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茶の湯

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 緑茶の粉末をよく買う。ティースプーン一杯を湯飲みに入れ、T-falの高速湯沸かしから勢いよく湯をそそぐと、自然に攪拌されてうまいお茶になる。食後にこれを飲みながら朝刊に眼をとおすのが習慣になっている。最近Opaのお茶といえばこれである。お茶漬けも当然この茶である。綠の粉末をご飯にたっぷりふりかけて湯をそそぐ。これを塩昆布で食うとさわやかにうまい。夕べの刺身の残りを飯にのせて、わさび醤油をたらし、お茶の粉をやや控えめにふりかけて湯をそそいで食うのもなかなかのものである。粉末緑茶はえらい。それも残り少なくなってお茶売り場をのぞくと、抹茶が眼についた。値段は普段の茶の三倍もする。これだけ高価なのはうまいにちがいない。短絡的物欲思想家Opaたちまちこれをあがなう。これをスプーンで湯飲みに入れ湯をそそぐ。いつものお茶のようにうまくまざらない。スプーンでかきまぜて飲む。味は悪くないが、だまが口に残る。これのお茶漬けはもっといけない。いつもの伝で湯をそそぐと、綠色の泥沼に飯の山が浮かぶ。二度とすまいと思う。抹茶はやはり茶の湯にかぎるのか。といえども当家に茶碗、茶杓、茶筅などの風流はなにもない。そこで湯割り焼酎のマグカップに茶の粉をいれて湯をそそぐ。百均の電動カプチーノミキサーでブイブイと泡だてる。お茶請けにキットカットをかじって茶の泡をすする。うまい、まことに結構なお点前でござった。

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# by mizzo301 | 2019-01-10 15:40 | エッセイ | Comments(0)

謹賀新年

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 今朝もドンと散歩に出る。風もなくよく晴れた元旦である。こんな朝は春の日にも似て、波静かな海のかなたの風景が少しかすんで見える。神戸の街や六甲の山並にも紗がかけられて、景色が暖かい。気温は1度と決して暖かくはないのに、すぐ下の海岸を散歩する人たちの歩みまでゆったりと見える。連れ合いを亡くしドンと2匹の生活になって八度目の新年である。以来ひとりで正月を迎えたことはまだ一度もない。今回も年末には孫娘が任天堂のスイッチを携えて東京からきてくれた。大学院生のその弟もおんぼろ車を駆って箕面からブイブイと到着、さらにいもうと娘がシーズー犬しし丸を連れて来宅、ワンワンキャンキャンにぎやかな年越しとなった。うるさいぞ・・いや、不平はいうまい。これも年末年始、Opaをひとりにしてさびしい思いをさせないための人および犬たちの気遣いであろう。隣町の寿司屋から取りよせたおせちをひらき、タカラ焼酎を屠蘇に新年おめでとう。やがて年賀状の束が届く。何十年もくり返された元日の光景だが、老人はひとりきりでないのがやはりうれしい。

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# by mizzo301 | 2019-01-01 23:08 | エッセイ | Comments(2)

光陰矢のごとし

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 六甲おろしが海をわたって坂道を吹き昇ってくる。朝の散歩コースもこのところめっきりと冷えこむ。彼方には明石海峡大橋、神戸の市街、左手に淡路島が冬の澄んだ空気の中にくっきりと浮かぶ。目の前の関空からは、この風の中をしきりに離発着する飛行機が見える。今年も四季折々のこの光景を眺めながらドンと歩いた一年であった。それにしても時の経つ速さには今さらながら驚く。歳のせいである。小学生のころなどは永久に子供のつもりでいた。それが歳と共にだんだんと速く感じられるようなる。ついに今や余命いくばくかの年寄りである。時には子供時代のさまざまを思い出す。それは映画のなかで別人の子ども時代を見ているような感じでもある。今の自分と直接つながっている実感がもてないが、子供のなれの果てであることにちがいはない。何ひとつとりえのない人生を漫然とOpaは生きてきた。そして今年も暮れる。新年にはあらためて夢も希望も持ち合わせていない。ただかわらず漫然と生きるであろうと想像はつく。願わくばドンとOpaの安寧を祈りたい。

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# by mizzo301 | 2018-12-31 16:11 | エッセイ | Comments(3)

