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カテゴリ:エッセイ( 597 )

EXPO '70

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 70年万博の未使用チケットが一枚ある。先日、さがし物で今は使わなくなった古い机の抽斗をあさっていて発見した。なぜそこにあるのか、そのいきさつにはまるで覚えがない。大阪に '25万博の開催が決まったので、あたいの出番が来たと勘違いして顔をだしたのだろうか。抽斗の底にへばりついておよそ半世紀を耐えぬいた骨董品である。会期は昭和45年年3月15日~9月13日、入場料は800円だったんだ。当時、Opaに次女が生まれたばかりのころであった。4歳の長女とふたりではるばると万博見物に出かけたことがあった。暑い夏の日であった。会場は見物客でごった返している。どのパビリオンも入場を待つ長蛇の列である。幼い娘はそんな物に興味はない。その日は娘のための万博である。Opaもはじめからパビリオン入場はあきらめている。太陽の塔の偉容を見ながら、上機嫌の娘の手をひいてさまざまな遊具がはなやかに回転する遊園地へ向かう。もちろんそこも人であふれている。おまけにどの遊具も順番待ちの長い列である。ようやく幼児でも乗れる乗り物を見つけて、長い列の後ろにつく。二時間待ちの順番を大変だと思ったが、娘は待つという。前後はやはり幼い子供連れが大勢ならんでいる。待つ間に前後の人にお願いして列をぬけ、二回オシッコに連れていく。ようやく順番がきて、そう高くはない塔の上で二人乗りの小さな乗り物に乗る。するとそれは塔の周りを螺旋状に滑降して、あっという間に降車場に到着、二時間ならんでたった二分のイベントであった。その虚無感を、それでも満足げな娘の様子に癒されたのを思い出す。その外に何をして何を食べたのか、今では何もおぼえていない。親子ふたりが万博の雑踏で数時間をすごし、黄昏れを待たずに家路についた、半世紀前のまぼろしのような思い出である。

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by mizzo301 | 2018-11-28 17:10 | エッセイ | Comments(1)

晩秋のよく晴れた日曜日

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 晩秋のよく晴れた日曜日に、かつての教え子たちの同窓会に招かれた。トリマーさんにドンの預かりをお願いして、いそいそと出かけた。電車に乗るのも久しぶり、ルンルン。スマホの地図をたよりに、本町に近い小さなイタリアレストランに向かう。あったあった、人通りもまばらな休日のビジネス街にあって、その店からだけなにやら華やいだ空気がもれてくる。Opaを呼んでくれた教え子たちの、楽しい午餐会である。しゃれた小料理とワインをたしなみ、旧交を温めて近況を語り合いときに笑いさんざめく。Opaも自然に交歓の輪に取り込まれ、心温まる時をすごさせてもらった。愛すべき淑女たちよ、いつまでも幸せでいてね。Opaはあなたたちの人生の安穏を願ってやみません。みんなと別れて御堂筋に向かう。夕まぐれ、大通りはイルミネーションに彩られてとってもきれい。おおシャンゼリゼ~にも負けてまへん。70年まえのこのあたりは空襲をうけて一面の焼け野原だった。そんな無惨な御堂筋で、父に連れられてよしずに囲まれた屋根のない店に入って、どんぶりの汁を立ち飲みしたのを思い出す。

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by mizzo301 | 2018-11-19 23:14 | エッセイ | Comments(0)

旅の蝶

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 10月のさる日、妹からアサギマダラの写真が送られてきた。庭のフジバカマの周りで10匹ほどが乱舞しているという。数千キロの長い旅をするわたりの蝶である。途中はるか上空から、毎年妹の庭のフジバカマを見つけて数日間とどまり、その蜜でスタミナを養い、いずこかへ旅立つようだ。果たして今年の旅先は台湾か香港かさらに遠い異国であるのか。妹は写真に夢中で、それを彼らに訊きそびれたという。一昨年にはたまたまOpaもその場にいあわせて、アサギマダラの優美な舞いを見ることができた。彼らは他の蝶とちがい、人が近づいても逃げない。ひたすらフジバカマをとりまいて飛び交うのである。ところで蝶の正しい数えかたは、一頭二頭だとヤフー知恵袋で知った。意外である。ダンボのような子象たちが、大きな耳をひらひらさせて宙を飛びまわるのを想像してしまうではないか。

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by mizzo301 | 2018-11-06 17:59 | エッセイ | Comments(0)

