人気ブログランキング |
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28

<   2007年 02月 ( 8 )   > この月の画像一覧

小鳥の食卓、人の食欲

d0087054_19141891.jpg

 ファーストフードの店を開業した。といっても庭に来る小鳥相手である。人間相手じゃOpaの商才では損をするに決まっている。メニューは楓や南天の小枝に差した輪切りのりんご、パイン、昨秋以来鈴なり放ったらかしのキウイなどである。世情に鑑みアルコールは出さない。めじろが一番の顧客だが、少し形の大きい百舌鳥が彼らを追い払うように飛来する。めじろは何時も百舌鳥の影に怯えている。離れた場所にでも百舌鳥の姿が見えると、素早く飛び去る。百舌鳥はフルーツを独り占め、どん欲につつき回す。だが人の気配には敏感で、ガラス戸の内側でOpaがカメラを構えると慌てて飛び去る。その隙をついてまたつがいのめじろが飛来、しきりにフルーツをついばむ。めじろの方がなぜかあまり人を恐れない。カメラを構えると、いろいろとポーズをとりながら食事を楽しむ。
 Opaの食卓には常にカメラがある。自分も朝食をとりながら小鳥達の朝食風景を盗み撮りするためである。百舌鳥が怖いめじろが人を恐れず、めじろを駆逐する百舌鳥が人を恐れる。これがOpa朝食をとりながらの、鳥類朝食風景観察報告である。
 時には夕方、小鳥達の夜食にでもと新しいフルーツを小枝に差すことがある。ところが翌朝雨戸を開くと、昨夜のフルーツがきれいさっぱりと無くなっている。可憐なめじろにはくわえ去るほどの力はない。恐らく早朝、人影が無いのに安心した百舌鳥がくわえ去ったのではと思う。もしやお隣の早起きおじさんが、塀の上からにゅっと手を伸ばしてパクリッ、一抹の疑念は捨てきれない。
by mizzo301 | 2007-02-25 19:17 | エッセイ | Comments(0)

世界沈没まで十年?

d0087054_1913378.jpg

 先週春の嵐が吹き荒れた。さては春到来と思ったのも束の間、翌朝からはまた底冷えである。三寒四温とはよくぞいった。
 とはいえ暖冬である。原因は二酸化炭素による地球温暖化といわれる。北極南極の氷解が激しく、南方の小さな島嶼国は水没の危機に直面しているとも聞く。ある資料によれば、米国、中国、ロシア、日本の順に二酸化炭素排出量の四悪だそうである。中でも米国の24.4%,中国の12.1%は桁外れ、ロシア6.2%、日本5.2%と続く。この四カ国だけで世界の排出量の48.3%である。いやはや面目ない。そこへ大躍進中のインド十億人の生活が日米欧の水準に達した時、果たして地球はどうなるのやら。さらに地球人口六十三億人が同水準の生活を享受出来る日まで、地球は無事に存在するのか。「後十年で地球は終わる」という本を書店で見かけたが、読むのが怖くて買えなかった。
 意外なことに、家畜のゲップが地球温暖化に深刻な影響を与える。故にゲップを抑えるサプリまであると、著書「不都合な真実」で環境問題を告発する前米副大統領ゴア氏がTVで語っていた。ならば人間のゲップや欠伸だって多少の影響はあるだろう。おならはもっと危険な匂いがする。だからといって呼吸を止めるわけにいかない、おならも人混みで試したいと人なら思う。地球温暖化の深刻さは分かっても、問題が大きくて自分の事とは捉えにくい。小人に出来ることといえば、なるべく車に乗らぬのが関の山である。晩酌用に今日も朝から水割り用の氷を作るOpa,それも極地氷解の遠因と分かってはいるのだが、こればかりは止めるわけにいかない。
by mizzo301 | 2007-02-22 19:17 | エッセイ | Comments(0)