EXPO '70

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 70年万博の未使用チケットが一枚ある。先日、さがし物で今は使わなくなった古い机の抽斗をあさっていて発見した。なぜそこにあるのか、そのいきさつにはまるで覚えがない。大阪に '25万博の開催が決まったので、あたいの出番が来たと勘違いして顔をだしたのだろうか。抽斗の底にへばりついておよそ半世紀を耐えぬいた骨董品である。会期は昭和45年年3月15日~9月13日、入場料は800円だったんだ。当時、Opaに次女が生まれたばかりのころであった。4歳の長女とふたりではるばると万博見物に出かけたことがあった。暑い夏の日であった。会場は見物客でごった返している。どのパビリオンも入場を待つ長蛇の列である。幼い娘はそんな物に興味はない。その日は娘のための万博である。Opaもはじめからパビリオン入場はあきらめている。太陽の塔の偉容を見ながら、上機嫌の娘の手をひいてさまざまな遊具がはなやかに回転する遊園地へ向かう。もちろんそこも人であふれている。おまけにどの遊具も順番待ちの長い列である。ようやく幼児でも乗れる乗り物を見つけて、長い列の後ろにつく。二時間待ちの順番を大変だと思ったが、娘は待つという。前後はやはり幼い子供連れが大勢ならんでいる。待つ間に前後の人にお願いして列をぬけ、二回オシッコに連れていく。ようやく順番がきて、そう高くはない塔の上で二人乗りの小さな乗り物に乗る。するとそれは塔の周りを螺旋状に滑降して、あっという間に降車場に到着、二時間ならんでたった二分のイベントであった。その虚無感を、それでも満足げな娘の様子に癒されたのを思い出す。その外に何をして何を食べたのか、今では何もおぼえていない。親子ふたりが万博の雑踏で数時間をすごし、黄昏れを待たずに家路についた、半世紀前のまぼろしのような思い出である。

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# by mizzo301 | 2018-11-28 17:10 | エッセイ | Comments(1)

晩秋のよく晴れた日曜日

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 晩秋のよく晴れた日曜日に、かつての教え子たちの同窓会に招かれた。トリマーさんにドンの預かりをお願いして、いそいそと出かけた。電車に乗るのも久しぶり、ルンルン。スマホの地図をたよりに、本町に近い小さなイタリアレストランに向かう。あったあった、人通りもまばらな休日のビジネス街にあって、その店からだけなにやら華やいだ空気がもれてくる。Opaを呼んでくれた教え子たちの、楽しい午餐会である。しゃれた小料理とワインをたしなみ、旧交を温めて近況を語り合いときに笑いさんざめく。Opaも自然に交歓の輪に取り込まれ、心温まる時をすごさせてもらった。愛すべき淑女たちよ、いつまでも幸せでいてね。Opaはあなたたちの人生の安穏を願ってやみません。みんなと別れて御堂筋に向かう。夕まぐれ、大通りはイルミネーションに彩られてとってもきれい。おおシャンゼリゼ~にも負けてまへん。70年まえのこのあたりは空襲をうけて一面の焼け野原だった。そんな無惨な御堂筋で、父に連れられてよしずに囲まれた屋根のない店に入って、どんぶりの汁を立ち飲みしたのを思い出す。

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# by mizzo301 | 2018-11-19 23:14 | エッセイ | Comments(0)

旅の蝶

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 10月のさる日、妹からアサギマダラの写真が送られてきた。庭のフジバカマの周りで10匹ほどが乱舞しているという。数千キロの長い旅をするわたりの蝶である。途中はるか上空から、毎年妹の庭のフジバカマを見つけて数日間とどまり、その蜜でスタミナを養い、いずこかへ旅立つようだ。果たして今年の旅先は台湾か香港かさらに遠い異国であるのか。妹は写真に夢中で、それを彼らに訊きそびれたという。一昨年にはたまたまOpaもその場にいあわせて、アサギマダラの優美な舞いを見ることができた。彼らは他の蝶とちがい、人が近づいても逃げない。ひたすらフジバカマをとりまいて飛び交うのである。ところで蝶の正しい数えかたは、一頭二頭だとヤフー知恵袋で知った。意外である。ダンボのような子象たちが、大きな耳をひらひらさせて宙を飛びまわるのを想像してしまうではないか。

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# by mizzo301 | 2018-11-06 17:59 | エッセイ | Comments(0)

ドンちゃん雲になる

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 毎朝6時すぎにふと眼がさめる。もうひと眠りしたい気分で眼をとじる。すると必ずドンが胸の上に乗っかって顔をなめまわす。決して二度寝をさせてくれない。散歩の催促である。Opaの一番つらい時間である。顔を洗い、腰痛対策の簡単なストレッチをして散歩に出る。軽い冷気をはらんだ秋風が心地よい。ようやく眼がさめる。晴れわたった空に雲が浮かんでいる。そのひとつがどう見てもなにかの動物に見える。アヒルのようでもあり、うずくまったドンが空中に浮かんでいるようでもある。「ノンちゃん雲にのる」をふと思い出す。70年のむかし、Opaは虚弱で学校をよく休む学童であった。教室に古びた本箱があって、中にある数冊の本の一巻がそれであった。病弱で運動を禁じられていたOpaには、うれしい本箱であった。体育の時間などは夢中で本を読んだ。月に一冊新しい本が増えるのが待ち遠しかった。Opaの読書好きはそれ以来のことである。その文庫、他のクラスにはなかった。我らが学級文庫、実は担任の先生のポケットマネーでまかなわれていたのだった。


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# by mizzo301 | 2018-11-03 18:19 | エッセイ | Comments(0)

