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映画「最後の橋」

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 「最後の橋」、高校時代に見た映画の題名である。舞台は第二次大戦さなかのバルカン半島、そのラストシーン、深い谷の両岸に対峙する独軍とパルチザン、谷に架けられた吊り橋の上で力尽きる一人の従軍看護婦、その瞬間を待ちかねたように両岸からわき起こる激しい銃撃戦、高校生Opaの受けた衝撃は鮮烈であった。オーストリアの女優、マリア・シェルを初めて知った映画でもある。何とかもう一度見たいと願いながら、叶わぬままに半世紀が過ぎた。インターネットを手繰ってみた。原題「DIE LETZTE BRÜCKE」1954年、オーストリア・ユーゴ合作、監督ヘルムート・コイトナー、1954年カンヌ映画祭で国際賞、主演女優マリア・シェルに女優演技賞、ベルリン映画祭その他でも数々の賞を受けたという。当時から名画の誉れが高かったのである。ネットの書き込みなどから察するに、この映画のリバイバルを熱望する年配者は、Opa一人ではないようだ。どなたか良い情報をお寄せください。もう一度この映画を見ずにぼけてしまいたくない。
Commented by Y.SUZUKI at 2008-03-11 12:45 x
私もずっとこの映画を探し続けています。小学生の頃、NHKで見ました。子供心にも鮮烈な印象として残っています。もう一度見たい!情報があったら是非ご連絡下さい
Commented by マリア・シェル 「最後の橋」 at 2008-03-12 18:42 x
はじめまして。 札幌近郊に住む田舎者です。
 昨年3月に、東京ドームの傍の「アテネ・フランセ・文化センター」で上映される事を、ネットで見つけました。
 私も、半世紀に亘って、この映画を探し続けていました。
 貧乏暇なしの毎日ですが、会社から一週間の休暇をいただき、妻と観てきました。
 2 x 3メートルくらいの、小さな画面でしたが、50人程の観客でした。
 今、思い出しても、身震いするほどの感動でした。
 ラストシーンは、吊り橋ではないと思いますが、倒れたマリアを写しながら、カメラが引いていく時は、嗚咽しそうになりました。
 アテネ・フランセは、語学学校ですが、講座の一部として上映しているようで、料金も、壱千円以下だったと思います。航空運賃や宿泊料に比べれば、ゼロのようなものですが。
 私は、ドイツ大使館のホームページで、偶然、この上映を知りましたが、確か関西でも上映した筈です。
 フィルムでなく、DVDとか言ってたような・・・
 きっとまた、上映されると思います。
 諦めないでね。
Commented by mizzo301 at 2008-03-13 15:00
暖かいコメントをありがとうございます。みなさん長年見る機会を待っていらっしゃるのですね。あきらめずに見る機会を求めてまいります。最後の橋は吊り橋ではなかったのですね。遠い記憶がシーンの悲壮感を増幅させて、危うい吊り橋に勝手に掛け替えたようです。関西のじじいを笑ってやってください。
Commented by 最後の橋 at 2008-03-13 15:30 x
こちらに、再上映を、問い合わせては、如何でしょうか。
昨年10月27日~11月2日の、上映記録があります。
http://cineaste.jp/
Commented by 春声@ at 2008-07-27 22:10 x
九州福岡の映画ファンです。映画のこと特に戦争と橋のことで調べたいことがありbrowzしていました。『最後の橋』と入れて検索しましてここを知りました。みなさんマリア・シェルのこの映画のことを熱い思い入れで語ってあり、私もまったく同様な感想と状況です。昭和30年代高校生の時福岡市内の映画館で一度だけ観たような記憶があります。マリア・シェルのきれいさと戦争の残酷さが鮮烈な印象。NHK放映も過去にあったんですね。今でも放映権を持っているんでしょうか?アテネフランセでもDVD上映。再見するチャンスはなきにしも非ず!ですね。も少し生きてなんとか観たいもの。春声@←HPは恥ずかしながら更新出来ていません。
Commented by T-34-85 at 2012-05-07 12:16 x
