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<   2007年 05月 ( 6 )   > この月の画像一覧

犬民健康保険

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 犬にも健康保険があると聞いてインターネットを手繰ってみた。なるほど三社ほどが紹介されている。1歳犬で年間2万数千円から3万数千円、継続更新は逓増とある。Opaんちのような十幾歳の老齢犬はいくらになるのだろう。昨年死んだ雌のはなは病弱で、特に晩年は入退院の繰り返しであった。彼女には、二度の乳癌手術を初め随分高額の医療費を支払った。犬の健康保険をまだ知らなかったが、もし知っていても、長年の掛け金と治療時の高い負担率を思うと、やはり加入には迷いがありそうだ。
 とはいえ、法の規制で治療費を統一出来ない犬の医療事情、飼い主としては治療費に何の目安も無いのは不安である。すでに根絶と思われた狂犬病にも再燃の兆しがあるらしい。ここは一つ法整備を進め、全国犬に加入義務のある低負担の犬民健康保険制度の策定を建議したい。ついでなら犬の介護保険や老齢年金も考えてやろうじゃないか。盲導犬などには当然厚生年金をだ。そうなると、犬だけに人並みの優遇措置では他のペットたちが黙っていまい。それじゃいっそのこと、全てのペットたちに制度を適用してしまえ。年金制度は人間よりかなり複雑になるのは仕方なかろう。例えば、鶴は千年亀は万年生きるという。これら長寿動物の年金受給資格を何歳にすべきかなど難問は尽きない。だがいずれにせよ、金を受け取ってほくそ笑む人間飼い主の顔ばかりは見たくない。
 閑話休題、ペットたちに残された最強の保険は、やはり飼い主の深い愛情だけのようである。
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by mizzo301 | 2007-05-31 16:15 | エッセイ | Comments(0)

老犬の愁い

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 盲の老犬は哀れである。愛犬ドンはすでに17歳、人ならば八十幾歳といったところであろうか。連れ合いを無くしてほぼ一年、白濁した眼が老いを嘆いて虚ろである。部屋で緩慢な徘徊をして壁にぶつかり、玄関の段差を踏み外す、床の酒瓶に鼻をぶち当てて転がり、そのまま小便を垂れて寝てしまう。まるでOpaの行く末を予見しているようでもある。
 犬にも白内障の手術がある。だが必ずしもうまくいくとは限らないらしい。友人の愛犬は両眼を手術したそうだ。だが片方にはレンズがはまらなくて失敗、片方は術後はよく見えたようだが、いつ頃からかまたあんまり見えていないようだという。それで費用が片眼で15万円から20万円と聞くとたじろぐ。獣医師法と独占禁止法で、獣医師の治療費は統一出来ないそうだ。いくら請求されても文句をいえない仕組みである。愛犬家ならば、安くて腕のいい獣医を一人友人に持ちたいものである。
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by mizzo301 | 2007-05-25 14:14 | エッセイ | Comments(0)

アンドレアのアマリリス

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 ウィーン娘アンドレアが、アマリリスの小さな鉢を抱えて我が家へ来たのはもう20年も昔である。大学生の娘がゲーテインスティチュートで短期ホームステイを引き受けてきたのだ。アマリリスの鉢はそのお礼ということらしい。 背が高く、仁王様の草鞋みたいなでかいサンダルを履いている。滞在中は折り紙に熱中し、偶然来合わせた書家に墨書を習い、タコや舌平目を喜んで食った。Opaもサービス精神を発揮して根来寺などを案内、大いに舌がもつれたものだ。海の無い国から来た娘である。家から5分足らずの海岸へ好んでよく出かけていた。ここからの景色は、神戸の市街や対岸淡路島の観音様までが見渡せる箱庭のような海である。雄大な海は無い。それでも彼女の海への憧憬を満たすには十分なように思われた。だがまだ名残は尽きぬらしく、帰国前夜には娘と二人で懐中電灯を携えて闇夜の海岸へ出かけた。箱庭の海は闇に沈んで何も見えない。その浜辺に佇んで、彼女は耳を打つ波音と胸一杯の潮の香をウィーンへのお土産にしたかったのかもしれない。
 今年、アンドレアのくれたアマリリスが十数年ぶりに大きく開いた。大きなサンダルが玄関に脱ぎ揃えられていた、20年の昔が懐かしい。
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by mizzo301 | 2007-05-19 17:31 | エッセイ | Comments(0)