ヴァイオリンひけるかな

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 ヴァイオリンをぷっつりとやめて間もなく一年である。昨年は春先から五十肩、いや八十肩になり左腕が痛くて楽器を持ち上げられない。そこへイオンの駐車場で車止めにつまづいて転倒、コンクリートに頭を強打、救急車で運ばれた。その後なぜか右肩まで痛み出す。ヴァイオリンどころではない。両腕が上がらないから風呂で頭を洗うにも両手が使えない。それより右肩の痛みで尻に右手がとどかない。トイレが紙頼みでなくてほんとによかった。シャワートイレが今や神である。だがヴァイオリンを忘れたわけではない。彼女とは70年来の友である。両肩の痛みがとれた暁にはまたひいてやろう思っていた。あれから一年が過ぎようとしている。いまや肩の痛みはほとんど消えている。試しにヴァイオリンをひいてみたい、と思いながら日がすぎる。あまり長く楽器にふれなかったから、ケースを開くのがなんだかこわい気がして一日延ばしに過ぎる。すっかり怠け心が身についてしまった。これじゃいかん、今日の午後、思い切ってケースを開いた。弦にも弓の毛にも異常はない。あんた長いことうちをほっといてなにしとったん、という顔でヴァイオリンが下からOpaをながめている。すまんというてふたを閉じる。小野アンナの音階教本のほこりをはたいて譜面台におく。今日はこれまで、善は急ぐな。

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# by mizzo301 | 2018-10-30 14:46 | エッセイ | Comments(0)
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 ドンに二時間ばかり留守をたのんで、イオンシネマへ映画を観にいった。そんな時ドンはほんとに聞きわけがいい。待っててねの一言で、あきらめの表情をうかべてその場にうずくまる。ほんとうは映画も見せてやりたいが、なぜか映画館は犬禁で入れない。出し物は今ひそかなブームをよぶ「カメラを止めるな」である。ネタバレのないうわさに興味津々のOpa、近くで見られるとあって急遽ドンに留守をあずけて観にいくことにしたのである。さてその映画は一言でいえばゾンビものである。ゾンビ映画をとる現場に本物のゾンビがあらわれ、ちぎられた腕が飛び、生首が転がる。薄気味悪く凄惨な場面にハラハラドキドキの長い前半、そして思いもよらぬ展開をするコミカルな後半を経て感動のフィナーレとなる。おもしろい映画なのに、観客はOpaをいれてたったの11人であった。興味がおありの方はご覧あれ、がら空きの会場でポップコーンをつまみながら快適に鑑賞できます。どんちゃんただいま、お留守番ありがとう、お駄賃にチキンのささみを一本どうぞ。

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# by mizzo301 | 2018-10-15 15:06 | エッセイ | Comments(0)

秋祭りに思う

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 近所の畑ではコスモスがゆらぎ、その茂みから虫のこえが聞こえる。頭上には台風によく耐えた柿が実る。遠くから祭り太鼓がきこえる。泉州はいま秋祭りの季節である。Opaの新興宅地にも、はなれた旧村の地区から山車が若者たちにひかれてやって来る。もっともこの地も造成から半世紀、いつの間にか高齢者の集落のようになっていた。ところがなぜか最近は若い家族の移住がふえて、元気な子供たちのすがたをよく見られるようになった。そんな子供たちには、祭り囃子とともにきてくれる山車は大いに楽しみであるらしい。そんな子たちのために、同じ校区のよしみもあってかはるばる牽いてきてくれるらしい。祭りの数日前には、礼儀正しい若者たちが、ご寄付をお願いできませんかと訪ねてくる。Opaの差しだすわずかな奉加金をうやうやしく受けとると、なにやら紋所と西若中と金文字のはいった上等のタオルを渡してくれる。さてこの祭り、ウン十年まえは実にがらの悪いものであった。小さな駅前広場で山車が大暴れを演じ、半纏姿でたばこをくわえた中学生男女が、国道わきの道ばたに車座を組んで、一升瓶から茶碗酒をあおっていたものである。はじめてその光景を目にしたときは、ひっくり返るほど驚いた。だがそれから何年も経たぬうちにそんな風景はいつの間にか消えていた。祭りを運営する若者たちに、きっと何らかの自浄作用が働いたにちがいない。今ではにぎわいながらも、子供たちも安心して参加できる祭りになったと聞いている。もとはといえば、土地の五穀豊穣、豊漁を祈願する祭礼であろう。今その意味はうすれたかもしれないが、祭りの伝統はたやさないでほしいと、よそ者Opaは思うのである。

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# by mizzo301 | 2018-10-07 18:14 | エッセイ | Comments(2)

