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カテゴリ:エッセイ( 614 )

蜘蛛の子をちらす

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 ゴミ箱のふたの裏に2センチほどの小さな黒い蜘蛛がいる。彼女がそこに住み込んですでに数ヶ月、Opaがふたを開くたびに、うす綿のような巣の中の通路を急いで5センチほど移動する。その短い直線の通路を左右に移動するだけが彼女の行動範囲らしい。Opaが中のゴミ袋を交換するあいだ、うす綿の下でじっと身をすくめている。そこに生ゴミは捨てない。別の電動処理機で乾燥させたものをそこに入れる。日に何度かふたを開く以外は暗闇の密室である。蜘蛛の食物になりそうなものはないのに、どう生計をたてているのか不思議である。彼女の健康に鑑みて殺虫剤はつかわない。そのせいか、ふたを開くと小さな羽虫が飛びかっている。それが彼女の食事になっているのかもしれない。気になるのは、彼女のお腹がどんどん大きくなることである。うす綿の住みかが間もなく産褥になるのだろうか。蜘蛛は多産である。かつて実家の洗面所で、生まれたばかりのごま粒より小さな無数の子蜘蛛が、親の巣から一斉に散らばっていくのを見て、ゾクッとしたことがある。ゴミ箱の彼女も、このままいけば大勢の子をもつシングルマザーである。ある朝ゴミ箱のふたを開けると・・想像するだけでゾクッとする。

by mizzo301 | 2019-05-23 18:03 | エッセイ | Comments(3)

連休は終わらない

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 今年はじめての睡蓮が咲いた。5月7日の朝、連休明けを待ちかねたような開花である。三、四十年ものむかし睡蓮を買ったものの、睡蓮鉢をおく園芸店などあまり見かけなかった。どこで手に入れたか忘れたが、最初はプラスチックの漬け物桶で育てていた。日本橋の民芸店ではじめて睡蓮鉢を見つけたときはうれしかった。以来それを住みかに、この季節から秋おそくまでよく咲いてくれる。年によっては春の連休まえから咲きはじめる。もちろん花に休日は関係ない。Opaも同じである。後期高齢者は人生そのままが連休である。たかが十連休だからとわざわざ出かけたりしない。せまい庭の草木に水をやり、世間の混雑ぶりをテレビで見ながら鼻でもほじっておればよい。いかにも気楽におもえる無期連休だが、突然おわることもある。無期休眠である。永眠ともいう。安心ばかりもしておれない老人たちではある。

by mizzo301 | 2019-05-11 16:26 | エッセイ | Comments(0)

大きいレモン

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 でっかいレモンをひとつ収穫した。昨年は木に鈴なりだったレモンだが、秋の台風のせいもあってか、今年はわずか数個しか採れなかった。ところがそのうちの一個がめちゃでかい。ふつうサイズの三倍はある。色づき始めてから樹上でもひときわ目立っていた。さてこのデカレモンをどうしたものか。レモンといえば梶井基次郎の短編「檸檬」であろう。高校時代の読書で強く印象に残る一編である。作中の丸善は京都の楽団にいたころによくのぞいた。「檸檬」の主人公が、爆弾に見立てたレモンを本の上に置いて去った書店である。その店が閉店を予告したところ、主人公よろしく本にレモンを置いて立ち去る人が絶えなかったそうだ。近年その店が河原町に復活しているという。おまけに店ではレモンを置きたい人のために、わざわざレモン置き場を設けているそうだ。今も主人公を真似たい若者たちがいるほど、小説「檸檬」は人気があるのだろうか。それを確かめに、自家産のデカレモンを携えて京都丸善を訪ねたい気もするが、いかんせんOpaは年をとりすぎた。それにOpaの憧憬と追憶のすべては昭和の京都にある。平成の終わる日に、しみじみと昭和がなつかしい。

by mizzo301 | 2019-04-30 13:55 | エッセイ | Comments(0)

