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<   2007年 10月 ( 7 )   > この月の画像一覧

新世界と串カツ

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 よく行く電器の街、日本橋から通天閣がよく見える。その麓一帯は新世界、大阪第一級の下町である。じゃんじゃん町はその中にあって、ひときわ賑わう通りである。今から五十年も昔は、串カツ屋やぜんざい屋など飲食店が軒を連ね、将棋の倶楽部などもあって狭い通りは人で溢れていたものだ。学生時代には一本4円の串カツを食いによく行った。熱々の串カツを、バットの二度づけお断りソースにどぶりと浸してほおばる。串を引っ張ると大きな衣が口に残り、串にしがみついた紐のような肉片が姿を現す。
 「おっさん、これ何の肉や?」「猫や」「そうかあ、猫うまいなあ」「今度犬も揚げ るさかいまた来てや」
 客と店の親父が顔色ひとつ変えずにそんな会話を交わす。満員の他の客も平気な顔で串カツをほおばり、サービスのキャベツをつまんでいる。まさか猫や犬を本当に食わせるわけはない。串にしがみついている紐は牛肉に違いないのである。だが会話にそんなフォローは一切ない。これが大阪である、いや、あったというべきか。
 じゃりん子チエや、TVドラマ「ふたりっこ」のお陰で、新世界や通天閣が今や全国に知られているらしい。昔ほどの賑わいはないというが、関東の若い人達が通天閣に登り、じゃんじゃん町の串カツを食うためにわざわざ来阪するという。時には新世界見物を修学旅行のコースに組み込んだりもするそうだ。まさか団体で串カツ屋には入るまいなあ。いやあ、久しぶりにじゃんじゃん町の串カツを食べたくなった。相変わらず串には紐のような肉がしがみついているのだろうか。バットに溢れる二度づけお断りソースや、無料キャベツは今も健在なのだろうか。あれもこれもが懐かしい。だが今や客と店の親父の間で「おっさんこれ何の肉や」「猫や」などという会話が成立しないであろうことだけは、行ってみなくてもわかる。大阪色が薄くなるのはちょっぴり淋しい。
by mizzo301 | 2007-10-31 11:59 | エッセイ | Comments(0)

いわし雲

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 本町の釣具屋で新しいルアーをひとつ買った。それにしてもスズキはさっぱり釣れない。毎夕バイクで通う漁港には、スズキの好餌であるいわしが水面に沸き返っている。後はルアーを小魚に似せて泳がせるだけで、スズキは飛びつくはずである。昨秋は確かにそうだった。ところが今年は昨年と同じ好条件と見えるのに、未だ釣果はゼロである。いくら我慢強いOpaとてほとほといやになる。新しいルアーで釣れる保証はない。ただ少しは気分転換になればいいと思った。一つ選んで店を出た。ふと見上げると、ビルと高速道路に夾まれた狭い空にいわし雲。おおっ、海にはいわし、空にもいわし、今日はさい先が良さそうだ。Opaは帰路を急いだ。電車でもバッグからルアーの箱を何度も取り出して眺めた。その度に今日は釣れるぞという気分がわき起こる。帰宅するやいなやバッグを放り出し、着替えもそこそこに漁港へ向かった。ランドセルを放り出して、すぐ遊びに飛び出す小学生の気分である。夕暮れの港は相変わらず美しい。早速新しいルアーをセットして、水面を跳ねるいわし達の頭越しに第一投、これはルアーの泳ぎを確かめる為のテスト。巻き寄せて見ると、なかなかうまく泳いでいる。腰をくねらせて、どこかなまめかしくさえある。好色な魚を誘っておいで、いやらしい想念と共に第二投、後ろでパシッと音がした。堤防にルアーをぶつけたのだ。いつものことと気にしないでリールを巻くといやに軽い。ルアーが泳いでいないのである。不思議に思って取り上げてみると、プラスチックのリップがない。堤防にぶつけて折れてしまったのだ。釣れる予感で高揚していた気分が、竿をたった二度振っただけで一気に深い落胆へ急降下、その日も虚しく海岸を後にしたのであった。
 スズキ釣りにこだわるからいけない。この季節、必ず釣れるアジ釣りで今度こそ気分転換を計ろう。翌夕、近所で撒き餌を買ってまた港へ行った。釣れるわ釣れるわ、小一時間ほどで持って行ったポリバケツは、いわし、あじ、さばでいっぱいになってしまった。帰ると早速いわしの生姜煮、あじの南蛮漬け、大鉢にてんこ盛りのさばの煮付けが出来上がった。老媼との二人暮らしにはさすがに多すぎる。さりとて大切な地球資源、捨てる訳にもいかない。一日三度食べ続けて今日で三日、まだ減らないさばの大鉢を前に、ため息が止まらない。
by mizzo301 | 2007-10-25 14:23 | エッセイ | Comments(0)