灯台もと暗し

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 猛烈な台風21号のあと、Opaさんのお家はまだありますかと何人かの方から電話をいただいた。お陰さまで当方にはなんの被害もなく、などとその都度のんきに答えていた。台風から3日めの朝、裏手のお宅から突然の電話、Opaさんの屋根から瓦が落ちそうなのをご存じですかという。ええっ、知らん知らん、ほんまでっか。あわてて外に飛びだし屋根を見上げるが、真下からはなんの異常も見られない。とりあえずうろたえていると、裏のお兄さんがこれをごらんなさいと、ベランダからとったスマホの写真を見せにきてくださった。そこには一番はじっこの大きな棟瓦がはずれて屋根に転がり、今にも落ちそうな位置に止まっている。ほかにも何枚もの瓦が浮き上がり、口を開けて屋根が笑っているように見える。笑い事やないで。ドンとの散歩であちこちの屋根が大いに傷んでいるのを見ながら、自分ちだけは大丈夫と勝手に決めていたOpaがあほやった。なんでもこの台風でどの業者も出払って、すぐには来てもらえないという。中には瓦が払底して今年中の修理は無理といわれたご近所もあるらしい。でもほうってはおけない。待つのを覚悟でいつもの工務店に電話をした。するとそれから二日目、以外と早く職人さんが見にきてくれた。すぐに危険な瓦を取りのぞき、資材を整えて改めて参りますという。次はいつとは聞けなかったがまずはひと安心、まさに灯台もと暗しのひと騒動である。

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# by mizzo301 | 2018-09-22 18:28 | エッセイ | Comments(2)

嵐におびえた日

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 9月とはいえ、早朝から夏の日差しである。ドンと歩きながら、ほんとに台風が来るのかなと思ってしまう。テレビの予報で早めの避難を呼びかけるくらいだから、間違いないのだろう。帰ってリビング以外の雨戸を全部しめる。なるほど9時を過ぎるころからあたりが暗くなる。そのうち雨が降り出す。風も少し吹いている。そこへ妹の電話、海辺の住まいを心配してくれている。いやなんの、たいしたことはないよと応える。たいしたことないのはそこまでだった。風はだんだん激しくなる。土砂降りの雨の中、どーんと家をゆさぶる突風が間断なくおそってくる。裏庭の植物が折れんばかりにしなっている。おそろしい光景、でも腹がへる。昼食にアイスコーヒーとパン、ドンにもパン。風の恐怖にふるえる唇にパンをねじ込み、コーヒーで流し込む。ドンも異常を感じるのか、Opaを離れない、Opaもドンをはなさない。犬ヒトよりそって嵐にたえる時間の長いこと。4時をすぎる頃になって雨風がようやくおさまる。Opaが小学生だった1950年9月3日の日曜日、猛烈な台風の直撃にあい少年Opaは恐怖した。ジェーン台風である。以来あまたの台風を経験したが、今回の21号は、老Opaが68年ぶりにふたたび恐怖をおぼえるほどの暴風雨であった。台風は庭のレモンから若い実をひとつ吹きちぎり、狼藉のあかしでも残すかのように地べたにころがして去ったのだった。

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# by mizzo301 | 2018-09-05 23:19 | エッセイ | Comments(0)

どんぶりのドンです

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 さっぱり降らない。夏空がまぶしいばかりである。当地は昔から雨の少ない土地といわれるが、ほんとうに一雨ほしい。遅くても六時に起きて、七時までにドンとの散歩をおえないと、日差しに耐えられなくなる。おりしもお盆休みである。50年前の当地は、ローンをかかえた若い世帯の新興宅地であった。それが今やここで育った子供たちが、その子供たちを連れて祖父母のもとに里帰りをする時代である。どのお宅にも見なれない車が駐められている。今朝も海岸の方から上がってくる数人の子供に会った。なかには捕虫網を持つ子もいる。海のあるじいじばあばの家に泊まりにきたのだろう。普段は見ない子たちである。男の子がドンに近づいて、なんていう名前ですかときく。小学3、4年生か、言葉がていねいである。ドンだよ。えっ、ごん?。ちがう、ドン、どんぶりのドン。そうか、カツ丼のドンやね。ちがう、天丼のドンや。見知らぬじじいの無茶ぶりに、男の子は苦笑いをしながらドンの背をなでてくれるのだった。

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# by mizzo301 | 2018-08-13 12:42 | エッセイ | Comments(0)
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 妹からまたラインで写真がきた。空のひよどりの巣が写っている。すぐに妹の沈んだ声で電話があった。早朝、ひよどりの様子を見ようと巣の下に行っても、ひなたちの声がしない。巣が少し傾いている。あわてて脚立に上ってみると、巣はすでにもぬけの空、ひなたちの姿がない。何者かに襲われたのである。妹はカラスのせいよと憎らしげにいう。すぐ近くの松林に、大きな巣があって毎年そこで子育てをするカラスの一族がいるらしい。証拠はないが妹は、そこの一羽が犯人と断定している。そういえば、Opaも民家の軒下で、ツバメの巣を激しく襲うカラスを見たことがある。親ツバメがなすすべもなく近くをとびまわっていたのをおぼえている。カラスの仕業はありえない話ではないなと思った。もしそうなら、ひよの親鳥はどうしていたのだろうか。灼熱の日中も暴風雨の夜も抱き続けた卵から孵ったひなたちである。それが何者かに襲われるむごい有り様を、近くの枝からなすすべもなく見ているほかなかったのだろうか。

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# by mizzo301 | 2018-08-07 12:13 | エッセイ | Comments(1)

