秋祭りに思う
2018年 10月 07日
近所の畑ではコスモスがゆらぎ、その茂みから虫のこえが聞こえる。頭上には台風によく耐えた柿が実る。遠くから祭り太鼓がきこえる。泉州はいま秋祭りの季節である。Opaの新興宅地にも、はなれた旧村の地区から山車が若者たちにひかれてやって来る。もっともこの地も造成から半世紀、いつの間にか高齢者の集落のようになっていた。ところがなぜか最近は若い家族の移住がふえて、元気な子供たちのすがたをよく見られるようになった。そんな子供たちには、祭り囃子とともにきてくれる山車は大いに楽しみであるらしい。そんな子たちのために、同じ校区のよしみもあってかはるばる牽いてきてくれるらしい。祭りの数日前には、礼儀正しい若者たちが、ご寄付をお願いできませんかと訪ねてくる。Opaの差しだすわずかな奉加金をうやうやしく受けとると、なにやら紋所と西若中と金文字のはいった上等のタオルを渡してくれる。さてこの祭り、ウン十年まえは実にがらの悪いものであった。小さな駅前広場で山車が大暴れを演じ、半纏姿でたばこをくわえた中学生男女が、国道わきの道ばたに車座を組んで、一升瓶から茶碗酒をあおっていたものである。はじめてその光景を目にしたときは、ひっくり返るほど驚いた。だがそれから何年も経たぬうちにそんな風景はいつの間にか消えていた。祭りを運営する若者たちに、きっと何らかの自浄作用が働いたにちがいない。今ではにぎわいながらも、子供たちも安心して参加できる祭りになったと聞いている。もとはといえば、土地の五穀豊穣、豊漁を祈願する祭礼であろう。今その意味はうすれたかもしれないが、祭りの伝統はたやさないでほしいと、よそ者Opaは思うのである。
by mizzo301
| 2018-10-07 18:14
| エッセイ
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