奇妙な法律

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 先日の読売新聞が「悪法も法なり」と語ったソクラテスもびっくりと前置きして、世界のとんでもない法律を紹介して面白かった。先ずは紳士の国イギリスの法律では「男性が公共の場で放尿したくなったら、自分の所有する車の後輪に向けて、右手を車についた姿勢なら許される」のだそうだ。奇妙な法律が多いのはアメリカで、マサチューセッツ州には「きちんと入浴せずに寝てはならない」、サンフランシスコには「『醜い』と分類された人はいかなる通りも歩いてはならない」、ワシントン州には「両親が金持ちであるふりをするのは犯罪」などがあるという。えっ、本当にあるのと思うようなのがさらに続く。サウジアラビアの「女性は運転をしてはならない」、ブラジルのビリチバ・ミリン市の「市民は死ぬこと禁止」これは深刻な墓地不足が理由だという。そんな無茶な、死ぬなといわれても人は死ぬ、そこんところはいったいどう処理されるのだろう。またアメリカはアイダホ州ポカテロ市には「常に笑顔でいること」という条例があって「不機嫌な顔の者は罰せられる」「違反者は『笑顔作り講習会』をうけること」と決められているそうだ。街中が「氷の微笑」ならぬ凍った笑顔だらけになりそうでコワイ、と記者は書いている。
 以上はやがて来るべき裁判員制度を前に出版された、様々な法律集からの抜粋である。これらを知ると、Opaのささやかな願望「人は手を洗わずにトイレを出てはならない」などあまりに真っ当に過ぎて、立法化など叶うわけないか。
by mizzo301 | 2007-10-21 20:39 | エッセイ | Comments(0)

大阪城夕景

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 コンサートの途上大阪城が見えた。鬱蒼と樹木の茂る公園の高台に、夕焼け空を背景に天守閣が佇む。暮れゆく公園の森を歩いてみた。かつてここに陸軍大阪造兵工廠の巨大な廃墟があったなどと、今や誰が想像出来よう。中学生だったOpaはバイオリンのレッスンのために、毎日曜ここを電車で通過した。京橋駅を発車すると、電車は当時どぶ川だった寝屋川の鉄橋を渡る。廃墟はそこから始まる。焼けただれねじ曲がった巨大な元兵器工場の鉄骨群が、車窓の両側に延々と展開する。息を飲むような恐ろしい光景が、線路を挟んで次の森ノ宮駅まで続くのである。戦時、東洋一の兵器工場といわれ、歩兵の銃器から戦車に至るあらゆる兵器がここで量産されたという。アメリカの徹底した兵器工場への空爆で、終戦間際に一日で壊滅、多数の犠牲者には女学生を含む動員学徒も多くいたといわれている。かくて旧国鉄城東線を夾んだ両側に、戦後35万坪の巨大廃墟が残された。
 またここは、どぶ川を泳いで渡りそこへ侵入する鉄材ドロ、アパッチが活躍する開高健の小説「日本三文オペラ」の舞台でもある。鉄材ドロの暗躍は戦後復興の兆しでもあったろうか、大学への通学もOpaこの線を利用したが、その頃には巨大廃墟が嘘のように取り払われ、その跡地に人の背丈ほどの植樹がなされ始めた。日陰にもならぬ木々の間に、メーデーのシュプレヒコールが沸いたのもその頃である。思えばそれが大阪城公園の黎明期であったのだ。あれから半世紀の歳月である。今や清流となった寝屋川には水上バスが行き交い、対岸はホテルや企業の高層ビルが林立するビジネス街である。公園のかつての若木は森となり、いつの頃か大阪城公園駅が設けられた。、今では広大な一帯は市民の貴重な憩いの場である。だがOpaを初め、この変遷を目の当たりにしてきた者たちはやがて死に絶える。この地の歴史を眺め続けることが出来るのは、奇跡的に戦火を免れ、夕焼けの高台に沈黙のまま聳えるお城の天守だけということか。
by mizzo301 | 2007-10-17 14:01 | エッセイ | Comments(0)