ヒヨドリ孵る

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 庭先でヒヨドリが孵化したと、妹からラインで写真が送られてきた。玄関脇のアオギリの木にいつのまにか巣がかけられて、抱卵しているらしいヒヨドリが一羽いたそうな。七月末の台風では、一夜はげしい暴風雨が吹き荒れて、ヒヨドリの巣が枝ごと吹きとばされてしまわないかと心配で眠れなかったそうだ。嵐が去った早朝、名残の雨の中を出てみると、なんと奇跡的に巣は無事で、中に親鳥の姿が見えて、妹はいたく感動したという。ほどなくひな鳥たちの声が樹上から聞こえるようになり、親鳥が子供たちの食事を調達に飛び立っては小さな木の実などをくわえて帰るようになる。だがひな鳥は蛇の好餌である。それを思うと気が気でない妹は、巣の下の幹にバーベキューの焼き網でこしらえた忍び返しを取り付けたという。それがどんな物か、はたして蛇に効果はあるのか知りたいがその写真はない。樹上からひなたちの声はするが、姿は見えない。何とか子供たちを見たいと思った彼女が、剪定用の脚立に上り、スマホの右手をいっぱい伸ばしてとった写真がある。はたしてそこには大口を開けて餌をねだる、元気な三羽のひな鳥の姿があった。後は彼らの巣立ちを見守りたいのだろうけど、脚立に上るのはやめてほしい。ご高齢の無邪気な妹を思うとOpaは心配になる。

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# by mizzo301 | 2018-08-04 15:24 | エッセイ | Comments(0)

蜂のこと

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 夕焼けのきれいな夕方、庭先の日よけテントを片付けていた。一匹の蜂がOpaの手元近くを飛びまわる。刺されはしないかと気が気でない。手で追いはらえば必ず刺される。なんとか追いはらいたい。しかたなく蜂に向けて、直接はかからないと思う距離から殺虫スプレーをひと吹きする。一瞬うすい霧につつまれた彼は、たちまち飛ぶことをやめて、物干しの竿受け金具にとまった。よく見ると細い脚をもぞもぞとさせてなんだかおぼつかない。なんとか必死で金具にとりすがろうとしている。スプレーのひと吹きでそんなに弱ってしまったのか。そして間もなく地面にはらりと落ちた。その場でほんのしばらく羽をふるわせたり脚を動かしてもがいていたが、すぐに全く動かなくなってしまった。ただその場からどこかへ飛び去ってほしいと願っただけなのに・・

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# by mizzo301 | 2018-07-27 23:03 | エッセイ | Comments(2)

酷暑の日のゆううつ

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 しずけさや家にしみ入る蝉の声で、毎朝いやでも目をさます。ジャミジャミとうるさい。泉南の蝉は芭蕉の風流とは無縁である。6時、すでに日は高い。灼熱の太陽である。気だるい酷暑の一日がまた始まる。ドンと散歩に出る。貴重な日陰の散歩コースは、猫の襲撃以来こわくて通らない。町内の大通りにわずかな日陰をもとめて歩く。船が見える。船腹に太陽を描いた大きなフェリーが、ゆっくりめんどうくさそうに北上していく。頭から汗がしたたる。毛皮をまとい体高の低いドンはOpaより熱いはずである。だらりと舌をだしてヘロヘロと歩いている。連日、危険な猛暑とテレビがいう。何人ものお年寄りや、校外学習の児童が熱中症で亡くなっている。ドンとOpaも老犬とじじいである。人ごとと思ってはいけない。命がけの散歩はほどほどにして、帰って冷房の部屋でドンを休ませ、Opaは水シャワーを浴びるとしよう。

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# by mizzo301 | 2018-07-23 12:55 | エッセイ | Comments(0)

雨のゆううつ

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 軒端をはげしくたたく雨音で目がさめた。ドンの散歩を思って愕然とする。6時半、枕元の血圧計を右手首にまく。朝の習慣である。今朝も高くはない。顔をあらって身支度をする。ドンを起こしてTシャツを着せる。これは合羽の下に入り込む雨水を吸収してくれる。その上からハーネスをつける。首筋にリードを通して雨合羽を着せる。犬の合羽は簡素なつくりである。ひどい降りにはあまり用をなさない。この大雨である。Opaも雨合羽を着る。ゴム長にズボンのすそを入れ、合羽のズボンのすそをゴム長にかぶせる。散歩も雨の日はこれだけの準備がいる。散歩というより雨と対決の覚悟である。家の鍵をかけていざ出陣。こんな日はながく歩きたくはない。ドンが二度ウンチをしたらすぐに帰る。ところが日によっては10分ほどで用をなすこともあれば、30分もかかる朝もある。そんな時はドンとOpaともにぬれねずみである。犬も人もねずみになって巣に帰る。まずドンの合羽をぬがせてハーネスをはずす。合羽の下でびしょぬれのTシャツをぬがせる。ぬれタオルで顔と両手足をふいてやる。ドン専用バスタオルで全身を拭く。それでもぬれた毛を完全に拭くことはできない。先にドンを家に入れ、Opaも自分の合羽をぬいで家に入る。ドンがベッドの上で、ぬれた身体で肌布団の上を転げ回っている。Opaの手では拭ききれない分を、自分で拭いているのである。毎度のことである。水陸両用犬?だと思ってOpaはあきらめている。今宵もそのふとんで寝ることに別に抵抗はない。こんな犬をあなたは飼えますか。

