ある日の徘徊
2008年 05月 30日
今日はすでに夏の陽気である。珍しく電車で外出、天王寺、久しぶりに都会へ来たような気がする。四十数年来の友、宮氏とホテルのロビーで会って、一杯のコーヒーで話し込む。今や共に年金受給者である。だが彼との会話の楽しみは若い頃と変わらない。独裁政権、災害、年金、メタボ、ヘルニア、餓死老死、暗い話題で大いに盛り下がる。奈落の底でお開き、宮氏と別れてなんばへ。魚を蒸す特大の中華鍋を求めて道具屋筋をさまようが、電車の時刻を思うと今日は時間切れ。のぞきたいのを我慢して書肆ジュンク堂も素通り、今や国際都市となった千日前に至る。韓国語や中国語のあふれる雑踏をかきわけ、よろめきながらビックカメラ五階まで這い上る。年寄りに人混みはこたえる。貯めたポイントで買おうと思ったマリオカート完売御礼、がっかり。仕方なく駅に向かう。腹の虫の指図で高島屋の地下食品売り場へ下りてうろうろ、何を見てもうまそうで困る。売れ残りの鶏モモ唐揚げを五百八十円で買う。さらにパンを買えと腹の虫がいう。パンならホクオーと一階上がる。ここも久しぶり、なにっ、フランスパン一本が二百七十三円ムムッ、買わずに店を出る。パンの両端のかりかりした食感が匂いつきで追いすがる。フランスパンの一本くらい買わないでどうする。引き返して店の表で小銭入れの中身を数える。きっちりと握った二百七十三円をレジに置いて、めでたくパン購入。午後七時、唐揚げとパン自動改札無事通過、予定の電車で居眠り。我ながらいかにも年寄りじみた一日だと思った。
by mizzo301
| 2008-05-30 18:53
| エッセイ
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