春うらら

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 春うらら、ちいさな庭が花たちでにわかに賑わいだした。数年ぶりに株分けをして、早く芽をだせアマリリスと念じ続けた五鉢が、そろって芽をだした。まずはひと安心。早くもスズランが可憐な花を見せる。それがなにかの合図でもあるかのように、ユスラウメ、小手毬、やまぶき、ツツジ、モッコウバラまでが競うように咲き出した。Opaの庭に春があふれそう。思い出す歌がある。「ラララ赤い花束くるまにつんで 春がきたきた丘から町へ すみれ買いましょあの花売りの かわい瞳に春のゆめ」だれに習ったおぼえもない。戦前のラジオで流された国民歌謡である。いつどこで聞きおぼえたか、こどものころから好きだった。おそらく戦後もラジオで流れていたのを聴いていたのかもしれない。花であふれる季節になると、いつもこの歌をふと思い出してしてしまう。春に新学期を迎える日本は、進学、就職、退職など人生の一大事が春にやってくる。Opaの場合は結婚もある春の日のできごとであった。ときをへて、ものいわぬ連れあいのなきがらに、好きだったモッコウバラのひと枝をおいたのも、八年前の春のことであった。

by mizzo301 | 2019-04-21 14:40 | エッセイ | Comments(4)

平成改元前夜のこと

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  間もなく令和の御代となる。元号は世界でも日本のみの制度ということもあってか、その発表はやはり人々の大きな関心事であった。日頃は西暦だけで十分などというていたOpaでさえ、実はちょっとわくわくしてテレビの前でその時を待った。令和、出典は万葉集だという。発表後も他にどんな候補があったのかとか、令和はだれの発案かなどと新聞、テレビがいまだに喧しい。大阪では名前に令和の文字を持つ人がたこ焼き食べ放題に招待されるなど、天皇の退位による改元はまことに平和で安心、おめでたいかぎりではある。平成の改元はちがった。昭和天皇崩御が伝えられると、日本中にたちまち暗黙の喪に服するような沈んだ雰囲気がただよった。その間、連れあいはお弟子さんたちのピアノの発表会を予定していたのだが、悩んだ末に急遽中止を決めた。これまた歌舞音曲は慎むという暗黙の雰囲気があって、敢えて開催するには勇気がいったのである。借りた会館の近くで買ったお弁当をホールで食べて、だれもピアノに向かうこともなく、仕方なくすごすごと退散したのだった。平成幕開け前夜のさびしい思い出である。

by mizzo301 | 2019-04-14 18:24 | エッセイ | Comments(0)

桜の道は登校路

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 海へとつづく桜並木が満開である。今朝ピンクの花びらが風に舞うその道を、小さな肩に大きなランドセルを背負い、お母さんと手をつないで行く少女に会った。おそらく新一年生だろう。ならば昨日が入学式、今日は初登校のはずである。若いお母さんの背にはもう一人幼子が、片方の手には大きなごみ袋がある。今日は生ごみの収集日、登校するわが子を送るついでにゴミをだそうということらしい。Opaはドンのリードを短く持ってその場にしばし立ち止まり、二人の姿を追った。すぐ近くの集積場でゴミ袋をおいたお母さんは、立ったまま少女を抱きしめる。しばらく何事かを語りかけ、やがて両手をほどいて少女の小さな肩を前方にむけてそっと押した。後ろ姿を見送るお母さんの方を、少女は一度もふり返らずに歩いていく。数十メートル先の角に、登下校時の見守りボランティア、黄色いベストと帽子をかぶったおじさんが見える。やがて少女が近づくと、おじさんはうしろで心配げに見守るお母さんに気づいて大きく手を振った。それは心配しなくても大丈夫ですよの合図に見えた。お母さんはていねいにお辞儀を返して、花の下道をようやく家路につくのだった。

by mizzo301 | 2019-04-09 18:29 | エッセイ | Comments(4)

白いタンポポ

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 ドンの散歩でよく会うご近所のKさんとは、道すがらの草花がよく話題になる。そのKさんが、うちの庭に白いタンポポが咲いてますよとおっしゃる。えっ、白いタンポポ、そんなん見たことない。タンポポは黄色、それがOpaの常識である。ほんまにあるんかいな、さっそくKさん宅のお庭見学を申し込む。Opa宅から徒歩30秒、予約不要入場無料。いろんな草花が無造作に咲く広いお庭は、Kさんの愛犬二頭のドッグランでもある。そこに点在する黄色いタンポポといっしょに、当然のように白いタンポポたちもいるではないか。これはこれはお初にお目にかかります。めずらしいお方がこんなお近くにいらっしゃるとは夢にも存じませんでした。家で白いタンポポをググってみた。日本在来の固有種、関東以西に広く分布、特に西日本から四国九州に多く見られるそうである。Opaのようなじじいがこの年で初めて見たのであるから、関西ではめずらしい存在にちがいない。明日4月1日に新元号が開示されるという。Opaならさしずめ、「白タンポポ元年」に決めたいところである。

by mizzo301 | 2019-03-31 23:19 | エッセイ | Comments(0)