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# by mizzo301 | 2018-07-05 16:29 | エッセイ | Comments(0)
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 ご近所のKさんにまたメダカをもらった。奥さんが鉢をかかえてきて庭のテーブルに置き、Opaさんこれをしっかり育ててくださいね、というて立ち去った。いや、あのその、とOpaが断りをいう間もない。もらうというよりメダカの押し売りである。Opaは二年前に大きく育て上げた金魚を亡くした悲劇がまだ忘れられない。もう魚は飼うまいときめて、ポンプは止めずに水音だけを楽しむことにしたのだ。それではさびしいからというて、昨秋その水槽に赤や黒のメダカ数尾を入れてくださったのもKさんだった。水槽に魚がいるのはやはりいい。それに、ひとり暮らしの老人をなにかとなぐさめてくださるお心遣いがうれしい。その時はありがたくいただいた。ところが今回は事情がちがう。メダカといっても、よほど目をこらさないと見えないような、孵化したばかりの稚魚である。目が痛くなるほどのぞくと、体長一ミリ半ほどのなにかがいくつもうごめいている。目玉に尾がついたようなのが、その尾を必死にふるわせるように泳いでいる。いまだ稚魚ともいえないようないたいけな命である。はたしてOpaにこんなおさなごたちの養育義務が果たせるかしらんと今から心配である。こんなのをOpaに押しつけるなんて、Kさんの老人いじめではないのか。

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# by mizzo301 | 2018-07-04 17:51 | Comments(0)

猫の恐怖

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 昨日の朝も、いつものようにドンと散歩に出た。夏にむけてできるだけ日陰のコースを歩く。あるお宅の前に毎朝寝そべる猫がいる。ドンを見ると背をまるめて威嚇をしてくるが、いつも難なくその前を過ぎる。ところが昨日はちがった。通り過ぎようとしたドンをめがけて、大きくジャンプをして攻撃してきたのである。あわてたOpaはそれを足で払いのけようとしたが、うまくいかない。ドンの悲痛な声があたりに響きわたり、その場にうずくまる。猫はいくら払いのけても攻撃をやめない。そこへあろうことか、どこからともなくさらに2匹の猫があらわれて、3匹の猫が無抵抗のドンに波状攻撃をしかけ出す。Opaも必死で猫を足蹴にするが、無抵抗のドンをとても守りきれない。そんな猫どもとOpaは夢中で何分戦っただろうか。突然のただならぬ出来事、どうしてその場から離れられたのか今もって思い出せない。恐怖心で尾を下げて、Opaのズボンに身を寄せて地面にはいつくばるようにしか歩けないドンをはげまし、ほうほうの体で帰宅する。はたしてドンの身体には、猫の犬歯のかみ傷が二つずつ何カ所にもあって血をにじませている。すぐに獣医科で消毒をたのみ、化膿止めの抗生物質をもらう。傷の手当てはできても、思いも寄らぬ突然の恐怖心を、ドンは生涯忘れられないかもしれない。Opaとて猫のこんなに凶暴な一面は初めてで、大きなショックをうけた。炬燵にもぐり本棚の上であくびをする、子どもの頃から抱いていた猫の気楽なイメージは、一朝にしてけしとんだ。猫をかぶるという言葉のうらに、こんなにも凶暴で危険な現実が秘められていることを知った朝であった。

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# by mizzo301 | 2018-06-26 15:32 | エッセイ | Comments(0)

緊急地震速報の朝

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 その朝、Opaはキチンにいた。とつぜん胸ポケットのスマホが、ジシンデスジシンデスと騒ぎ立てる。えっ、地震!? 右手に包丁、左手にトマトを持ったままはその場に立ちすくむ。どうしようと思う間もなく、ぐゎしぐゎしとキチンがはげしくゆれる。足下にうずくまっていたドンが驚いて跳びはねた。なにせ築48年の陋屋である。Opaはといえば、恐怖心で腰をぬかして身じろぎもできない。揺れがおさまっても、心臓がいつまでもぱくぱくする。緊急地震速報でなんらかの行動をおこすどころか、それはただOpaの臆病風をあおるだけであった。さいわい棚のものが落ちるなどの被害はない。阪神大震災はひどかった。2階の本棚がくずれ、階下への通路がふさがる。テレビはころがる。きちんでは観音開きの食器棚が、大量の食器をはきだして割れる。風呂の壁のタイルがすべてはがれ落ちて、岩風呂になるなどすさまじかった。震源地の北部の友人知人たちは、どうやら今回そのような被害にあったらしい。でもみんな無事で元気な声をきかせてくれて安堵した。一方、地震という不意打ちで尊い命を落とされた方々もおられる。なかでも指定の通学路を守って登校途上だった少女の死はあまりにもいたましい。

