ヴァイオリンひけるかな
2018年 10月 30日
ヴァイオリンをぷっつりとやめて間もなく一年である。昨年は春先から五十肩、いや八十肩になり左腕が痛くて楽器を持ち上げられない。そこへイオンの駐車場で車止めにつまづいて転倒、コンクリートに頭を強打、救急車で運ばれた。その後なぜか右肩まで痛み出す。ヴァイオリンどころではない。両腕が上がらないから風呂で頭を洗うにも両手が使えない。それより右肩の痛みで尻に右手がとどかない。トイレが紙頼みでなくてほんとによかった。シャワートイレが今や神である。だがヴァイオリンを忘れたわけではない。彼女とは70年来の友である。両肩の痛みがとれた暁にはまたひいてやろう思っていた。あれから一年が過ぎようとしている。いまや肩の痛みはほとんど消えている。試しにヴァイオリンをひいてみたい、と思いながら日がすぎる。あまり長く楽器にふれなかったから、ケースを開くのがなんだかこわい気がして一日延ばしに過ぎる。すっかり怠け心が身についてしまった。これじゃいかん、今日の午後、思い切ってケースを開いた。弦にも弓の毛にも異常はない。あんた長いことうちをほっといてなにしとったん、という顔でヴァイオリンが下からOpaをながめている。すまんというてふたを閉じる。小野アンナの音階教本のほこりをはたいて譜面台におく。今日はこれまで、善は急ぐな。
by mizzo301
| 2018-10-30 14:46
| エッセイ
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