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カテゴリ:エッセイ( 602 )

面倒くさいのにまた・・

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 電話、テレビの回線をNTTからeo光にかえた。NTT以前はやはりeo光、その前はZAQ rinnku、その前はYahoo、その前はやはりNTTとそれぞれ3、4年ごとにかえている。実に浮気な利用者である。それぞれになにか不満があったわけではない。どの社も利用者を増やしたい。のんびり暮らしていると、パンフの送付、電話、訪問など各社の勧誘攻勢にさらされる。Opaは勧誘に弱い。なんとかそれらから逃れたいと思いながら、特に訪問勧誘からは逃げそこなう。長いものには巻かれろというが、ミミズほどの短いものにも巻かれてしまうのがOpaである。練達の勧誘者のじょう舌にはとてもたえられない。てなことで何度もの回線の変更とあいなる。その度に止める回線の解約、インターネットの再設定、支払い方法の選択などの面倒がおきる。さらに契約前後に受け取った多量の冊子など印刷物と設定用CDの処分がある。これらは契約後一度も使用していない不要の長物であった。これらを処分するのだが、すでに新規契約eoから同量の紙資料を受け取っている。どうせ不要のしろものだが、すぐ捨てるにはなんとなく不安がある。ああ面倒くさい。もとはといえば、何にでもすぐ巻かれるOpaがいけない。これからは思いきり長いものにだけ巻かれるようにしよう。それってなんだ・・。

by mizzo301 | 2019-02-03 17:57 | エッセイ | Comments(2)

球根の旅

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 アマリリスは一本の太い花茎にラッパのような花を四つ咲かせる。Opaんちのそれはまるで赤い四本のトランペットのように開く。庭に五つあるそのアマリリスの鉢が、昨年は一鉢しか咲かなかった。Opaが何年も世話を怠ったむくいである。どれもせまい鉢のなかで株が増えて、いかにも窮屈そうである。おまけに水だけしか与えていないから、土に栄養分がないのだろう。日差しのやわらかいさる日、一念発起アマリリスの植え替えを決意する。五つの鉢から球根を掘りおこし、雑草を取り除く。古い土を掘り返し腐葉土と新しい培養土、それに化成肥料をひとつまみ混ぜ込む。それを鉢にもどして球根をひとつずつ植え込む、おしまい。といえば簡単そうなこの作業に二時間余もかかってしまった。その間、小さな腰掛けにへたりこんでいたから、すっかり腰が痛くなってすぐには立ち上がれない、ウウッ。さて、株分けをした球根が大小五つ余ってしまった。もとは30年あまり前に娘が連れてきたウイーンの娘さんが、滞在のお礼にと一鉢のアマリリスをおいていった、その末裔である。さて今回の球根五つは、和歌山のTさんがもらってくださった。彼女に以前さしあげた一本を、山口県から訪ねて来られたお母さんがご覧になって、わたしもぜひ欲しいと熱望されて株が増えるのを待っていらっしゃるという。渡りに舟である、よろこんでもらっていただく。早速今月末に車で山口県まで届けるそうである。球根がはるばる旅をして、今までで一番遠い地への株分けである。Opaの知らない遠いおうちの庭先で、無事に紅いトランペットが開いてくれるといいな。

by mizzo301 | 2019-01-20 18:11 | エッセイ | Comments(0)

茶の湯

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 緑茶の粉末をよく買う。ティースプーン一杯を湯飲みに入れ、T-falの高速湯沸かしから勢いよく湯をそそぐと、自然に攪拌されてうまいお茶になる。食後にこれを飲みながら朝刊に眼をとおすのが習慣になっている。最近Opaのお茶といえばこれである。お茶漬けも当然この茶である。綠の粉末をご飯にたっぷりふりかけて湯をそそぐ。これを塩昆布で食うとさわやかにうまい。夕べの刺身の残りを飯にのせて、わさび醤油をたらし、お茶の粉をやや控えめにふりかけて湯をそそいで食うのもなかなかのものである。粉末緑茶はえらい。それも残り少なくなってお茶売り場をのぞくと、抹茶が眼についた。値段は普段の茶の三倍もする。これだけ高価なのはうまいにちがいない。短絡的物欲思想家Opaたちまちこれをあがなう。これをスプーンで湯飲みに入れ湯をそそぐ。いつものお茶のようにうまくまざらない。スプーンでかきまぜて飲む。味は悪くないが、だまが口に残る。これのお茶漬けはもっといけない。いつもの伝で湯をそそぐと、綠色の泥沼に飯の山が浮かぶ。二度とすまいと思う。抹茶はやはり茶の湯にかぎるのか。といえども当家に茶碗、茶杓、茶筅などの風流はなにもない。そこで湯割り焼酎のマグカップに茶の粉をいれて湯をそそぐ。百均の電動カプチーノミキサーでブイブイと泡だてる。お茶請けにキットカットをかじって茶の泡をすする。うまい、まことに結構なお点前でござった。

by mizzo301 | 2019-01-10 15:40 | エッセイ | Comments(0)