檸檬が咲いたよ

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 檸檬が咲いた。昨年の収穫はたった1個の木である。心なしか今年は花が多い、豊作だといいな・・。この木にはアゲハ蝶を呼ぶフェロモンがあるのかな、よく遊びに来る。柑橘類は彼らの産卵に向いているのかもしれない。気がつくとアゲハのでっかい青虫が、枝葉のいたるところを這い回り、若い葉っぱを食い荒らしていく。間もなく彼らはさなぎになり、やがて羽化して美しいアゲハ蝶二世の誕生である。夏の朝、露に濡れた葉っぱにしがみついて震えている、生まれたばかりの蝶を時々見かける。日常に小さな感動を与えてくれる光景ではある。
 夏は幼虫の青虫がやたら多い。放っておくと檸檬の木が枯れてしまわないかと心配になる。檸檬か青虫か、浅薄な素人判断である。青虫を見つけ次第つまみ捕って踏み潰すことにした。ところがこの青虫、とてもイケメンとは言えぬ容姿ながら、つぶすと檸檬のとてもいい匂いがする。なんと、踏み殺す残虐非道に芳香で応えてくれるのである。
 「香りもて虫潰しいるOpaに報い」 ある青虫の辞世の句である。
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by mizzo301 | 2007-05-12 19:12 | エッセイ | Comments(0)

望郷のタニシ

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 連休、雨上がりの午後である。玄関から門へ通じるセメントの通路にいくつもの黒い小石が散らばっている。よく見ると小石ではなく、睡蓮鉢を脱走したタニシたちである。苔退治を目的にOpaが近くの小河川から拾い集め、メダカたちと同居させている豆粒ほどの貝たちである。故郷は1キロ余り先の茶屋川、望郷の念に駆られての脱走であろうか。不思議にどれもが門に向かって這い、1個として反対方向に向かう者はいない。その内やや大ぶりの1個は既に門外の道路にまで這い出ている。交通事故をも顧みない大胆なタニシぶりである。今回脱走計画の首謀者か、一族を率いてそのまま国道に這い出し、故里の流れを目指す計画に違いない。志の高さはモーゼにも劣らぬが、目的達成には危険がありすぎる。Opa早速全員の身柄を確保、元のエジプト、いや睡蓮鉢へお帰りいただいた。彼らの落胆は思わぬでもないが、今しばらく水中の苔を食い続ける、強制労働に従事してもらいたいと考える。
 一週間前のこと、タニシ拾いなんておよそ60年ぶり、今時タニシなどいるのかと半信半疑、Opaはゴム長でバイクを走らせた。果たして目的の茶屋川は護岸整備が行き届き、以外にも流れは綺麗であった。水面をあめんぼうが気持ちよさそうに滑っている。不思議なことに昔は道路の俄雨の水たまりにもいたものだが、お目にかかるのは久しぶりである。何よりその流れの中の石ころや、護岸の壁に無数のタニシが這っている。おまけにそれをついばむ野鳥までが数羽、浅い流れを渉猟している。子供の頃の自然が未だあるを見て大いに安堵、忽ち物欲発揮、用意のビニール袋にちゃっかりと数十のタニシを詰め込んだ。その時Opaには、彼らが望郷ゆえに大脱走を企てるなんて思いもよらぬことであった。睡蓮鉢の豊富な藻を食い放題、その豪勢な生活を捨ててまで・・。支配者の論理はタニシにも通用しなかったようだ。
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by mizzo301 | 2007-05-07 00:45 | エッセイ | Comments(0)

指揮者クルト・マズア

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 昭和が平成になった1989年は、東西ドイツが再統一を果たした年でもある。それには一人の音楽家が大きな役割を果たしていたことを、ノーマン・レプレヒト著「巨匠神話」で知った。押し寄せるペレストロイカの影響下、東ドイツ、ライプチッヒ市民の不満は25万人の大デモとなり、武力を前面にした強圧的な政府と鋭く対峙した。その時ライプチッヒの音楽監督クルト・マズアは政権に対し、武力行使を排除した市民との交渉を促す声明を発表した。彼の為に新しいコンサートホールまで建ててくれた独裁者ホーネッカーに、公然と楯突いたのである。果たしてホーネッカーは、「天安門事件の記憶」を脅しに、再度起こりうるデモに発砲を命じて武装部隊を待機させる。指揮者マズアは急遽、近い仲間数人と自宅アパートで密かに策を練る。その夕方抗議の人々が集まり始めるや、彼は広場に面したコンサートホールの扉を開き、デモ隊を収容してしまう。そこでは東ドイツ成立後40年来初めて市民の自由な討論が行われ、東独政権瓦解を実現に導いたという。 
 一音楽家がその勇気で、無辜の群衆を流血の惨事から守ったのである。以後クルト・マズアは音楽世界以外でも一躍名を馳せ、一時は大統領候補にまで推された。その時彼は言ったという。「政治家にならねばならぬほど、私は悪い指揮者なのか?」と・・
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by mizzo301 | 2007-05-03 11:07 | エッセイ | Comments(0)