人気ブログランキング |
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

カテゴリ:エッセイ( 621 )

ミニドン来たる

d0087054_17295484.jpg

 降り止まぬ雨、朝も夕方もドンに合羽を着せ、ゴム長に傘をさして憂鬱な散歩にでる。そんな梅雨空の一日、下の娘がミニドンを連れてきた。ウイーンの繁華な通りで見つけたという。店の棚からまるでドンがじっとこちらを見ているようで、買わずにおれなかったらしい。表情や毛の色がなるほどドンにそっくりである。店のおじさんは毛並みにわざわざ櫛をあててからわたしてくれたそうだ。ひょうきんなサービスはいかにもウイーンらしい。姉は熟年留学でもう二年も逗留している。そこを妹が知らぬ間にちょこっと訪ねたらしい。ドンは怪訝な顔で小さな弟分をながめている。ま、仲良くやっとくれ。今夏、ウイーンは異常な暑さだそうだ。連日35~6度、エアコンなどどこにもない土地で人々は暑さにあえいでいるそうだ。ウイーンに限らず、広くヨーロッパ中が異常な高温に見舞われているという。ヨーロッパの犬はみんなホットドッグになってしまったとか・・。

by mizzo301 | 2019-07-19 17:31 | エッセイ | Comments(2)

さびしい海水浴場

d0087054_15364259.jpg

 蒸し暑い土曜の午後、久しぶりにドンと梅雨の晴れ間の海水浴場に下りてみた。今月一日に海開きをしたものの、おそい梅雨入りのせいでお客はほとんど来ないという。この日も広い砂浜で、中高生らしき男女数人がバレーボールに興じているだけ、泳ぐ人など一人もいない。それでもほんの数十メートル沖にはサメよけネットがはられ、赤い旗の監視船が浮かぶ。浜の監視塔にも人がいる。この暑さの中、張りあいのないお役目ごくろうなことである。ここは大阪府が管理する海浜公園である。それなりの規則があるのだろう。アイスや軽食をだす浜茶屋にもお客のすがたはなく、店番の若者がプラスチックのいすにもたれて、あくびをかみころしている。沸き返るような盛夏のにぎわいとはちがう、海水浴場の物憂い風景もまたいい。気まぐれにちょっと遠出をしてしまった。足腰が重くだるくてたまらん。何か所かにある東屋や木陰のベンチでなんども休み、舌を出すドンをはげましながら家路につく。はるか沖合に四本マストの帆船が見える。帆はたたまれて、残照の大阪湾をやる気なさそうにゆっくりと北に流れていく。

by mizzo301 | 2019-07-09 15:38 | エッセイ | Comments(0)

蜘蛛の死

d0087054_17513021.jpg

 数ヶ月前からゴミ箱に下宿していた黒い蜘蛛が、ゴミ箱の本体とふたの間のせまい空間で動かない。どうしたのかと竹串でそっとつついても反応がない。隙間から出そうとすると脚が一本ぽろりとはずれた。すでに死んでいるのだ。せまい空間にうっかりはまって圧死したのか、食料が足りずに餓死したのか、それとも天寿を全うしたのか死因はわからない。最初は気味がわるいだけの蜘蛛だったが、毎日眺めるうちに意外な愛着がOpaにめばえて、いつもその動きが気になった。名もなき蜘蛛よ、あんたはずいぶんOpaを楽しませてくれた。ありがとう。彼女の住まいだったゴミ箱の乾いたゴミの上に屍を置く。やがて市の焼却場で荼毘に付されるだろう。煙となってお浄土にいったなら、必ずお釈迦様を訪ねなさい。蜘蛛の糸を一本ご所望になるはずである。

by mizzo301 | 2019-06-20 17:54 | エッセイ | Comments(4)

