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<   2008年 05月 ( 6 )   > この月の画像一覧

ある日の徘徊

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 今日はすでに夏の陽気である。珍しく電車で外出、天王寺、久しぶりに都会へ来たような気がする。四十数年来の友、宮氏とホテルのロビーで会って、一杯のコーヒーで話し込む。今や共に年金受給者である。だが彼との会話の楽しみは若い頃と変わらない。独裁政権、災害、年金、メタボ、ヘルニア、餓死老死、暗い話題で大いに盛り下がる。奈落の底でお開き、宮氏と別れてなんばへ。魚を蒸す特大の中華鍋を求めて道具屋筋をさまようが、電車の時刻を思うと今日は時間切れ。のぞきたいのを我慢して書肆ジュンク堂も素通り、今や国際都市となった千日前に至る。韓国語や中国語のあふれる雑踏をかきわけ、よろめきながらビックカメラ五階まで這い上る。年寄りに人混みはこたえる。貯めたポイントで買おうと思ったマリオカート完売御礼、がっかり。仕方なく駅に向かう。腹の虫の指図で高島屋の地下食品売り場へ下りてうろうろ、何を見てもうまそうで困る。売れ残りの鶏モモ唐揚げを五百八十円で買う。さらにパンを買えと腹の虫がいう。パンならホクオーと一階上がる。ここも久しぶり、なにっ、フランスパン一本が二百七十三円ムムッ、買わずに店を出る。パンの両端のかりかりした食感が匂いつきで追いすがる。フランスパンの一本くらい買わないでどうする。引き返して店の表で小銭入れの中身を数える。きっちりと握った二百七十三円をレジに置いて、めでたくパン購入。午後七時、唐揚げとパン自動改札無事通過、予定の電車で居眠り。我ながらいかにも年寄りじみた一日だと思った。
by mizzo301 | 2008-05-30 18:53 | エッセイ | Comments(0)
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 ミュージカル映画の傑作、サウンドオブミュージックは事実に基づいて制作されたといわれる。何度見ても終盤の部分では緊張ではらはらとさせられる。フォン・トラップ一家が亡命を決意、夜陰にまぎれて屋敷を出ようとする。それを見たナチ党員の冷徹そうな執事の密告で、追っ手の待ち伏せに会う。音楽祭のすきをみて一家は近くの修道院に逃れ、墓地にかくまわれる。追っ手は一家の潜む墓所の鉄格子をガシャリガシャリと揺さぶり、懐中電灯の光で探索する。いつ見ても息を殺して見入ってしまう場面である。修道女達の機転に助けられ、一家はあわやというところで脱走、徒歩で国境を越えてスイスの山地とおぼしきところを行く、観客はほっと安堵の胸をなで下ろして映画は終わるのである。
 最近テレビでフォン・トラップ一家の次女、1914年生まれのマリアさんが、当時の事実を語るのを見た。当家の執事はナチ党員ではあったが、当主のトラップ男爵とその一家には好意的で、自分が一家の様子を上層部に報告しなければならない事を告白、食事時に政治の話題を避けて欲しいと頼んだそうである。また一家の渡米に際しても、国境の封鎖が近いことを教えて、行くなら早くと促したそうである。一家は家族合唱団として当時すでにかなり有名で、渡米はアメリカからの演奏会招聘であったという。当時の政情から出国は亡命に等しかったが、映画のようにナチスに追われて命からがら逃げたのではなく、汽車で故郷ザルツブルクを離れ、イタリアを経由して英国からニューヨークへ渡ったという。
 映画のスリルに満ちた逃走劇とは随分ちがうのである。だがマリアさんの語る無一物でのアメリカ生活は、一家にとって並大抵の苦労ではなかったようだ。ナチスを忌避したトラップ一家の苦労を、微笑みを浮かべて静かに語る老女に漂う気品は、かつてオーストリア貴族の一員であったまぎれもない証であろう。
by mizzo301 | 2008-05-24 17:37 | エッセイ | Comments(0)

中国で大地震

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 中国内陸部で未曾有の大地震が起きた。四川省を中心に、広範な破壊に伴う膨大な死傷者の数が報じられている。昨夏訪ねたばかりの思い出の土地だけに驚きは大きい。思いがけぬ不幸と悲しみにみまわれた彼の地の方々に、心よりお見舞い申し上げます。
 この地震の規模は桁外れに大きくて、日本全体がすっぽり入るほど広範囲に激しく揺れたそうである。あの阪神大震災で揺り起こされ、寝ぼけたまま腰を抜かして起き上がれなかったOpaなど、きっと気絶かショック死するほどの激しい揺れであったようだ。残念なのは、外国の救援部隊を中国が早急に受け入れなかったことである。瓦礫に埋もれた行方不明者を、一人でも多く救出生還させることを思えば、その受け入れは一刻も早いにこしたことはない。即刻の受け入れを躊躇した為政者の判断には、多くの人が疑問を感じたところである。
 寸刻をあらそう危急の時に、救援活動に対する行政の判断が鈍いのは、日本も全く同じであることをあるTV番組で知った。あの阪神淡路大震災では、目と鼻の先の伊丹で救援待機をする自衛隊に、時の兵庫県知事が出動要請を出すまでに四時間もためらっている。しかも救援活動を申し出た米軍艦船の神戸入港を拒否したそうである。その上、医療活動を申し出た外国の医師団の受け入れを拒否している。理由は、日本の医師免許を持たないからだそうである。人命の危機を目前にしてなお、普通では考えられない判断が下されるのである。外国の救援チーム即時受け入れを躊躇した中国のことを、危急存亡の時に判断を誤ったなどと非難する資格は、日本人にはないのである。
by mizzo301 | 2008-05-19 23:11 | エッセイ | Comments(0)

Wiiがやって来た!