  「最後の橋」、小生も高校時代にNHKのTV放映で何の予備知識も無く初めて観ました。舞台は第二次大戦中のバルカン半島ボスニア・ヘルツェゴビナ。そのラストシーン:ネレトバ河に架かる“最後の橋”の上に力尽きて倒れた従軍女医ヘルガを演じるマリア・シェルを写しながら、カメラが引いていく・・・  それに重なるユーゴの哀愁を帯びた民俗歌謡の旋律、橋を挟んで対峙する独軍とパルチザンとの間に再び沸き起こる激しい銃撃戦、最後に無音声で表示された“この映画は実話に基づいて制作された”旨の字幕。高校生であった小生は強烈な衝撃と同時にマリア・シェルと云う女優は只者ではないとの印象を受けました。この印象が間違ってはいなかった事は以降追々と知らされるに到る訳ですが・・・
  「最後の橋」ですが、今はyouTubeの中で観る事が出来ます。九つのファイルに分割されていて、使用言語は伊語(映画の冒頭で伊兵が喋る)、独語、セルビア語(ユーゴのパルチザンが喋る)、英語(映画の後半でパルチザンの支援に派遣された英人が喋る)です。独語部分には(かなりいい加減な)英語の字幕が付されています。
Commented by Opa at 2012-05-08 14:40 x
T-34-85 様
「最後の橋」をyouTube見ることができると、よくお知らせくださいました。うれしいです。さっそく見てみます。
Commented by T-34-85 at 2012-08-31 13:12 x
  “最後の橋”の上に力尽きて倒れたヘルガは遂に自軍の許へ帰還を果たせ無かった訳ですが、もし戻っていたら如何様な運命が展開していたのでしょうか?
  医者である彼女は勿論戦闘に直接関与した訳では無く、ハーグの陸戦に関する国際法に依れば医療施設は攻撃対象としてはならず、傷病兵は敵味方を問わず保護される(少なくとも建前としては)とはいえ、彼女は利敵行為者として軍事法廷に立たされる気がしてなりません。
  何方か当時の独国防軍の軍律に詳しい方、「最後の橋」の番外編として此の辺の事を開設・説明して戴けると有難く思います。
Commented by T-34-85 at 2012-08-31 13:19 x
  前信の末尾部分で“開設・説明”とあるのは“解説・説明”の誤りです。失礼致しました。  
Commented by ИС-2 at 2012-09-03 11:26 x
 当時の独国防軍の軍律に詳しい訳ではありませんが、一般的に云えば、此の場合利敵行為の故に軍法会議は免れ得ない気が致します。監督のヘルムート・コイトナー自身、映画の中で此の事を暗示する場面を幾つか設定していると思います:
 第二の“橋”を渡ってモルゴリイェヴォへ向かう途上、シェーラー中尉は自分を看護しようとするヘルガに対して“お前は裏切り者だ”旨の言葉を投げつけています。又、ポルテヴァの地下蔵でマルテイン曹長との感動的な再会を果たした場面で、彼は“敵を助けるのか”旨の詰問調の言葉をヘルガに発しています。これに対して彼女は“私の居場所は私を必要とする所だ”旨の言葉を返す訳ですが・・・
 要するに、常識世界が“橋”の此岸側に留まっている時、ヘルガは既に遥かな彼岸側に大きく踏み出してしまったのです。 
Commented by T-34-85 at 2012-09-04 11:26 x
 ИС-2様、御卓見感謝いたします。
 ポルテヴァの地下蔵でマルテイン曹長との感動的な再会を果たした後、彼の制止を振り切る形で地下蔵を後にし、“最後の橋”の上にヘルガが倒れ伏すまでの部分はこの映画の物語的且つ主題的な頂点を成すと存じますが、注目すべきはこの部分をマリア・シェルは殆ど台詞無しで演技している事です。
 この間に彼女の発した言葉は: 地下蔵の階段上部から振り返ってマルテイン曹長に投げ掛けた“ich komme wieder”、パルチザンの小隊長ボロに医薬品を手渡しながら発した“ich muss zurueck, bitte, ist gefaellig”のみです。
 即ち、この間のヘルガの揺れ動く感情の起伏、心の葛藤等をマリア・シェルは身の仕草や立ち居振る舞い、目線や表情のみで表現し、観客に伝達しているのです。凄まじい演技力であると思います。特にその眼差力には他の追随を許さない天性的な物を感じます。
 高校生であった小生が当時受けた“マリア・シェルと云う女優は只者ではない”と云う印象は此れだったのかと、今にして思います。
Commented by ИС-2 at 2012-09-05 11:46 x
