいが、種類の違いによるのだろう。早くスパイダーマンをもろきゅうにして一杯やりたいぞ。
 などと妄想にふけりつつ、食ったカボチャの種を庭に蒔き捨てた。これがまた皆さん元気に発芽、思わぬ養育義務を負ってしまった。芽の出ない種を爪で開くと、種の形の小さな葉が二枚薄茶色に変色している。双葉はその植物の種の形やったんや、と老人気づく。これまた強そうなのを二本選んで植える。日本の農業は健在である。早く甘いカボチャの煮物で一杯やりたいぞ。だが今頃植えたカボチャできまっしゃろか、気になって老人寝られへん・・。
by mizzo301 | 2008-08-20 12:34 | エッセイ | Comments(0)
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 子供時代は里山に近い暮らしであったから、海を見る機会は滅多になかった。海水浴など、一夏に一度もあればそれだけで一大事業である。まず前夜、母親即製の小さな巾着に、煎った空豆をつめる。これを水着の腰にぶら下げて泳ぐと、堅い空豆が適度にふやけて食べやすくなるというのである。昼食時は浜茶屋の桟敷を借りて、持参の梅干し入りおにぎりをほおばり、古い水筒で持参した茶を飲む。後は腰の巾着から取り出した空豆をかじる。食うことと海水のただならぬしょっぱさ以外当時の記憶はほとんどないが、珍しい海での体験は、少年Opaにも楽しかったはずである。
 奇しくも海辺に暮らして四十年、変容を続ける海岸の風景が目の前にあった。大阪に僅かに残る自然海岸も今や新しい海水浴場に変わってしまった。夏、ここには海を求める車の大群が押し寄せ、たちまち小さなテントが立ち並ぶ。そこここでバーベキューの煙が立ち始める。飲み物や食い物をを手に、子供も大人も煙の中ではしゃいでいる。行けども行けども焼き肉の香りと煙、日曜日の静かな夜明けの海岸は、わずか数時間でまるで難民キャンプさながらの大混雑である。人が豊かになるとはこういう事だったのか、これじゃコートダジュールならぬコートダジュージュ、焼き肉海岸である。おにぎりと空豆の時代が懐かしい。
by mizzo301 | 2008-08-12 12:10 | エッセイ | Comments(0)

海水浴の風景

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 灼熱の太陽を覚悟して、カメラを持って海水浴場へ下りてみた。夏休みの日曜日とあって、大勢の人たちが海を楽しんでいる。思い思いに遊泳する人々、浜でバレーボールに興ずる若者達、にぎわう浜茶屋、海水に消えないインクのタトゥーショップにも人が群がる。パラソルの陰で太鼓腹のはげ親父が缶ビールをあおる、傍らで子犬と戯れる幼い女の子、小さなテントになぜか猫を抱いたギャル。泳ぐとは限らない。そばに海があるだけで、この暑さを忘れたかのように人々がくつろいでいる。色とりどりのパラソル、海をへだてた淡路島に入道雲、絵に描いたような箱の浦の夏である。
 昔、大阪人はこんなに遠くまで海水浴には来なかった。堺は大浜、浜寺など、有名な海水浴場が大阪のすぐ近郊にあったからである。六十年の昔、小学校三四年のOpaは、年長の友サッチンと二人で浜寺へ海水浴に行ったことがあった。四歳年長のサッチンはおそらく中学一二年生じゃなかったか、何かにつけて泣き虫Opaの心強い先達であった。電車賃となけなしの小遣いを握って、電車を三つも乗り換えて行く浜寺、子供にとっては大旅行であった。その時海でどう遊んだかはすっかり忘れてしまったが、忘れられないことが一つある。駅に向かう砂地の道で、街頭写真師に呼び止められたのである。有り金は電車賃を除くと、とても写真代には足りないが、若い写真師はそれでも良いという。カメラの前に並んだ二人に、写真師は二度シャッターを切った。あれから六十有余年、写真は未だに届かない。
by mizzo301 | 2008-08-11 15:54 | エッセイ | Comments(0)

まだ雨が降らない・・

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 昨日、干天を嘆いて雷神に立ちションを願うた。それが聞き届けられたか、夕刻遠い雷鳴の後、わずか数十秒の雨音、立ちションにしてもあまりに少ない。庭を潤すにはほど遠い小便、いや小雨である。泉南の雷さん、前立腺は大丈夫かえ?朝刊は昨日の激しいにわか雨での、大阪各地の浸水騒ぎや鉄道の遅れを伝えている。同じ大阪の出来事とはにわかに信じがたい。もしやここは大阪と違うたんかい、雨の降らぬここは一体どこなんじゃい、とまあ温厚なOpaの八つ当たり。予報によれば、今頃このあたり激しいにわか雨のはずだが、何のことはない、曇りこそすれ雨の気配は丸でない。気象庁がご自慢のアメダスもここでは丸でダメダス、いっそアメダセと叫びたい。乾きすぎて、酒で中身スカスカの禿頭にひび割れが生じぬかと心配である。
by mizzo301 | 2008-08-07 19:39 | エッセイ | Comments(0)

雨が降らない・・

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 暑い上に雨が降らない。阪神地区が災害になる大雨も、ここいらではパラパラと申し訳程度のお湿り。泉南、特にその南部は雨が少ないとはいう。夕方の潅水で庭の植物たちは乾燥にようやく耐えている。毎日上水道の水を大量に撒く。水道代も馬鹿にならない。それより、世界の水不足を思うともったいない話である。TVなどで、生活用水にも事欠く人々をしばしば見る。だが熱暑にあえぐ庭に水をやらぬわけにもいかず、どこか後ろめたい日課の潅水となる。水に恵まれた日本の幸運を思わずにおれない。
 こう降らないと雨が恋しく懐かしくさえある。先ほどから思わせぶりな雷鳴が遠くで響く。だが毎夕それだけで終わってしまう。雷神よ、貴公の立ちションでも良い、ここいらで一雨恵んでくりゃれ。
by mizzo301 | 2008-08-06 19:05 | エッセイ | Comments(0)