パブロフの金魚

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  九月のさる日曜日、金魚100尾到着。神戸から一泊二日、宅急便の旅である。体長3センチほど、小赤と呼ばれてペットの餌用金魚だという。10尾を別にして、90尾を金ちゃん惨死後、空き家だった裏庭の睡蓮鉢へ放す。狭いビニ袋から広い水中に放たれて、嬉しさのあまり新入生達大いにはしゃぐ、と見えたのは間違い。間もなく水草の陰の水底に寄り添うように全員集合、そのまま動こうとしない。みんなで上目遣いに、Opaの様子を窺っている。金魚も人見知りをするらしい。名前をつけたいがこう多くては見分けがつかない。試しに金魚の餌を水面にぱらりと撒くが、誰一尾として食いに来ない。そこで一旦Opaはその場を離れ、こっそり部屋から覗いていると、何のことはない、みんな揃って浮上して餌を食べている。水面金魚だらけ。そこでいきなりOpa登場、すると金魚たち慌てて水底へ避難する。今度はその場を立ち去らないでいる。すると度胸の座った奴が二三尾、餌を食いに恐る恐る水面に浮き上がってくる。その様子から危険はないと見たのか、優柔不断な他の連中も次々と餌を食い出し、やがて全金魚がお食事会に参加する。その行動様式は丸で日本人である。Opa、餌の容器でコンコンと睡蓮鉢を叩く。ちょっとびっくりするが、餌からは離れない。三四日たつと、このコンコンで金魚たちがよだれを垂らし、餌を求めて浮上するようになった。パブロフの金魚の誕生である。死んだ金ちゃんは、人影を見ただけで餌をねだったものだった。
 そんなある朝、雨戸を開けて驚いた。睡蓮鉢に金魚がいくつも浮いている。溺死か、いやそんなはずはない。その翌朝も次の朝も、ついには一度に10尾前後が死んで行く。90尾の金魚がみるみる半数ほどに減ってしまった。名前などつけないでよかった。戒名が追っつかない。生き残りの連中は水面近くでみんな口をパクパク何かを叫んでいるみたい。よく聞くとどうも酸素をよこせのシュプレヒコールらしい。金魚ながら身の危険を感じて、団体交渉の挙に出たようだ。医療問題の解決は急務である。Opa早速ホームセンターでエアポンプを買い求めた。かかる当局の迅速な環境改善により、翌朝から金魚の死者は無くなった。思えば彼らは、薄い酸素の中であえいでいたのである。これは正にOpaが中国九寨溝で見聞した高山病である。その教訓を生かすことなく、無辜の金魚を高山病で失ったのである。南無・・。数は減ってしまったが、残ったパブロフの金魚たちは、裏庭の睡蓮鉢で今朝も生き生きと泳いでいる。
by mizzo301 | 2007-10-14 00:18 | エッセイ | Comments(0)

海の夕陽

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  釣りの季節である。昨年の今頃はルアーのスズキが好漁であった。竿を持つ手にガツンとくる魚の引きを思い出すと、もう矢も楯もたまらない。毎夕のように漁港へバイクを駆る。だがどうしたことか、今期は全く魚信がない。他の釣り人は盛んに鰺を釣り、港内には鰯が飛び跳ねている。スズキ釣りの条件は揃っている。昨年はルアーを放りさえすれば、一尾や二尾は釣れたというのにである。釣りに焦りは禁物とわかっていても、邪念に追われて竿を振り回してしまう。阿呆である。
 釣り人よ目を上げよ、そして見よ全てがあかね色に染め上げられた秋の海辺の夕まぐれ。見よ淡路島の山陰に今正に落ちなんとする巨大な夕陽を・・。一面真っ赤に染めあげられた波間に漂う小舟一艘、漁夫が紅い至福の光に抱かれてあたかも晩祷を捧げているかのようだ。防波堤の水銀灯が灯り始め、対岸関空や連絡橋にも灯がともる。はるか明石海峡大橋や六甲の山並みからも、ちらちらと光の信号が送られてくる。大阪湾全体が日没の多彩な光の変化に身を任せている。綺麗だ。この夕景に惹かれて来る釣り人は、Opaばかりではあるまい。
by mizzo301 | 2007-10-08 23:43 | エッセイ | Comments(0)

深まる老い、老犬ドン

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 老犬ドンが一人で立ち上がれない。五日前の突然のことである。寝床にうつ伏したまま小便を垂れ流している。軽い身体を持ち上げてやるが、四肢を開いて座ることもできない。口元に置いた水をなめようとするが、餌を食べる気力も無さそうである。18歳といえば人の90歳にもなるのだろうか。いよいよかと心を決めて、その夜は階下の板の間で添い寝をしてやった。昨年死んだハナのように、Opaの知らぬ間に死なれては困る。広くもない庭には、三十数年すでにいくつか犬の骸が埋まっている。さて今度はどこに埋めたものかと思案する内に眠りに落ちる。これじゃ添い寝をしても、最後を看取るなんてできやしない。芋焼酎のせいである。翌朝、身体の節々の痛みで目が覚めた。あわててドンを見ると、身体が呼吸をしている。酔っぱらいの大いびきで、うるさくて死にきれなかったのだろう。うつ伏したままの腹は寝小便にまみれ、尻の脇に転がる親指ほどのうんちが、大きさの割に強い芳香を放っている。臭い臭い、生きるというメッセージはこんなに臭いものか。Opaは思わず安堵の臭い深呼吸をした。その朝は相変わらずうつ伏したままではあるが、水を飲み少量ながら朝食を食べた。
 その後もほとんどうつ伏せのまま大小便をし、居眠りをしている。だが上体を持ち上げると前足を持ちこたえてしばらくは座れるようになった。昨日、試しに庭でそっと立たせてみた。落ちる腰を何度も支える内に、しばらく立つまでになる。そして今朝は、よろめき倒れながら庭を歩いている。わが介護老犬のリハビリはいつまで続くのだろう。いずれそう長い余生は期待できまいが、墓穴の心配はまだ早いのかもしれない。物言わぬ生き物が年をとると、同居人の気苦労も多いのである。
by mizzo301 | 2007-10-07 12:32 | エッセイ | Comments(0)