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# by mizzo301 | 2018-06-20 16:53 | エッセイ | Comments(0)

河童の湯

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 およそ一日の家事のなかで、Opaは風呂洗いがつらい。柄付きのスポンジをかまえて、浴槽に向かう身体の微妙な角度が足腰にこたえる。電動の用具も考えたが、適当な置き場がない。やはり手動しかないかとあきらめて、せめてもと柄の長いスポンジを買ったがこれがまたよくない。片手では先端のスポンジに力が入らず、浴槽を十分こすり洗いができない。ならばと両手で柄を持って作業をすると、上体が不安定の上に足腰にはよりいっそうこたえる。ならば浴槽を洗わずに、湯を替えるだけで毎晩入浴するのはどうか。試したがこれは二晩が限度である。三晩目、浴槽の底で足をすべらせ、あやうく仰向けに倒れそうになった。それでも肩まで湯につかり手で浴槽をなでると、ひどいぬめりようである。二晩目とは比べようもない。一晩でここまでちがうかと驚いた。雑菌どもが大繁殖しているのだろうか。今さら湯を替えるのはめんどうくさい。気にせずに首までつかってふーっとため息をひとつ、やがて極楽タイムがきて、ひどいぬめりも気にならない。慣れとはこわいものである。やっぱりお風呂っていいな。こうなりゃ三日といわず、一週間でも十日でも同じぬめる湯が緑色になるまでつかって、古沼の老河童になってやろうか。キュウリあったかな。

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# by mizzo301 | 2018-06-04 17:54 | エッセイ | Comments(0)

ドロ袋がない・・

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 日曜日は全市一斉清掃の日であった。昨年のこの日はOpaの働きがわるく、ご近所に迷惑をかけてしまった。その反省から、今年は前日に自宅前のみぞ掃除をしておこうと考えた。人通りの絶えた土曜の午後である。ゴム長にビニ手袋、スコップを杖にしておもてへ出たはよいが、側溝のふたがおもくて持ち上がらない。前屈みで両手に力をこめる。早くも腰痛のきざし。それでもなんとか鉄板をずらせて開くことができた。側溝にたまった砂泥を十能ですくい上げ、予め配布された袋に入れる。一度すくうたびに腰を伸ばす、およそ数メートルそのくり返しである。袋をドロでいっぱいにして、なんとか苦行をおえて、袋の口を固くしばる。後期高齢者決死の努力でドロ袋ひとつ完成。あとは明朝、それをカートに乗せて、所定の場所へ運べばよい。Opa、ささやかな達成感を得て、よたよたと引き上げる。さて翌朝、あのドロ袋を運ぼうとカートを提げておもてへ出た。えっ、袋がない、Opaの大事なドロ袋がない。そこへ燐家のご主人がにこやかにあらわれて、ドロの袋はわたしが運んでおきましたよ、とおっしゃる。Opaさん、近所に気をつかいましたね。今朝はわたしがお手伝いのつもりでいたのに、とも・・。

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# by mizzo301 | 2018-05-23 17:52 | エッセイ | Comments(0)

雨だれの音かなし

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 早朝ふと目ざめて聞く、軒端をうつ雨だれの音ほどかなしいものはない。それはドンとの雨中散歩をしきりにうながす合図なのである。雨が降ろうと槍が降ろうと、歩かないとドンは排泄をしない。眠い目をこすりながら彼に雨合羽を着せ、時にはOpaも合羽あるいは雨傘にゴム長を着用、降りしきる雨のなかを行く。朝夕二度の散歩は欠かせない。晴天ならまだしも、悪天候だと腰痛老人にはつらい所行となる。おまけに雨の日のうんちはすばやく拾わないと溶解する。左手に傘とリードを持ち、しゃがみ込んで右手でその作業を行い、ポリ袋の口を固くゆわえる。それでも無事に排泄を見届けるとホッとする。雨合羽といっても不完全なものだから、ドンはほとんどびしょ濡れになる。それを帰ってバスタオルでねんごろに拭くのがまた大変である。Opaにはひたすら忍の一字の雨中散歩だが、ドンは一言の不平もいわずに歩き続ける。我が仔ながら見上げた犬である。梅雨入りもそう遠くはない。Opaにとっては悪夢のような季節であるが、雨にも負けず風にも負けずのドンには、宮沢賢治賞として、フィッシュソーセージ10本を贈呈してやりたい。

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# by mizzo301 | 2018-05-12 19:09 | エッセイ | Comments(0)

哀惜から七年

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 連れあいに先立たれて丸七年が過ぎた。命日の法要にそなえて仏壇を清め、ささやかな花と供物もととのえた。僧の読経に唱和するため、勤行聖典も三冊そろえる。娘夫婦は前日から泊まりこんでこの日を待った。用意周到である。ところがその日の午後おそくになって、頼んでいた僧侶から電話があった。先代のご住職が急逝されたので、明日のお参りを延期させてほしいとおっしゃる。正直ありゃりゃと思ったが、突然訪れる人の最期ばかりはどうしようもない。承知いたしましたと返事をかえす。だが肩すかしをくったような気持ちが残る。夜は娘夫婦と三人で酒をあおって気を紛らわす。というわけで当日は僧の読経もなく、娘たちも勝手に線香をたき仏前に手をあわせて、午後には帰ってしまった。窓の向こうには連れあいの好きだったモッコウバラが、雨にうたれている。なにやらむなしい春のゆうまぐれ。