ドンちゃん雲になる

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 毎朝6時すぎにふと眼がさめる。もうひと眠りしたい気分で眼をとじる。すると必ずドンが胸の上に乗っかって顔をなめまわす。決して二度寝をさせてくれない。散歩の催促である。Opaの一番つらい時間である。顔を洗い、腰痛対策の簡単なストレッチをして散歩に出る。軽い冷気をはらんだ秋風が心地よい。ようやく眼がさめる。晴れわたった空に雲が浮かんでいる。そのひとつがどう見てもなにかの動物に見える。アヒルのようでもあり、うずくまったドンが空中に浮かんでいるようでもある。「ノンちゃん雲にのる」をふと思い出す。70年のむかし、Opaは虚弱で学校をよく休む学童であった。教室に古びた本箱があって、中にある数冊の本の一巻がそれであった。病弱で運動を禁じられていたOpaには、うれしい本箱であった。体育の時間などは夢中で本を読んだ。月に一冊新しい本が増えるのが待ち遠しかった。Opaの読書好きはそれ以来のことである。その文庫、他のクラスにはなかった。我らが学級文庫、実は担任の先生のポケットマネーでまかなわれていたのだった。


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by mizzo301 | 2018-11-03 18:19 | エッセイ | Comments(0)

ヴァイオリンひけるかな

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 ヴァイオリンをぷっつりとやめて間もなく一年である。昨年は春先から五十肩、いや八十肩になり左腕が痛くて楽器を持ち上げられない。そこへイオンの駐車場で車止めにつまづいて転倒、コンクリートに頭を強打、救急車で運ばれた。その後なぜか右肩まで痛み出す。ヴァイオリンどころではない。両腕が上がらないから風呂で頭を洗うにも両手が使えない。それより右肩の痛みで尻に右手がとどかない。トイレが紙頼みでなくてほんとによかった。シャワートイレが今や神である。だがヴァイオリンを忘れたわけではない。彼女とは70年来の友である。両肩の痛みがとれた暁にはまたひいてやろう思っていた。あれから一年が過ぎようとしている。いまや肩の痛みはほとんど消えている。試しにヴァイオリンをひいてみたい、と思いながら日がすぎる。あまり長く楽器にふれなかったから、ケースを開くのがなんだかこわい気がして一日延ばしに過ぎる。すっかり怠け心が身についてしまった。これじゃいかん、今日の午後、思い切ってケースを開いた。弦にも弓の毛にも異常はない。あんた長いことうちをほっといてなにしとったん、という顔でヴァイオリンが下からOpaをながめている。すまんというてふたを閉じる。小野アンナの音階教本のほこりをはたいて譜面台におく。今日はこれまで、善は急ぐな。

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by mizzo301 | 2018-10-30 14:46 | エッセイ | Comments(0)
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 ドンに二時間ばかり留守をたのんで、イオンシネマへ映画を観にいった。そんな時ドンはほんとに聞きわけがいい。待っててねの一言で、あきらめの表情をうかべてその場にうずくまる。ほんとうは映画も見せてやりたいが、なぜか映画館は犬禁で入れない。出し物は今ひそかなブームをよぶ「カメラを止めるな」である。ネタバレのないうわさに興味津々のOpa、近くで見られるとあって急遽ドンに留守をあずけて観にいくことにしたのである。さてその映画は一言でいえばゾンビものである。ゾンビ映画をとる現場に本物のゾンビがあらわれ、ちぎられた腕が飛び、生首が転がる。薄気味悪く凄惨な場面にハラハラドキドキの長い前半、そして思いもよらぬ展開をするコミカルな後半を経て感動のフィナーレとなる。おもしろい映画なのに、観客はOpaをいれてたったの11人であった。興味がおありの方はご覧あれ、がら空きの会場でポップコーンをつまみながら快適に鑑賞できます。どんちゃんただいま、お留守番ありがとう、お駄賃にチキンのささみを一本どうぞ。

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by mizzo301 | 2018-10-15 15:06 | エッセイ | Comments(0)

秋祭りに思う

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 近所の畑ではコスモスがゆらぎ、その茂みから虫のこえが聞こえる。頭上には台風によく耐えた柿が実る。遠くから祭り太鼓がきこえる。泉州はいま秋祭りの季節である。Opaの新興宅地にも、はなれた旧村の地区から山車が若者たちにひかれてやって来る。もっともこの地も造成から半世紀、いつの間にか高齢者の集落のようになっていた。ところがなぜか最近は若い家族の移住がふえて、元気な子供たちのすがたをよく見られるようになった。そんな子供たちには、祭り囃子とともにきてくれる山車は大いに楽しみであるらしい。そんな子たちのために、同じ校区のよしみもあってかはるばる牽いてきてくれるらしい。祭りの数日前には、礼儀正しい若者たちが、ご寄付をお願いできませんかと訪ねてくる。Opaの差しだすわずかな奉加金をうやうやしく受けとると、なにやら紋所と西若中と金文字のはいった上等のタオルを渡してくれる。さてこの祭り、ウン十年まえは実にがらの悪いものであった。小さな駅前広場で山車が大暴れを演じ、半纏姿でたばこをくわえた中学生男女が、国道わきの道ばたに車座を組んで、一升瓶から茶碗酒をあおっていたものである。はじめてその光景を目にしたときは、ひっくり返るほど驚いた。だがそれから何年も経たぬうちにそんな風景はいつの間にか消えていた。祭りを運営する若者たちに、きっと何らかの自浄作用が働いたにちがいない。今ではにぎわいながらも、子供たちも安心して参加できる祭りになったと聞いている。もとはといえば、土地の五穀豊穣、豊漁を祈願する祭礼であろう。今その意味はうすれたかもしれないが、祭りの伝統はたやさないでほしいと、よそ者Opaは思うのである。