久しぶりの京都

d0087054_18030393.jpg

 久しぶりに会いましょうという、なつかしい楽団時代の先輩の呼びかけで、十年ぶりに京都へ向かった。泉南の海辺の田舎から京都は祇園四条まで二時間で到着、意外と早い。駅近の料理屋に京響OB様のかんばん、ここやここや。部屋には老婆老爺八人、これでも元バイオリン奏者の集いである。中には五十年ぶりの人もいる。席は昔話で大盛りあがり、懐かしさ満タン。やがて話題は老眼鏡、補聴器にまでおよぶ。内6人がすでに寡婦であり寡夫ではあるが、無常観などとは無縁のにぎやかな八十歳前後である。話は尽きないが、再会を約してコーヒーで解散。ひとり四条大橋をわたる。ぐずり始めた足腰をなだめながら、河原町を上がり丸善書店をめざす。梶井基次郎の「檸檬」にまつわる、書店のレモン置き場の情報を確認したかった。BARというおしゃれなビルの地下に店はあった。そしてレジ近くに平積みの文庫本「檸檬」が置かれ、下の棚の小さなバスケットにしなびたレモンが数個ころがっている。がっかり、わざわざ見に来るほどの光景ではない。だが見ないといつまでも気になって仕方がなかろう。やっぱり来てよかったのかなあ。

by mizzo301 | 2019-06-18 18:06 | エッセイ | Comments(2)

あしさいの季節

d0087054_17134320.jpg

 町内あちらこちらの庭や畑にあじさいが咲いている。わが家でも何十年来の古い株が、いくつも大輪の花をつけている。そんなあじさいたちが、なにかをあきらめたような顔で長雨に打たれている景色がいい。ところが今年は雨が少ない。ドンの散歩にはありがたいことではあるのだけれど・・。子供時代の思い出がある。母が庭のあじさいを切った花束を新聞紙にくるみ、少年Opaに学校へ持って行きなさいという。それまでのこわい男の担任の先生から、やさしい中年の女の先生にかわったばかりの5年生である。登校に余計なものを持つのもいやだったが、先生になんといって渡せばいいのかわからない。朝の教室にはまだ先生がみえない。今のうちに教室の前の先生の机に置いておこう。でもきっと先生はだれが持ってきたのかときくだろう。その時にはだまって手をあげようと決めた。ところが教室にみえた先生は、おはようございますのあいさつの後、だまって机上の新聞紙を開き、バケツに水をくんでそこへあじさいを活けられた。そしてその日のうちに花は花瓶に活けかえられて先生の机上にあった。そこに花のある間の何日か、だれが持ってきたのかときかれるのを、その時には手をあげようと、Opaは今か今かと待ったがついにその言葉を聞くことはなかった。こども心になにか釈然としないOpa5年生の日々であった。

by mizzo301 | 2019-06-15 17:16 | エッセイ | Comments(0)

蜘蛛その後

d0087054_17041743.jpg

 ゴミ箱のふた裏に住む黒い蜘蛛は、妊婦ではなかったらしい。お腹が日によってふくらんでいたり、スリムだったりする。なぜかはわからない。ある晩、ゴミ箱をあけたら蜘蛛が見あたらない。懐中電灯でふたの周辺やゴミの表面をさがしたがどこにも見あたらない。さては手狭なふたの裏に嫌気がさして、もっと快適な新居を求めて出て行ってしまったのかと思った。ところが翌朝、ゴミ箱を開くといつものところにうずくまっている。昼間いつ見てもその場所にいて、うす綿のような巣の下を数センチ移動する。その晩、気になってふたの裏を見るとやはり蜘蛛は居ない。日中はうす綿の巣に暮らし、夜な夜な出かけるらしい。ゴミの中にもぐるのか、ゴミ箱の外にまで出かけるのかはわからない。ある朝、ふたの巣を見ると彼女はいた。それだけではない。その1センチほどの鼻先に、うす綿の巣の下で小さなハエが羽根をふるわせている。夜に捕獲したのを巣にひきずりこんだのだろうか。彼女の朝食はハエの生食、翌朝見ると、あわれなハエのわずかな食べかすが巣にあった。夜の徘徊はどうやら食料調達が目的であるらしい。なんの因果かまっ黒で気味の悪いこの蜘蛛を、毎日ながめて何がおもしろい。会者定離、追い出す理由がない。

by mizzo301 | 2019-06-08 17:06 | エッセイ | Comments(6)

初夏のひとはたらき

d0087054_18260616.jpg

 寄せ植えの花を植えかえる季節である。晩秋に植えた春の花はよく咲いてくれた。まだ咲いているビオラやパンジーを思い切って抜き捨てる。Opaに園芸の知識はない。鉢の土を掘り返し、古い根を取り除き、腐葉土や新しい培養土、化成肥料を少し混ぜ込む。毎年適当な作業のくり返しである。それでも花はよく咲いてくれる。ホームセンターで買ったマリーゴールドやペチュニアなどを適当に植え込む。そんな鉢をふたつ完成、ついでにプランターにバジルの苗も植える。2時間ちかくしゃがみっぱなし、ああしんど腰が痛い。だがこのひとはたらきで秋まで花を楽しめる。そして秋もおそくにまた植え替えの季節が来る。春と秋の年二回、しんどいけど止められないOpaの年中行事である。これでOpaは花咲じじい、日暮れて花酒じじいになる。

by mizzo301 | 2019-05-30 18:27 | エッセイ | Comments(0)

