船で本を読む
2011年 11月 26日
十年ばかり前、上海まで十日間の船旅をした。その時、本を一冊だけ持って船にのった。僧円仁の「入唐求法巡礼行記」、原文はおろか訳文すらのみこめず、読み始めてはなんども挫折をくり返した本である。隔絶された洋上で読み物はこれしかないとなれば、いやでも読むだろうと考えたのだ。はたして思わく通り、ひるまは甲板のデッキチェアで、夜はキャビンのベッドで、円仁の波乱にみちた九年の滞唐日記に没頭、ついに耽読の境地にいたり、船上で感動をもって読了したのであった。思い出にのこる読書である。今回の船旅にも本は一冊ときめて、新潮文庫の新刊、陳天璽の「無国籍」を持って乗った。それを、切実な内容にひかれて読みふけり、乗船の夜に読み終えてしまったのだ。船に本屋があるじゃなし、残る三日間もう読む物はない。わけわからんテレビを見て、ひそかに持ち込んだ宝焼酎を夜な夜なあおるばかりである。船旅に本は一冊ときめつけたことを後悔しつつ、活字中毒者の航海の旅はおわった。
by mizzo301
| 2011-11-26 23:55
| エッセイ
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