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指揮者クルト・マズア

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 昭和が平成になった1989年は、東西ドイツが再統一を果たした年でもある。それには一人の音楽家が大きな役割を果たしていたことを、ノーマン・レプレヒト著「巨匠神話」で知った。押し寄せるペレストロイカの影響下、東ドイツ、ライプチッヒ市民の不満は25万人の大デモとなり、武力を前面にした強圧的な政府と鋭く対峙した。その時ライプチッヒの音楽監督クルト・マズアは政権に対し、武力行使を排除した市民との交渉を促す声明を発表した。彼の為に新しいコンサートホールまで建ててくれた独裁者ホーネッカーに、公然と楯突いたのである。果たしてホーネッカーは、「天安門事件の記憶」を脅しに、再度起こりうるデモに発砲を命じて武装部隊を待機させる。指揮者マズアは急遽、近い仲間数人と自宅アパートで密かに策を練る。その夕方抗議の人々が集まり始めるや、彼は広場に面したコンサートホールの扉を開き、デモ隊を収容してしまう。そこでは東ドイツ成立後40年来初めて市民の自由な討論が行われ、東独政権瓦解を実現に導いたという。 
 一音楽家がその勇気で、無辜の群衆を流血の惨事から守ったのである。以後クルト・マズアは音楽世界以外でも一躍名を馳せ、一時は大統領候補にまで推された。その時彼は言ったという。「政治家にならねばならぬほど、私は悪い指揮者なのか?」と・・
by mizzo301 | 2007-05-03 11:07 | エッセイ | Comments(0)