謹賀新年

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 今朝もドンと散歩に出る。風もなくよく晴れた元旦である。こんな朝は春の日にも似て、波静かな海のかなたの風景が少しかすんで見える。神戸の街や六甲の山並にも紗がかけられて、景色が暖かい。気温は1度と決して暖かくはないのに、すぐ下の海岸を散歩する人たちの歩みまでゆったりと見える。連れ合いを亡くしドンと2匹の生活になって八度目の新年である。以来ひとりで正月を迎えたことはまだ一度もない。今回も年末には孫娘が任天堂のスイッチを携えて東京からきてくれた。大学院生のその弟もおんぼろ車を駆って箕面からブイブイと到着、さらにいもうと娘がシーズー犬しし丸を連れて来宅、ワンワンキャンキャンにぎやかな年越しとなった。うるさいぞ・・いや、不平はいうまい。これも年末年始、Opaをひとりにしてさびしい思いをさせないための人および犬たちの気遣いであろう。隣町の寿司屋から取りよせたおせちをひらき、タカラ焼酎を屠蘇に新年おめでとう。やがて年賀状の束が届く。何十年もくり返された元日の光景だが、老人はひとりきりでないのがやはりうれしい。

by mizzo301 | 2019-01-01 23:08 | エッセイ | Comments(2)

光陰矢のごとし

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 六甲おろしが海をわたって坂道を吹き昇ってくる。朝の散歩コースもこのところめっきりと冷えこむ。彼方には明石海峡大橋、神戸の市街、左手に淡路島が冬の澄んだ空気の中にくっきりと浮かぶ。目の前の関空からは、この風の中をしきりに離発着する飛行機が見える。今年も四季折々のこの光景を眺めながらドンと歩いた一年であった。それにしても時の経つ速さには今さらながら驚く。歳のせいである。小学生のころなどは永久に子供のつもりでいた。それが歳と共にだんだんと速く感じられるようなる。ついに今や余命いくばくかの年寄りである。時には子供時代のさまざまを思い出す。それは映画のなかで別人の子ども時代を見ているような感じでもある。今の自分と直接つながっている実感がもてないが、子供のなれの果てであることにちがいはない。何ひとつとりえのない人生を漫然とOpaは生きてきた。そして今年も暮れる。新年にはあらためて夢も希望も持ち合わせていない。ただかわらず漫然と生きるであろうと想像はつく。願わくばドンとOpaの安寧を祈りたい。

by mizzo301 | 2018-12-31 16:11 | エッセイ | Comments(3)

EXPO '70

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 70年万博の未使用チケットが一枚ある。先日、さがし物で今は使わなくなった古い机の抽斗をあさっていて発見した。なぜそこにあるのか、そのいきさつにはまるで覚えがない。大阪に '25万博の開催が決まったので、あたいの出番が来たと勘違いして顔をだしたのだろうか。抽斗の底にへばりついておよそ半世紀を耐えぬいた骨董品である。会期は昭和45年年3月15日~9月13日、入場料は800円だったんだ。当時、Opaに次女が生まれたばかりのころであった。4歳の長女とふたりではるばると万博見物に出かけたことがあった。暑い夏の日であった。会場は見物客でごった返している。どのパビリオンも入場を待つ長蛇の列である。幼い娘はそんな物に興味はない。その日は娘のための万博である。Opaもはじめからパビリオン入場はあきらめている。太陽の塔の偉容を見ながら、上機嫌の娘の手をひいてさまざまな遊具がはなやかに回転する遊園地へ向かう。もちろんそこも人であふれている。おまけにどの遊具も順番待ちの長い列である。ようやく幼児でも乗れる乗り物を見つけて、長い列の後ろにつく。二時間待ちの順番を大変だと思ったが、娘は待つという。前後はやはり幼い子供連れが大勢ならんでいる。待つ間に前後の人にお願いして列をぬけ、二回オシッコに連れていく。ようやく順番がきて、そう高くはない塔の上で二人乗りの小さな乗り物に乗る。するとそれは塔の周りを螺旋状に滑降して、あっという間に降車場に到着、二時間ならんでたった二分のイベントであった。その虚無感を、それでも満足げな娘の様子に癒されたのを思い出す。その外に何をして何を食べたのか、今では何もおぼえていない。親子ふたりが万博の雑踏で数時間をすごし、黄昏れを待たずに家路についた、半世紀前のまぼろしのような思い出である。

by mizzo301 | 2018-11-28 17:10 | エッセイ | Comments(1)

