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どうした第九?

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 最近ベートーベンの第九があまり聴かれない。年末ともなれば日本中のオーケストラと合唱団が、狂ったように競い合っていた第九である。それがこの頃ではコンサートの広告すらほとんど見かけない。かつて第九の人気は絶大で、このコーラスを歌いたいために全国を渡り歩く、第九旅鴉もいるという。なのにこの異変である。さぞ一宿一飯も世知辛くなって、渡世人、第九旅鴉の苦労が思いやられる。
 戦後、日本のオーケストラはどこも貧しかった。大勢の楽員を養うのは大変である。不安定な演奏会収入と各種助成で賄う台所である。その当たりは今もあまり変わらないのかもしれない。だが昔は本当に貧しかった。 そこで第九が登場する。第九を歌いたいアマチュア合唱団員はごまんと居る。彼らは無報酬、おまけに大量のチケットを嬉々として売り捌いてくれる。さらに人類愛とやらを高らかに歌い上げる第九は、見事戦後の聴衆を引きつけた。貧しい現実から逃避するにはもってこいの派手やかさである。第九は当たるのである。それに目をつけない楽団はない。たちまち日本の年末年始は第九列島となり、世界で一番多く第九を演奏する国となった。高度経済成長時代の賃金闘争を経て、オーケストラ団員の待遇は格段に改善されたが、それでも第九ブームは収まらず約半世紀続くことになる。それがここへきて突然の不人気である。今は同じベートーベンの第七交響曲の人気が高い。なんでも、コミックがドラマ化された「のだめカンタービレ」の影響だという。
 かつて第九はオーケストラの越年資金、いわゆる餅代稼ぎであった。ここへ来ての第九不人気は、日本人が昔ほど餅を食べなくなったせいに違いない。
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by mizzo301 | 2007-12-31 10:14 | エッセイ | Comments(0)

老犬逝く

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 犬が死んだ。昨夜の事である。その前から食べなくなり、わずかに水を飲んで横たわるばかりであった。やがて肛門と口からどす黒い体液が流れ出す。細い呼吸、時々四肢を前後に振るわせる。海岸を駆ける夢でも見ているのだろうか。旅立ちの近さは明らかである。遅い夕食を食べながら、老犬の旅支度を見守るほかはない。ついに体液の滲出はぴたりと止んだ。深い純白の毛並みにわずかな体温を残して、すでに呼吸はなかった。俗名ドン、享年18歳、静かな旅立ちであった。
 Opaの人生には常に犬が居た。だが己の歳を思うと、これ以上犬を飼うわけにはいかない。ドンはOpaにとって最後の愛犬である。別れの辛さが身に沁みる。蕾をつけた椿の根方に、腰痛をおして深い墓穴を掘った。この家の周囲には何頭の犬が眠っているのだろう。だがもう犬の墓穴を掘ることはない。穴の底にドンの骸を置いて、土をかける。白い毛並みは瞬く間に見えなくなった。ゴム長で土を踏み固め、その上に花の鉢を置いて弔いは終わった。無宗教のささやかな家族葬である。だがクリスマスイブの夜に召された老犬には、神の福音があるのだろうか。
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by mizzo301 | 2007-12-25 12:49 | エッセイ | Comments(1)

オーケストラに誘われて

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 高校時代からの友、二原ヒロシがオーケストラに誘ってくれた。聴くのではなく弾くのである。市民のためのクリスマスコンサート、モーツアルトとベートーベンの交響曲だという。いずれも大曲である。それにしてもOpa、K響を離れて四十数年、誘いは嬉しいがプロ奏者の中で今やバイオリンをまともに弾く自信はない。昔の仲間も大勢来るから気楽にやんなよ、と二原ヒロシはいう。その声に背中を押されてというと嘘になる。自信がないのは本当だが、やりたい感だけは身からこぼれるほどである。だがあっさり引き受けたのでは謙虚さが足りない、二三度渋い返事を繰り返す。だがそれ以上渋いふりをすると、それならと電話を切られそうになった。やりますやりますと、あわてて二つ返事。
 昨夕初めて練習場へ向かう。二原ヒロシと二人、バイオリンを提げて大通りを歩く。半世紀近い昔のK響時代、京都ではいつもこうだったなあ。懐かしさがこみ上げる。さらに練習場では、すでに年配者となった懐かしい面々と再会、いずれもK響を勤め上げたベテラン奏者達である。ふと昔の楽団に戻ったような気分になる。自信のなさからくる緊張と不安が大いに和らぐ。
 練習が始まった。お隣はコンサートマスターN村さんの令嬢A子さんである。タクト一閃、ベートーベンの厖大な音列が津波となって激しく押し寄せる。バイオリンを支えるOpaの左手は丸で金縛りである。一方A子さん初め、若い女性奏者たちの白魚のような指はバイオリン上を自在にはね回る。早いパッセージなどに何の困難も感じないらしい。もはや哀れな老奏者は禿頭にあぶら汗をにじませ、息も絶え絶えの体たらくである。これじゃ二日後のステージまで生存すらおぼつかない。などといいながら、本当は楽しかったのである。Opaにとってはデジャブのようなまさかの夢実現である。これは二原ヒロシがくれた人生最大のクリスマスプレゼントかもしれない。
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by mizzo301 | 2007-12-22 12:46 | エッセイ | Comments(0)