良きかな匂う風景

d0087054_1755691.jpg

 臭い話が続く。雪隠、厠などとトイレを呼んだ時代、一般家庭に水洗トイレはなかった。覗き見れば、便壺を這い回るウジ虫も望見できる。黙れウジ虫共とドラマでいうが、彼らは寡黙にウジウジと這い回るだけ、五月蠅いウジ虫などいなかった。戦後の我が家では、新聞の切れ端がトイレットペーパーであったりもした。それを読み出すと続きの切れ端を探し求めて、匂いが目に沁みる中でしゃがんだまま長居をしたものだ。厠を出た時の清涼感がよかった。新鮮な空気、ほうろう引きの手洗器が吊られ、隣に手拭いがひらめく。南天やヤツデが茂って、梅雨時には雨蛙、カタツムリが幾つも板壁を這っている。かつてはこれが日本の標準的トイレ風景であった。ブルジョワ谷崎潤一郎が「陰翳礼賛」で求める理想の厠とはほど遠いのが普通であった。
 水洗でないから溜まる。放っておけば日本糞没、水没より恐ろしい。お役所のサービスもない。専門の業者や近隣の農家にお願いして、僅かな労賃でくみ取って貰うのが普通であった。農家は田んぼの野壺でそれを熟成させ、肥料にした。化学肥料の汚染など無い時代である。畑には尻を拭いた紙が陽光風雨に晒され、古雅枯淡の趣を添えていたものだ。一般家庭でもそれを希釈して、自家菜園で施肥するのは当たり前であった。初夏には阪急電車の窓から流れ込む下肥の香で深呼吸したものだ。
 中学生時代、職業家庭科の時間にトイレの汲み取りがあった。おうこという天秤棒を使い二人で一荷を担ぐ、それで校内のトイレと菜園を往復する。相棒はいつもお寺の子I君である。エイッホエイッホ、チャッポンチャッポン、顔や身体中にうんこの飛沫を浴びながらの楽しい作業であった。
 今や火野葦平の短編「糞尿譚」を思い出さずにいられない。いつかは市の買収を夢見ながら、家庭の屎尿を買い上げ農家へ肥料として売るささやかな家業の男。町の顔役や小役人に阻まれてことはならず、ついにぶち切れる。自分も人もあるものか、ザンブザンブと柄杓でうんこを浴びせる幕切れの描写が美しい。昭和六年に芥川賞を受賞している。
by mizzo301 | 2007-02-19 17:12 | エッセイ | Comments(0)

雪隠

d0087054_18272791.jpg

 読売新聞のコラム、編集手帳を愛読している。
 16日の金曜日、東京マラソンを書く文中で、江戸期、滅方海なる作者の古詩を紹介している。再録させていただく。

  野雪隠に至りて

 低(た)れんと欲して雪隠に臨みたれば
 人 有りけり
 咳払すれども
 尚 未だ出でざれば
 幾度か吾は身振したる

 切迫して駆けつけたデパートや駅のトイレが使用中、思わずする身震いは今も昔もかわらない。こんな古詩を知るコラムニスト氏の博識に脱帽である。
 これを読んでふと思い出した。川端康成の短編集「掌の小説」の一編、「雪隠成仏」。これも舞台は江戸であろうか。ある男、大勢の花見客を当て込んで有料雪隠を設ける。ところが実はもう一軒の有料雪隠が他にあった。思わぬ商売敵、そうはさせじと男は相手の雪隠に籠もりきり、そのまま成仏してしまう。
 川端康成も前掲の詩をもしや識っていたのではなかろうか。
 蛇足ながら雪隠はせっちん、トイレのこと。Opa子供のころには普通に聞かれた言葉である。
by mizzo301 | 2007-02-17 18:32 | エッセイ | Comments(0)

ペンキ塗り立て

d0087054_1420743.jpg

 帽子が増えてしまった。勝手に増殖はしない、いつか自分で買ったんだと思うが、ヤフオクで五つ売り払ってまだこの有様。常用するのは屋内用と外出用、たった二つ。屋内用は鬼村先生のカナダ土産、黒のフリース地で冬場快適アイテム、家庭内で所有権を大いに争って手に入れた。外出用は雨宿りに立ち寄ったローマの百貨店で買った安物。こちらソフトとは名ばかり、黒い段ボールのような材料で仕上がっている。意外とかぶり心地良く、夏以外ご愛用である。他の帽子の中には、ボルサリーノやステッソンなど名門出身者達もいるが、押し入れの中でそのアイデンティティーを持て余していそうだ。主人とは気まぐれなものである。
 冬は防寒夏は日よけ、その効果は絶大である。ローマ出身段ボールハットは、他の季節にもOpaの希薄な脳みそ蒸発防止によく働いた。ついに過労からか、表面の染色が禿げ出し、Opaが帽子を脱いでも人は気付かぬほど色あせた。禿を隠せぬ帽子は帽子ではない。とはいえ、小雨そぼ降る秋のローマを思い出させてくれる黒い帽子、捨てるに忍びない。そこであるある大辞典、再生プロジェクトXやらせではなく、帽子に黒ペンキを塗ることにした。
 早速ホームセンターでペンキ購入、あっという間の塗装作業である。仕上げは上々、ローマ出身お洒落ハットは見事生まれ変わったかに見えた。だがおまけとはいえ.ぴったりと連れ添ってやって来たペンキの匂いがいただけない。これは町工場の建ち並ぶ路地裏で、機械の騒音と共に嗅ぐ匂いである。およそ小雨の秋のローマとはほど遠い。残念、もはやこの帽子からの連想は倒産寸前の町工場の秋でしかなくなった。ローマの秋が懐かしければお金を貯めて行くしかない。だが帽子のように知らぬ内にお金は貯まらない。
by mizzo301 | 2007-02-12 14:24 | エッセイ | Comments(0)