 T-34-85様、“眼差力”とは言い得て妙ですね。同感いたします。
 「最後の橋」の二年後、エミール・ゾラ原作、ルネ・クレマン監督による仏映画“GERVAISE”(邦題「居酒屋」)が制作・公開されました。この作品への出演で、マリア・シェルは今度はヴェネツィア映画祭での主演女優賞を獲得するのですが、これもまた眼差力を初めとする彼女の卓抜した演技力の賜物でしょう。
 例えば映画の後半部分: パリの駅頭で、グージェと共に旅立つ我が子エチエンヌを人陰から秘かに見送る母の愛惜の眼差し、二人の出立後、駅を去る際に見せる虚脱の眼差し・・・
 更に映画の終幕部分: アル中に陥った夫クポーが暴れ回り、荒廃しきった店内に一人残されたジルヴェーズの悲哀に満ちた眼差し・・・ パリの下町で慎ましい幸せを求めて健気に生きてきた洗濯女が、周囲の男達や性悪女によってその存在を根底から崩されようとしてる時、内面精神の崩壊音が聞こえて来る様なその眼差し・演技に慄然とし、鳥肌が立つような切なさ・居た堪れなさを覚えるのは私一人では在りますまい。
 因みに、これ等の場面をマリア・シェルは矢張り台詞無しで演じています。状況が言葉を無力にすると云う事でしょうか。
Commented by T-34-85 at 2012-09-06 11:27 x
 「居酒屋」と云えば、その冒頭部分でジルヴェーズが自分を揶揄する性悪女ヴィルジニーと洗濯場に於いて演じた取っ組み合いの大喧嘩の場面も忘れ得ません。マリア・シェルのあの小柄な身体から、何処に秘められていたのかと思わせる強烈な存在感・オーラが発せられて、その迫力に息を呑んだ事を憶えています。ヴェネツィア映画祭での主演女優賞獲得は当然だろうと思います。
 更に一年後には、ドストイェフスキーの初期の中編小説を伊新リアリズム派ルキノ・ヴィスコンテイ監督が舞台を(映画製作時の)現代イタリアのとある港町に移して映画化しました(伊仏合作、“Le Notti Bianche”、邦題「白夜」)。作品自体はヴェネツィア映画祭の銀獅子賞を受賞しますが、マリア・シェルは此処ではマルチェロ・マストロヤンニ、ジャン・マレー等と共演してドストイェフスキーの作品世界(三晩に亘る幻想的な恋物語)を情感豊かに演じて、“シェルの笑み”、“涙を通して微笑む女優”と云う批評家の表現が現れたとのも此の頃ではなかったでしょうか。
Commented by ИС-2 at 2012-09-07 12:34 x
 「白夜」では監督が冬の港町の“雪の白夜”を演出していましたが、原作の真髄は見事に捉えて映像化していましたね。天国のドストイェフスキーも納得でしょうね。
 「居酒屋」にしろ「白夜」にしろ、原作(脚本)・監督(演出)・俳優(演技者)の三拍子が揃う事が名画が生み出される条件である事を示す好例ですね。この関連で想い起されるのは「白夜」の更に一年後(1958年)、米聖林の映画資本MGMによる同じドストイェフスキーの大作「カラマーゾフの兄弟」の映画化です。
 これはもう原作を知る者にとっては“一体全体此れの何処が「カラマーゾフの兄弟」なんだよ!?”と思わせる代物で、そもそも世界文学の頂点に位置するあの大作を僅か二時間二十分程度の時間枠に押し込めるのが無謀極まる無理・無茶と云う物で、出来上がったのはメロドラマ風のドタバタ劇に過ぎません。
 まあ、俳優陣に責任がある訳ではなく、マリア・シェルも与えられた脚本の制約の中で精一杯の努力をしています。例えば、ドミートリーが自分を陥れようとするグルーシェンカに憤慨して彼女をぶん殴りに押し掛け、結局彼女の魅力の虜になる件の映像化は正にマリア・シェルの本領発揮と云う所でしょうか。
Commented by Opa at 2012-09-07 23:54 x
「最後のの橋」でのじじいのたわごとで、みな様の卓見を興味深く拝見できて光栄です。マリア・シェル墓参のご提言、ウイーンでいろいろ検索しましたが、見つけることが出来ませんでした。力不足です。ご存じの方ご教示ください。機会があれが実現したいです。
Commented by T-34-85 at 2012-09-08 11:54 x
 ИС-2様、聖林の脳天気な米映画資本の商業主義とマリア・シェルとではそもそも基本的な方向性が一致しないと思います。
 ところで此処は冒頭の表示にある通り「最後の橋」のサイトですから、あまり途を外れると管理人Opa様の叱責を受けかねません。ここらで本来の途へ復帰いたしましょう。

