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Opaの日々雑感


by mizzo301
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初任給の時代

初任給の時代_d0087054_2011153.jpg

 1962年の春、K響に入団する。市電乗車賃、あんパン十五円、出雲路橋東詰でお昼の定食六十五円、タクシー初乗り百円、バイオリン弾きOpaの初任給は確か一万六千円であった。安月給である。昭和六十三年刊、週刊朝日編集の「値段史年表」によると、その年の国家公務員の初任給が一万五千四百円とある。公務員や教員の給料が極端に低い時代ではあったのだ。そういえばデモシカ先生などという言葉があった。先生にでもなるか、先生にしかなれないという意味である。それでも初月給は嬉しかった。なぜか当時、楽団の給料日は毎月四日であった。入団した途端に月給を受け取った覚えがある。その日は四条大宮のスター食堂二階で、黒ビールの小瓶とビーフカツを頼んで、京の街を行き交う雑踏を眺めながら一人で初月給を祝った。その頃四条大宮は、阪急電車のターミナル駅であった。
 バイオリン弾きの給料は安かったけれど、在団中の経験は何にも代え難い。世界の一流奏者や指揮者との出会いである。ボストンポップスのアンドレ・コステラネッツ、チェロのカサード、大指揮者パウロ・クレツキー、ベルリンフィルのミシェル・シュヴァルベ等、中でも「剣の舞」で知られるハチャトリアンと名バイオリニスト、レオニード・コーガンとの共演は忘れがたい。それはコーガンの弾くバイオリン協奏曲を含めた、オール・ハチャトリアン・プログラムであった。この老作曲家はおそらくロシアから持参したのであろう煙草を口にくわえ、悪臭に近い煙をまき散らしながら練習の指揮をする。前の方の団員は大いに迷惑であるが、天下のハチャトリアンにはさすがにそうともいえない。あるいはこの老大家が自ら自作を振るという、まれな演奏に加わる喜びの方が大きかったのかも知れない。演奏会は京都、大阪の二公演で盛況のうちに終わった。バイオリニストのコーガンはその後、ソ連国内を移動中の列車内で心臓発作をおこし早世している。当時ソ連の楽壇を支配したゴスコンチェルトの課した、過重な演奏スケジュールによる過労死とも伝えられる。舞台の袖で口元をゆがめて楽器を構え、猛烈なテンポで多様な重音のスケールを繰り返し練習するコーガンの姿を、今も鮮やかに思い出す。
by mizzo301 | 2008-01-04 19:47 | エッセイ | Comments(0)