お笑いを一席・・・

d0087054_12355366.jpg

 子供の頃はラジオの時代である。お笑い番組と音楽が好きだった。新聞の番組欄に、漫才落語講談浪曲クラシック音楽を見つけては赤鉛筆で毎日チェックする。さらに演題、出演者、作曲家、曲名、指揮者、オーケストラなどをノートに克明に書き写す。落語家や浪曲師の名前は難しかったが、洋楽もまた漢字の世界であった。バイオリンは提琴、ピアノは洋琴、ソナタは奏鳴曲、ウイーン綺想曲は維納綺想曲、ニューヨークフィルは紐育フィルである。これらを書き写すだけなのだが、なかなか時間を要した。小学校高学年頃であったろうか。この様子を見た両親は、子供が勉強をしていると勝手に信じこんでいた。勉強は済ませている?、だから夜のラジオは笑って楽しめる。というわけで、脳みそは一切使わず、はからずも親を欺いて夜な夜な笑って過ごしていたようだ。笑いは免疫力を増加するという。親が、一度はあの世送りを覚悟したというほど病弱なOpaが、健康を取り戻せたのは笑いのせいかもしれない。信じる者は救われるのである、アハハ・・。
 お笑い好きはそのままに、高校時代は同好の友と寄席にも通った。宝塚には無料で漫才や落語を楽しめる新芸座があって、今や人間国宝の若き米朝師も高座を勤めておられた。上方落語存亡の危機といわれた時代である。千日前の今はない文楽座別館での落語会など、若い噺家達が高座を勤めながら、交代で座布団の世話から下足番までとよく働くのを見て感心した。天満繁盛亭を開くほどの上方落語今日の隆盛は、その頃の若い噺家さん達の情熱が、今大輪の花を開かせたのではなかろうかとOpaは思うのである。
 落語好きなら、一度は自分で語ってみたいと誰しも思う。高校生のOpaも一度だけ人前で落語を試みたことがある。級友の一人の広いお宅でのコンパ、大勢が集まった。馬鹿馬鹿しいところで一つお付き合いをと、「池田の猪買い」を語り始めた。学校は池田、まことその場に相応しい話である。それは期待の静寂で始まり、そして最後までその場は静まりかえったままであった。拍手ぱらぱら、沈黙は鉛なり。止めたくても途中で止めるわけにいかぬ辛さ恥ずかしさ。それから暫くは悔恨の情しきりにして、教室で特に女生徒の前では顔も上げられなかった。
by mizzo301 | 2007-02-10 12:39 | エッセイ | Comments(0)
d0087054_17552641.jpg