 「最後の橋」でパルチザンの小隊長ボロを演じたベルンハルト・ヴィッキは五年後の1959年、第二次世界大戦の最終末期の独本国の小さな町を舞台に、七人の独少年兵の運命を描いた西独映画“DIE BRÜCKE”(邦題「橋」)を監督いたしましたが、この映画の終幕部分設定の仕方に「最後の橋」のそれが色濃く影を落としていると感じるのは小生の単なる錯覚に過ぎないのでしょうか?「最後の橋」は一方の主演者として、謂わば当事者の一人として此れに参画した彼に対しても強い感化を残した様に思われ、興味が惹かれてなりません。

 Opa様、マリア・シェルは故国オーストリアのケルンテン州に在る彼女の御両親が遺した山荘近くの墓地にて永眠されているのではないでしょうか。
Commented by ИС-2 at 2012-09-08 17:36 x
 Opa様、途を外れて御免なさい。

 仰る通り、「橋」の終幕部分(特にカメラワーク及び無音声の字幕表示)は「最後の橋」のそれを彷彿とさせますね。双方とも戦争の不条理を訴える反戦映画の名作であってみれば、ヴィッキの脳裏には五年前の経験が当然浮かんで来たのでしょう。

 それは兎も角、1950年代後半を中心とした此の時期はマリア・シェルの年齢から考えても、体力・気力・精神力的に最も充実した(所謂脂の乗り切った)彼女の女優活動の頂点期に当たっていたと思われ、類い稀な卓抜した演技力・天性の眼差力に加えて母語である独語以外に仏語、伊語、英語を自在にこなす言語能力も相俟って、国際女優No.1として欧米の映画界を疾風怒濤の如く駆け抜けて往った観が有ります。正に百年に一度現れるか否かの世紀の名女優である(と、私は勝手に思い込んでいます)。
 彼女に就いて語り出せばそれこそ際限が有りません。それは又時・場所・機会を改める事とし、今は故国のアルプス山麓に於ける彼女の安らかな永眠を念じつつ、此の辺で一旦拙筆を置きます。失礼致しました。

Vielen Dank, unsere Seelchen! Wir hoffen die ewige Ruhe fuer Sie, Maria!
Commented by mizzo301 at 2012-09-08 19:16
T-34-85様
マリア・シェルの墓所でご教示ありがとうございます。はたして墓参の機会があるかはわかりませんが、これからぼちぼちと調べてみます。Opa
Commented by mizzo301 at 2012-09-08 19:18
ИС-2様
とんでもありません。豊かなご見識におどろきながら、楽しく読ませていただきました。感謝です。Opa
Commented by T-34-85 at 2012-09-09 13:15 x
 小生が高校生であった年の小春日和の12月、日曜日の午後、偶々廻したTVチャンネルの白黒画面の中に独国防軍の看護婦の制服に身を包んだ彼女が現れた。小生が大女優マリア・シェルを初めて知った瞬間である。既述の如く、何の予備知識も無かった(恐らく独軍がユーゴに侵攻した事実すら知っていなかったと思う)。しかし観終わった後の印象は強烈だった。置かれた重い状況の中でヘルガ・ラインベックが投げ掛ける眼差しの幾つかは今でも脳裏から離れない。
 あれから半世紀近く、此の印象の実体を究めるべく思索の彷徨を続けて来た。その結果の一端でもを文字にすれば、上掲の様な駄文に成ると云う次第です。