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 Wiiが来た。自分で来るわけはない、いい年をしてまたゲーム機を買ったのである。初代ファミコン以来これで六台目か。買えとせがむ子や孫と住んでいない老人が、自分にゲーム機を買うには勇気が要る。それでも欲しいと思えば矢も楯もたまらずJ電機へ出向く。店頭では孫にでもせがまれた買い物を装って、展示商品をいじくりたおす。見かねた店員が近づいてきて、こちらのソフトなどは、小さなお子様でも遊べますよなどという。一人芝居はうまくいっているようだ。後期高齢者でも楽しめますか、などとはきかない。店員はメンバーが増えても遊べるようにと、本体以外のパーツも数点奨めてくれる。孫の友人用にということか。メンバーは増えようがないが、これも黙って買うことにする。孫持ち老人を気取ると高くつくのである。でもこれでゲーム機を独り占めにして、思い切り楽しめると思えば背に腹は代えられない。へそくり通帳から、またうん万円が消えた。
 Wiiは高機能である。早速LANに繋ぐ。それよりゲームである。店員お薦めのお子様ソフトと一緒に、体調管理やトレーニングの出来るソフトを一緒に買った。これはフィットネスクラブを自宅に開設したようなものである。Opaはもっぱらスキーでバランス感覚を磨いている。テレビの雪面を、旗を倒さずに何度も滑降する。面白くて止められない。ご飯だから止めなさいいうお母さんもすでにいない。うらやましいか子供たち。わしはゲーム老人である。
 大人も初めは子供だった、というウォルト・ディズニーの言葉がある。本当のところ、大人はいつまでも子供なのかもしれない。あるいはOpa一人、脳の退化が進んでいるだけなのであろうか。
by mizzo301 | 2008-05-09 12:30 | エッセイ | Comments(0)

大阪の品格

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 大阪の品格を問うの副題で、橋本知事による府の文化政策の成り行きを案じる記事を読んで、深く共感させられた。4月29日の読売紙上、評論家で劇作家の山崎正和氏の一文である。文化を、道路や医療、教育などと同等の基本的な社会インフラと位置づけ、財政改革で行政の無駄を省きたいあまりに、文化を優先して削る愚を鋭くついている。特に震災後、文化立県をめざした復興を進める隣県兵庫に比べ、進行しつつあるポスト工業化社会への、大阪の展望のなさが浮き彫りにされる。さらに、財政難といえば文化を削るのは、この国の体質的な病弊と断じてその一文は終わる。
 大阪センチュリー交響楽団を運営する、文化振興財団も補助金停止を検討される対象であるようだ。交響楽団が他の文化施設と存在価値に優劣があるわけではないが、決定的に違う一点がある。それは他の施設の大半が箱物であるのに比べて、楽団員という数十人の生活者で構成されていることである。六月に大局的判断を下すと知事はいうが、それまでの楽団員と家族の不安な心境は察するにあまりある。その判断は、彼らの生活を直撃するかも知れないのである。今この時にあってもなお良い仕事、すなわち良い音楽をせねばならない彼らに同情を禁じ得ない。大阪の品格は、今まさに問われているのである。
by mizzo301 | 2008-05-03 17:01 | エッセイ | Comments(0)

シェーバーフェチ

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 J電機へ注文したシェーバーが届いた。N社の最新鋭機種である。三万円以上という値段に迷ったが、髭面Opaにカミソリは欠かせない。就職して最初のボーナスで、あこがれの回転式三枚刃フィリシェイブを手に入れて以来およそ半世紀、買った電動カミソリは恐らく20台はくだるまい。現にフィリップスが2台、ブラウン、レミントンが一台ずつ、今回を含めてN社製2台と計6台の電動カミソリが手元に転がっている。買ってはみたが使い心地に満足出来ず、しばらくは安全カミソリでつるりと剃り上げる快感にしたる。最新電動シェーバーの広告を見て、また欲しくなり性懲りもなく買う。思えば安全カミソリと電動カミソリの間を行ったり来たりの五十年であった。
 髭は毎朝剃らないと、顔面に雑草が芽吹いたようで落ち着かない。いわば顔の草刈りである。あまりに面倒だからしばらく剃らずにいたことがある。イスラム指導者のような立派な髭を、無謀にも自分の顔にたくわえようと試みたのである。無精髭を我慢して伸ばし続けた結果、やがて顔面は枯れススキや雑草の生い茂る、見るもあわれな初冬の草原となった。イスラム指導者の髭とは似ても似つかぬみすぼらしさである、がっかり。以後髭剃りは,毎朝欠かせぬOpaの宿命とあきらめた。1回に約15分の作業で、人生のおよそ190日分を髭剃りに費やした勘定である。同じ毛である。これだけの分をなぜ頭に生やしてくれなかったのかと髪を、いや神を恨みたくなる。
by mizzo301 | 2008-05-01 16:33 | エッセイ | Comments(0)