 敗戦の翌年1946年春、Opa小学校入学である。戦争で幼稚園には行けなかった。初めての団体生活である。担任のM先生はひどい中年女性だった。子供の何かが少しでも気に入らぬと、頭をこづき回し床に突き倒した。何人もの級友がそんな目に遭い、泣きわめくのを見ているだけで怖かった。だがついに自分にも受難の日が来た。休みがちなOpaは先生のある質問が理解出来なかった。つかつかと歩み寄った先生は、悪態をつきながらいきなりOpaの筆箱をとってそれで頭をこづき回し、それをぶちまけたあげく、身体を床に突き倒した。恐怖に震えて大泣きをしたのはいうまでもない。でもその屈辱を家では話さない。他の子供達もきっとそうだったろう。Opaの就学は恐怖で始まったのである。新入児童にそんな接し方をする先生を想像できますか。そんな中に一人例外の男児U君がいた。時折風呂敷包みを先生に手渡す。そこからは野菜の端っこなどがのぞいている。翌日先生は愛想笑いを浮かべ、U君に風呂敷を帰しながら、お母さんによろしくね、などという。U君が先生に怒られるのだけは誰も見たことがなかった。いじけた教室で彼だけが悠然と見えて妬ましかった。
 両親はM先生の暴力を知るよしもない。参観日などは先生の前でバッタのようにぺこぺことお辞儀をしている。家では彼女の風貌を鬼瓦なんていってるくせにだ。そうこうする内に年も明け、節分の宿題が出た。赤鬼青鬼の面をそれぞれ一枚づつ提出せよという。Opaは絵が苦手、それに鬼がどんなものかも知らない。画用紙を前に手をこまねくばかり。ついに明日が期限という日、見かねた母がOpaを叱りつけながら画用紙に赤鬼を描き始めた。それを見た父が、貸してみろともう一枚の画用紙を取り上げ、青鬼を描き出した。幸か不幸か両親は共に絵が得意だった。二人はOpaのクレパスを奪い合って夢中で描いた。間もなく赤青二匹の鬼が見事に仕上がった。どう見ても子供の作品ではない。気は進まないが提出するしかない。自分で描いたのかと鬼瓦はOpaに尋ねた。両親がともいえないので、身をすくめながら肯いた。意外にも鬼瓦は無言で、その二枚を他の子供達の作品と共に教室の壁に飾ってくれた。それは子供達の稚拙な絵の中にあって、あまりにも巧く描かれた二匹の鬼が、教室の高みでにらみをきかせる格好になった。Opaはいたたまれなくて、早く壁から下ろしてほしいと願うばかりであった。節分の度に思い出すほろ苦い味、60年の昔である。
by mizzo301 | 2007-02-05 17:58 | エッセイ | Comments(1)

おーい、牡蠣やーい!

d0087054_818298.jpg

 寒波襲来、今朝は西日本でも広く雪が舞っているという。だがここ泉南にはその気配もない。たまには雪景色もいいなと思う。ちょっと淋しい。
 淋しいといえば、大好きな生食用牡蠣がどこにも見あたらない。ノロウイルスのせいである。ノロをノロうなーんて、親父ギャグの一発もかましたくなる。しかも牡蠣は犯人でなかったというのだ。冤罪である。この好季節に、さぞ悶々の日々を過ごしたことだろう。「それでもぼくはやってない!」牡蠣の悲痛な叫びが聞こえる。一方「それでもぼくは食いたい!」と食いしん坊支援者達の声もかまびすしい。勿論Opaもその一人である。やはり牡蠣は生食がうまい。ある人のHPによれば、加熱用の生食が滅法うまい、これが同じ牡蠣とは思えぬほどうまいとおっしゃる。無菌海水で三日間も消毒した生食用は水っぽくて不味いと。食って見たいな加熱用生食。喉から手が出たり引っ込んだり。でもちょっと食中毒が怖い。Opaに理性はない、ようやく思いとどまれるのは臆病風のせいである。
 昔ある航空会社のクリスマスパーティーに呼んで頂いた。当時上り坂の花形産業、その宴会は豪華であった。一角の氷塊上に居並ぶ殻付き牡蠣、Opa初対面である。挨拶代わりに檸檬をひねって、白ワイン片手にチュルチュルと忽ち30個も食った。そのうまいこと、傍らのウエイターのあやしい笑顔に気付かなければ、きっと100個も食ったろう。今も昔も無料とあらば、口と胃袋がやけに元気なOpaであった。
 Opaは虚弱な子供であった。それをよいことに、小学校では体操をしたことがない。いつも学級文庫の番人である。牡蠣といえばそんなある日、教室の日溜まりで読んだ一編を思い出す。モーパッサンの短編「ジュール叔父」である。
 平凡な官吏を父に持つささやかなぼくの一家、そしてアメリカに渡って成功している筈のジュール叔父、彼こそは一家の希望の星である。そんなぼくの一家の家族旅行、船旅である。その船上の甲板の片隅で、牡蠣をナイフで開けて売るみすぼらしい男、それが実はジュール叔父らしいとわかった家族のとまどい。
 物語の思わぬ展開が子供心に切なかった。
by mizzo301 | 2007-02-02 08:23 | エッセイ | Comments(0)