 
Commented by T-34-85 at 2012-09-16 11:49 x
 2005年4月28日付新聞朝刊社会面片隅の訃報欄(オーストリア発)が、4月26日のマリア・シェル死去を告げていた。死因は肺炎、享年79歳。心の中を寂寥とした隙間風が吹き抜けた。何時かは彼女に相見えて、かの只ならぬ印象の本質を見極めたいと云う儚い願いが、最早叶わぬ夢と化した事を告げる隙間風だった。

 彼女の逝去に際して、弟君のマクシミリアン・シェルは“(愚痴一つ零さず闘病に耐えた)彼女にとって死は救いかもしれないが、私にとってはそうでは無い。彼女は私にとって代替され得ない、掛替えの無い存在だ”旨を述べていますが、マクシー(彼女の弟への呼掛け)の言葉が、嘗て彼女に直接相見え言葉を交わした事も無く、ましてや血肉を分けた仲でも無い小生の胸に何故か深く沁み入って来ます。
 思うに、それが(映画)芸術の、又それを具現する(名優と云う)芸術家の存在証明と云う事なのでしょう。今は唯々、彼女が千の風となって永劫に私達の胸中を吹き渡る事を願い、故国アルプスの山懐に抱かれた彼女の安らかな永眠を祈りつつ、小生も又此の辺で一旦拙筆を擱きます。 (合掌)
 
Danke schoen, Maria! Jetzt die ewige Ruhe fuer Sie!
Commented by T-34-85 at 2013-04-10 09:58 x
 マーガレット・サッチャー元英首相の訃報が報じられています。享年87歳、と云う事は“鉄女”はマリア・シェル(及びエリザベスⅡ英女王)と同い年だったのですね。ところで4月26日は彼女の8回忌に当たります。
Commented by Opa at 2013-04-11 14:27 x
Opaの知らぬことばかり、ご教示ありがとうございます。
Commented by ИС-2 at 2013-04-26 14:36 x
今日4月26日はマリア・シェルさんの命日ですね。ところでサッチャー元英首相と彼女とは三カ月余り(元首相が先輩格)、エリザベスⅡ英女王とも三カ月余り(女王が後輩格)の齢の差です。三人の内、既に二人が故人となりました。因みに元首相の名は独語ならばマルガレーテで、此れは奇しくもマリア・シェルの本名に当たります。何か因縁めいた物を感じますね。
Commented by YK-8 at 2014-01-03 16:42 x
最後の橋を見たのはまだ高校生の時でしたから50年以上昔のことになります。今でもラストシーンとあの時流れていた曲は覚えています。DVDもないしと思っていたらyoutubeで見ることができるとのこと。嬉しいお知らせです。でもどうやっても見ることができません。詳しく教えていただければ幸いです。予防注射のシーンがありましたね! マリア シェル、忘れられない想い出です。
Commented by mizzo301 at 2014-01-03 22:02
「最後の橋」Die letzte Bruckeで検索すると、9つのファイルに分割されて見ることが出来るとおもいますが・・、小生もいただいたコメントに教えられました。お試しください。 Opa
Commented by YK-8 at 2014-01-04 09:52 x
mizzo301さん、ありがとうございました。 見つけました! 「Die letzte Brucke」の9つのファイルを! 今は朝です。懐かしいマリア シェルに会うのは今夜が良いかなあと思っています。 素晴らしい、新年の贈り物をありがとうございました。
Commented by kami at 2017-05-11 20:48 x
私もNHKテレビで見たひとりです。あれは大学生の時だったような気がします。
あの映画「最後の橋」のことが忘れられず、折にふれて探していました。
昨年、とうとうDVDを手にいれました。驚いたことに、日本語の字幕がついていました。
何枚か入手しましたので、もしご希望であれば、送料とも 5,000円で、一枚お頒けします。
連絡先は、kamiya@t.email.ne.jp です。 
by mizzo301 | 2008-02-08 16:31 | エッセイ | Comments(28)