すずめのお宿

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 この辺りは海岸と山地にはさまれた土地のせいか、町内でいろんな鳥を見かける。山から下りてきたのか、近くの畑地でキジを見たこともある。海から飛んできた鵜が近所の屋根にとまり、首をのばして風見鶏を気取っていたりもする。その外にもOpaがその名を知らないさまざまな鳥たちを見かける。ところがどこにでもいそうなすずめを、なぜかこのところあまり見かけない。早朝から近所の電線でうるさく囀っていたすずめの群れはどこへ行ったのだろう。なにかの理由ですずめ人口は激減したのだろうか。そんなことを思いながらある朝ドンと散歩をしていたら、ちょっとはなれた電線にとまっているすずめたちが見えた。翌朝もその翌朝もそこにすずめはいる。だがなにか変である。すずめが等間隔に整列している。さえずりは聞こえない。近づいてよく見ると、それは鳥ではなかった。一見鳥に見える小さな黒い人工物が、電線に取りつけられているのである。あとで聞いて知ったのだが、それは鳥よけの細いケーブルを電線に取りつけるためのクリップだった。家の前の道路が、頭上の電線から降る鳥の糞害で困った人などが、電力会社に訴えると無料で工事にきてくれるそうである。てきめんに鳥たちは来なくなるという。すずめのお宿はどこだろう、おじいさんはさがしています、おばあさんはもういません。

by mizzo301 | 2019-03-24 18:08 | エッセイ | Comments(0)

パチリ、11歳の肖像

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 2008年3月生まれのドンは11歳になる。もう若くはない。人間なら60歳くらいかな、古希である。記念写真を一枚パチリ。年輪を重ねた風貌はなかなかのものである。澄んだまなざしには知性すらひめているかに見える。こういうのを親ばかちゃんりんというのかな。事実聞きわけのよい愛すべきドンではある。あろうことかOpaの不注意で、先週その彼がお腹をこわした。ひどい下痢である。夜中にブラインドをカタカタとゆすってOpaを起こす。便意をもよおして外に出してほしいのである。その度にOpaはダウンを羽織って戸を開けてやる。しばらくして用を足したドンを入れてやる。脚とお尻をふいてベッドにもぐる。うつらうつらとする間もなく、またブラインドをカタカタ、外に出す、それをくり返すこと10回以上、一晩中眠れない。翌晩もまたそのくり返し。3日目の夜はそれが2回にへったが、Opaはすっかり寝不足になって、朝ごはんからうつらうつらする始末。とにかく一日中眠いのである。でもドンが夜中にOpaを起こすのは、押し寄せる便意に抗して、家の中でしくじるまいと彼なりに努力をしているのである。いくら眠くてもそれにはこたえてやらないとと思う。はたして五日目の朝の散歩で、やっと指でつまめる固いウンチがでたのである。うれしかった。念のために持ってきたペットボトルの水をすてる。眠い。大急ぎで帰ってドンの手足と尻をぬぐい、ブラッシングもそこそこにOpaはベッドにもぐり込む。ドンもベッドに飛びのって、そのままふたりはその日の午後まで眠りこけたのであった。

by mizzo301 | 2019-03-15 22:44 | エッセイ | Comments(2)

残念な庭の春

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 家にいながら春だなあと思う風景が二つある。ひとつはメジロ、もう一つは庭先のぼけの開花である。メジロはOpaが裏庭の楓に用意するみかんをお目当てに、朝から夕方まで数羽が交互にやって来る。ところがこの季節、玄関先にこぼれんばかりに咲くはずのぼけが、今年は極端に花が少ない。あろうことか、太い枝の一本が枯れてもいる。ほかにもむかし、和歌山のホームセンターで見つけて買った、めずらしいピンクの雪ヤナギも枯れたようだ。真っ白い雪ヤナギの群生のなかで異彩をはなっていたピンクが今年は見られない。ほかにも隣家からいただいた鉢植えのガクアジサイにも新芽が出ていない。どうやらこれも枯れたらしい。永年当たり前に楽しんできたOpaの庭に、なにか異変でも起きたのだろうか。思えば昨年あたりからなにか変である。毎年必ず咲いた六鉢のアマリリスが、昨シーズンは一本しか開花しなかった。前年にはたわわに実ったレモンが、わずか数個しか実がついていない。三月、Opaとドンは共にひとつ年齢を加えた。Opaの加齢にあわせて庭も老化が進むのだろうか。ちょっぴり残念な庭の春である。

by mizzo301 | 2019-03-12 18:13 | エッセイ | Comments(0)