根来寺の紅葉

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 根来寺に紅葉を訪ねた。開基は平安後期に遡る、真言宗の大寺である。室町期の往時には広大な寺領に塔頭二千七百、僧兵一万余を擁する一大勢力であったという。その力を頼んで豊臣秀吉に抵抗するが、現存する多宝塔と太子堂のわずか二堂を残し、ことごとく焼き討ちで滅び去ったといわれる。その後紀州徳川家の庇護により江戸時代に再興され、今では桜の名所として近在に知られる。里山に囲まれたその閑静なたたずまいを好んで訪れる人は多い。秀吉の焼き討ちを免れた多宝塔には、当時の弾痕が残されている。そのただの穴ぼこも今では文化財、見ればつい指でほじくりたくなるが、そんなことをしてはいけません。
 さて、桜の名所に紅葉を訪うのはちょっとお門違いかと思いながらの参拝である。だが思いは杞憂に過ぎて、紅葉に覆われた静かな渓流添いの小径散策を楽しむことが出来た。木漏れ日を透かして、国宝の多宝塔を仰ぐ。初冬、古寺巡礼の趣である。Opaの住まう泉南からは風吹峠越えで約三十分、近い紀州の異空間である。だが近くに大規模な採石場、また紀州から関空への幹線道路が近くを通る。元は静かな山里を縫う街道であったが、関空開港でにわかに交通量が増えたのである。風吹峠の新トンネルが間もなく開通、道路の拡幅工事も盛んに行われている。古寺境内の静かな佇まいに往年の故事を偲ぶという年金老人のささやかな楽しみを、開発の荒波が飲み込みはしまいかと気にせずにはいられない。
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by mizzo301 | 2007-12-14 16:01 | エッセイ | Comments(0)
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 発車前の特急車内でのことである。前席の若い女性が立ち上がり、Opaに向かっていう。少し倒してもいいでしょうか、リクライニングシートのことである。どうぞどうぞ、どんどん倒れていらっしゃい。だがその後、彼女はシートをコトリとわずかに傾けただけ。それだけの事にも後席の人を気遣う心遣いがいい。今の若い女性といえども、中にはこんなに礼儀をわきまえた女の子もいるんだ。人目を憚らず車内で化粧にかまけるような子ばかりでないのがうれしい。なんて思いつつOpaはその日、走る車内でいつもより心地よい眠りに落ちた。
 その二三日後、Opaはある駅構内をぼんやりと歩いていた。数メートル先は駅ビルの出入り口。一人の若い女の子が、開いた重いガラスのドアを手で押さえて微笑んでいる。どう見ても知らぬ顔である。だが辺りにはOpa以外に人影はない。それはまぎれもなく、赤の他人Opaに対する女の子の親切であった。よたよたと出口に向かう、老人の頼りなげな足取りを見かねただけかもしれない。それにしても短い間に、二度も若い女性のさりげない善行にほだされてしまった。善行はえてして目立たぬものである。本当はこういう若い女性がいっぱいいるにちがいない。嬉しいことである。事あるごとに、今時の若い女性はなどと一概に非難がましく言いつのってごめんなさい。特急電車に乗り込むや、誰に断りもせずシートをガタンと目一杯たおし、読みかけた週刊誌を床に落としたまま寝汚く眠り続ける老人が、若い女性をたしなめるなんて大それたことをするのは間違いでした。もう何もいいません。車内で化粧も豚まんもおならも自由です。長い忍苦と厚顔の果てに、今あなたがたはやっと自由を手に入れたのです。自由万歳!
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by mizzo301 | 2007-12-09 19:57 | エッセイ | Comments(0)