晩秋のよく晴れた日曜日

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 晩秋のよく晴れた日曜日に、かつての教え子たちの同窓会に招かれた。トリマーさんにドンの預かりをお願いして、いそいそと出かけた。電車に乗るのも久しぶり、ルンルン。スマホの地図をたよりに、本町に近い小さなイタリアレストランに向かう。あったあった、人通りもまばらな休日のビジネス街にあって、その店からだけなにやら華やいだ空気がもれてくる。Opaを呼んでくれた教え子たちの、楽しい午餐会である。しゃれた小料理とワインをたしなみ、旧交を温めて近況を語り合いときに笑いさんざめく。Opaも自然に交歓の輪に取り込まれ、心温まる時をすごさせてもらった。愛すべき淑女たちよ、いつまでも幸せでいてね。Opaはあなたたちの人生の安穏を願ってやみません。みんなと別れて御堂筋に向かう。夕まぐれ、大通りはイルミネーションに彩られてとってもきれい。おおシャンゼリゼ~にも負けてまへん。70年まえのこのあたりは空襲をうけて一面の焼け野原だった。そんな無惨な御堂筋で、父に連れられてよしずに囲まれた屋根のない店に入って、どんぶりの汁を立ち飲みしたのを思い出す。

by mizzo301 | 2018-11-19 23:14 | エッセイ | Comments(0)

旅の蝶

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 10月のさる日、妹からアサギマダラの写真が送られてきた。庭のフジバカマの周りで10匹ほどが乱舞しているという。数千キロの長い旅をするわたりの蝶である。途中はるか上空から、毎年妹の庭のフジバカマを見つけて数日間とどまり、その蜜でスタミナを養い、いずこかへ旅立つようだ。果たして今年の旅先は台湾か香港かさらに遠い異国であるのか。妹は写真に夢中で、それを彼らに訊きそびれたという。一昨年にはたまたまOpaもその場にいあわせて、アサギマダラの優美な舞いを見ることができた。彼らは他の蝶とちがい、人が近づいても逃げない。ひたすらフジバカマをとりまいて飛び交うのである。ところで蝶の正しい数えかたは、一頭二頭だとヤフー知恵袋で知った。意外である。ダンボのような子象たちが、大きな耳をひらひらさせて宙を飛びまわるのを想像してしまうではないか。

by mizzo301 | 2018-11-06 17:59 | エッセイ | Comments(0)

ドンちゃん雲になる

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 毎朝6時すぎにふと眼がさめる。もうひと眠りしたい気分で眼をとじる。すると必ずドンが胸の上に乗っかって顔をなめまわす。決して二度寝をさせてくれない。散歩の催促である。Opaの一番つらい時間である。顔を洗い、腰痛対策の簡単なストレッチをして散歩に出る。軽い冷気をはらんだ秋風が心地よい。ようやく眼がさめる。晴れわたった空に雲が浮かんでいる。そのひとつがどう見てもなにかの動物に見える。アヒルのようでもあり、うずくまったドンが空中に浮かんでいるようでもある。「ノンちゃん雲にのる」をふと思い出す。70年のむかし、Opaは虚弱で学校をよく休む学童であった。教室に古びた本箱があって、中にある数冊の本の一巻がそれであった。病弱で運動を禁じられていたOpaには、うれしい本箱であった。体育の時間などは夢中で本を読んだ。月に一冊新しい本が増えるのが待ち遠しかった。Opaの読書好きはそれ以来のことである。その文庫、他のクラスにはなかった。我らが学級文庫、実は担任の先生のポケットマネーでまかなわれていたのだった。


by mizzo301 | 2018-11-03 18:19 | エッセイ | Comments(0)

ヴァイオリンひけるかな

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 ヴァイオリンをぷっつりとやめて間もなく一年である。昨年は春先から五十肩、いや八十肩になり左腕が痛くて楽器を持ち上げられない。そこへイオンの駐車場で車止めにつまづいて転倒、コンクリートに頭を強打、救急車で運ばれた。その後なぜか右肩まで痛み出す。ヴァイオリンどころではない。両腕が上がらないから風呂で頭を洗うにも両手が使えない。それより右肩の痛みで尻に右手がとどかない。トイレが紙頼みでなくてほんとによかった。シャワートイレが今や神である。だがヴァイオリンを忘れたわけではない。彼女とは70年来の友である。両肩の痛みがとれた暁にはまたひいてやろう思っていた。あれから一年が過ぎようとしている。いまや肩の痛みはほとんど消えている。試しにヴァイオリンをひいてみたい、と思いながら日がすぎる。あまり長く楽器にふれなかったから、ケースを開くのがなんだかこわい気がして一日延ばしに過ぎる。すっかり怠け心が身についてしまった。これじゃいかん、今日の午後、思い切ってケースを開いた。弦にも弓の毛にも異常はない。あんた長いことうちをほっといてなにしとったん、という顔でヴァイオリンが下からOpaをながめている。すまんというてふたを閉じる。小野アンナの音階教本のほこりをはたいて譜面台におく。今日はこれまで、善は急ぐな。

by mizzo301 | 2018-10-30 14:46 | エッセイ | Comments(0)