蜘蛛の子をちらす

d0087054_18005126.jpg

 ゴミ箱のふたの裏に2センチほどの小さな黒い蜘蛛がいる。彼女がそこに住み込んですでに数ヶ月、Opaがふたを開くたびに、うす綿のような巣の中の通路を急いで5センチほど移動する。その短い直線の通路を左右に移動するだけが彼女の行動範囲らしい。Opaが中のゴミ袋を交換するあいだ、うす綿の下でじっと身をすくめている。そこに生ゴミは捨てない。別の電動処理機で乾燥させたものをそこに入れる。日に何度かふたを開く以外は暗闇の密室である。蜘蛛の食物になりそうなものはないのに、どう生計をたてているのか不思議である。彼女の健康に鑑みて殺虫剤はつかわない。そのせいか、ふたを開くと小さな羽虫が飛びかっている。それが彼女の食事になっているのかもしれない。気になるのは、彼女のお腹がどんどん大きくなることである。うす綿の住みかが間もなく産褥になるのだろうか。蜘蛛は多産である。かつて実家の洗面所で、生まれたばかりのごま粒より小さな無数の子蜘蛛が、親の巣から一斉に散らばっていくのを見て、ゾクッとしたことがある。ゴミ箱の彼女も、このままいけば大勢の子をもつシングルマザーである。ある朝ゴミ箱のふたを開けると・・想像するだけでゾクッとする。

by mizzo301 | 2019-05-23 18:03 | エッセイ | Comments(3)

連休は終わらない

d0087054_16242073.jpg

 今年はじめての睡蓮が咲いた。5月7日の朝、連休明けを待ちかねたような開花である。三、四十年ものむかし睡蓮を買ったものの、睡蓮鉢をおく園芸店などあまり見かけなかった。どこで手に入れたか忘れたが、最初はプラスチックの漬け物桶で育てていた。日本橋の民芸店ではじめて睡蓮鉢を見つけたときはうれしかった。以来それを住みかに、この季節から秋おそくまでよく咲いてくれる。年によっては春の連休まえから咲きはじめる。もちろん花に休日は関係ない。Opaも同じである。後期高齢者は人生そのままが連休である。たかが十連休だからとわざわざ出かけたりしない。せまい庭の草木に水をやり、世間の混雑ぶりをテレビで見ながら鼻でもほじっておればよい。いかにも気楽におもえる無期連休だが、突然おわることもある。無期休眠である。永眠ともいう。安心ばかりもしておれない老人たちではある。

by mizzo301 | 2019-05-11 16:26 | エッセイ | Comments(0)

大きいレモン

d0087054_13533235.jpg

 でっかいレモンをひとつ収穫した。昨年は木に鈴なりだったレモンだが、秋の台風のせいもあってか、今年はわずか数個しか採れなかった。ところがそのうちの一個がめちゃでかい。ふつうサイズの三倍はある。色づき始めてから樹上でもひときわ目立っていた。さてこのデカレモンをどうしたものか。レモンといえば梶井基次郎の短編「檸檬」であろう。高校時代の読書で強く印象に残る一編である。作中の丸善は京都の楽団にいたころによくのぞいた。「檸檬」の主人公が、爆弾に見立てたレモンを本の上に置いて去った書店である。その店が閉店を予告したところ、主人公よろしく本にレモンを置いて立ち去る人が絶えなかったそうだ。近年その店が河原町に復活しているという。おまけに店ではレモンを置きたい人のために、わざわざレモン置き場を設けているそうだ。今も主人公を真似たい若者たちがいるほど、小説「檸檬」は人気があるのだろうか。それを確かめに、自家産のデカレモンを携えて京都丸善を訪ねたい気もするが、いかんせんOpaは年をとりすぎた。それにOpaの憧憬と追憶のすべては昭和の京都にある。平成の終わる日に、しみじみと昭和がなつかしい。

by mizzo301 | 2019-04-30 13:55 | エッセイ | Comments(0)