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Opaの日々雑感


by mizzo301
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良きかな匂う風景

良きかな匂う風景_d0087054_1755691.jpg

 臭い話が続く。雪隠、厠などとトイレを呼んだ時代、一般家庭に水洗トイレはなかった。覗き見れば、便壺を這い回るウジ虫も望見できる。黙れウジ虫共とドラマでいうが、彼らは寡黙にウジウジと這い回るだけ、五月蠅いウジ虫などいなかった。戦後の我が家では、新聞の切れ端がトイレットペーパーであったりもした。それを読み出すと続きの切れ端を探し求めて、匂いが目に沁みる中でしゃがんだまま長居をしたものだ。厠を出た時の清涼感がよかった。新鮮な空気、ほうろう引きの手洗器が吊られ、隣に手拭いがひらめく。南天やヤツデが茂って、梅雨時には雨蛙、カタツムリが幾つも板壁を這っている。かつてはこれが日本の標準的トイレ風景であった。ブルジョワ谷崎潤一郎が「陰翳礼賛」で求める理想の厠とはほど遠いのが普通であった。
 水洗でないから溜まる。放っておけば日本糞没、水没より恐ろしい。お役所のサービスもない。専門の業者や近隣の農家にお願いして、僅かな労賃でくみ取って貰うのが普通であった。農家は田んぼの野壺でそれを熟成させ、肥料にした。化学肥料の汚染など無い時代である。畑には尻を拭いた紙が陽光風雨に晒され、古雅枯淡の趣を添えていたものだ。一般家庭でもそれを希釈して、自家菜園で施肥するのは当たり前であった。初夏には阪急電車の窓から流れ込む下肥の香で深呼吸したものだ。
 中学生時代、職業家庭科の時間にトイレの汲み取りがあった。おうこという天秤棒を使い二人で一荷を担ぐ、それで校内のトイレと菜園を往復する。相棒はいつもお寺の子I君である。エイッホエイッホ、チャッポンチャッポン、顔や身体中にうんこの飛沫を浴びながらの楽しい作業であった。
 今や火野葦平の短編「糞尿譚」を思い出さずにいられない。いつかは市の買収を夢見ながら、家庭の屎尿を買い上げ農家へ肥料として売るささやかな家業の男。町の顔役や小役人に阻まれてことはならず、ついにぶち切れる。自分も人もあるものか、ザンブザンブと柄杓でうんこを浴びせる幕切れの描写が美しい。昭和六年に芥川賞を受賞している。
by mizzo301 | 2007-02-19 17:12 | エッセイ | Comments(0)