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by mizzo301 | 2018-10-07 18:14 | エッセイ | Comments(2)

灯台もと暗し

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 猛烈な台風21号のあと、Opaさんのお家はまだありますかと何人かの方から電話をいただいた。お陰さまで当方にはなんの被害もなく、などとその都度のんきに答えていた。台風から3日めの朝、裏手のお宅から突然の電話、Opaさんの屋根から瓦が落ちそうなのをご存じですかという。ええっ、知らん知らん、ほんまでっか。あわてて外に飛びだし屋根を見上げるが、真下からはなんの異常も見られない。とりあえずうろたえていると、裏のお兄さんがこれをごらんなさいと、ベランダからとったスマホの写真を見せにきてくださった。そこには一番はじっこの大きな棟瓦がはずれて屋根に転がり、今にも落ちそうな位置に止まっている。ほかにも何枚もの瓦が浮き上がり、口を開けて屋根が笑っているように見える。笑い事やないで。ドンとの散歩であちこちの屋根が大いに傷んでいるのを見ながら、自分ちだけは大丈夫と勝手に決めていたOpaがあほやった。なんでもこの台風でどの業者も出払って、すぐには来てもらえないという。中には瓦が払底して今年中の修理は無理といわれたご近所もあるらしい。でもほうってはおけない。待つのを覚悟でいつもの工務店に電話をした。するとそれから二日目、以外と早く職人さんが見にきてくれた。すぐに危険な瓦を取りのぞき、資材を整えて改めて参りますという。次はいつとは聞けなかったがまずはひと安心、まさに灯台もと暗しのひと騒動である。

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by mizzo301 | 2018-09-22 18:28 | エッセイ | Comments(2)

嵐におびえた日

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 9月とはいえ、早朝から夏の日差しである。ドンと歩きながら、ほんとに台風が来るのかなと思ってしまう。テレビの予報で早めの避難を呼びかけるくらいだから、間違いないのだろう。帰ってリビング以外の雨戸を全部しめる。なるほど9時を過ぎるころからあたりが暗くなる。そのうち雨が降り出す。風も少し吹いている。そこへ妹の電話、海辺の住まいを心配してくれている。いやなんの、たいしたことはないよと応える。たいしたことないのはそこまでだった。風はだんだん激しくなる。土砂降りの雨の中、どーんと家をゆさぶる突風が間断なくおそってくる。裏庭の植物が折れんばかりにしなっている。おそろしい光景、でも腹がへる。昼食にアイスコーヒーとパン、ドンにもパン。風の恐怖にふるえる唇にパンをねじ込み、コーヒーで流し込む。ドンも異常を感じるのか、Opaを離れない、Opaもドンをはなさない。犬ヒトよりそって嵐にたえる時間の長いこと。4時をすぎる頃になって雨風がようやくおさまる。Opaが小学生だった1950年9月3日の日曜日、猛烈な台風の直撃にあい少年Opaは恐怖した。ジェーン台風である。以来あまたの台風を経験したが、今回の21号は、老Opaが68年ぶりにふたたび恐怖をおぼえるほどの暴風雨であった。台風は庭のレモンから若い実をひとつ吹きちぎり、狼藉のあかしでも残すかのように地べたにころがして去ったのだった。

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by mizzo301 | 2018-09-05 23:19 | エッセイ | Comments(0)

どんぶりのドンです

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 さっぱり降らない。夏空がまぶしいばかりである。当地は昔から雨の少ない土地といわれるが、ほんとうに一雨ほしい。遅くても六時に起きて、七時までにドンとの散歩をおえないと、日差しに耐えられなくなる。おりしもお盆休みである。50年前の当地は、ローンをかかえた若い世帯の新興宅地であった。それが今やここで育った子供たちが、その子供たちを連れて祖父母のもとに里帰りをする時代である。どのお宅にも見なれない車が駐められている。今朝も海岸の方から上がってくる数人の子供に会った。なかには捕虫網を持つ子もいる。海のあるじいじばあばの家に泊まりにきたのだろう。普段は見ない子たちである。男の子がドンに近づいて、なんていう名前ですかときく。小学3、4年生か、言葉がていねいである。ドンだよ。えっ、ごん?。ちがう、ドン、どんぶりのドン。そうか、カツ丼のドンやね。ちがう、天丼のドンや。見知らぬじじいの無茶ぶりに、男の子は苦笑いをしながらドンの背をなでてくれるのだった。

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by mizzo301 | 2018-08-13 12:42 | エッセイ | Comments(0)