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# by mizzo301 | 2018-04-24 18:48 | エッセイ | Comments(0)

ドンの復活

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 ドンの体調は4、5日でうそのように恢復した。ずっと尾を垂れたまま、椅子にも上がれない、Opaの低いベッドにも跳びあがれない元気のなさには心配した。ただその間も食欲は衰えなかった。そしてある朝、散歩から帰ったドンは、手足顔をふきブラッシングをするための庭のテーブルに、いきなりほいっと跳び乗ったのである。もとはそれが毎朝の習慣であったのに、このところ自分から上がろうとしないので、仕方なくOpaが抱き上げていたのである。突然のテーブル跳び乗り復活、いつの間にか尾も上がったままでいる。尻の穴を見てOpaは安心した。しばらくそのままで様子を見ましょうという、獣医先生の見立ては正しかった。月初めに狂犬病の予防注射はすませた。これからは蚊の季節である。すでにフィラリア検査のお知らせが動物病院から届いている。蚤、ダニ、腹の寄生虫にも効くという、おいしいお薬が処方されるらしい。動物にも手厚い医療がほどこされるのはさすが日本。ドンもすでに十歳の高齢犬である。Opaの高齢者医療費負担一割というのを、ドンにも適用されないものか、家族なんだけど・・。

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# by mizzo301 | 2018-04-20 18:11 | エッセイ | Comments(2)

どうしたのドン・・

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 きのうからドンの様子がおかしい。しっぽを下げたままで、いつもの元気がない。Opaがソファに座ると、いつもは跳んできてじゃれつくのにそれがない。そばへ来てただだまってすわっている。夜もしとねが決まらず落ちつかない。目を見てどうしたときいてやると、いつまでもOpaを見つめかえす。心なしか悲しげなまなざしで何かをうったえるがそれがわからない。目は口ほどにものをいわない。食欲はあるので、危機的な状況ではなさそうだが、それでも心配である。念のために獣医師をたずねた。診察ではとくに異常がなさそうなので、しばらく様子を見てということであった。幼い娘たちがまだ言葉を話せなかったころ、やれ発熱だの発疹だのとその度に心配で夫婦でよく医院へかけつけた。そんな50年むかしの子育ての日々をなつかしく思い出す一日であった。

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# by mizzo301 | 2018-04-11 17:50 | エッセイ | Comments(1)
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 寝床のクッションにいるはずのドンがいやに静かで気になる。覗いてみると、昨春Opaが苦心して補修したタコのぬいぐるみから、また中綿をくわえてひきずりだしている。こらっと一喝してとりあげる。針箱をとりだし、再度の縫合手術にかかる。ドンとともに来たタコである。鋭い歯と唾液にまみれて十年、生地がそうとう弱っている。たまたま箱にあった赤い布きれを当て布にして縫う。今回は前には省略した左眼の再生手術も試みた。ドンの一番のお気に入りといいながら、ほんとはOpaが一番このタコに執着しているのだ。過日、ソニーのサポートが切れた古いアイボの修理をテレビで見た。生きたペットのように可愛がられたアイボが故障して、全国から修理の依頼があるという。ひとりの技術者が、すでに生産を終了して部品のストックのない中で、苦労して要望にこたえている。修理後に届く感謝の手紙は、どれもアイボに寄せる愛にあふれているという。また部品不足に応えて、高齢者が亡くなって不要になったアイボの献体も少なくないらしい。それらはいったんお葬式をしてから分解、部品を回収するという。人形供養はもちろん、針供養、筆供養などと、すべての無機物にまで霊性をみるというアニミズムが、ごく当たり前のように日本にはある。尊いことではないだろうか。

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# by mizzo301 | 2018-03-31 18:09 | エッセイ | Comments(0)

春がきた

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 朝、寝床でのうつらうつらが心地よくて起きるのがつらい。思い切ってカーテンを開ける。朝の光で無理やりに目をさます。ほんとはもっと寝ていたいが、春眠暁をおぼえずなどというておれない。寝ぼけ眼でドンと散歩に出かける。庭にはスズランが芽吹き、ほとんど野生化したフリージャが咲いている。晩秋に植えたデイジーやビオラ、パンジーが咲きこぼれ、まさに花を終えんとしているボケやユキヤナギのそばで小手毬が順番待ちをしている。今年は花の多かったユスラウメも、赤い小さな実をいっっぱいつけそうな予感がする。Opaの庭の春である。静かな海にかすみがたなびき、淡路島や近くの関空までもがかすんで見える。町内の桜並木ははや五分咲きといったところかな。この地に暮らして何十年、ことしものどかな泉南の春である。

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# by mizzo301 | 2018-03-29 21:51 | エッセイ | Comments(0)

梅干し&メタンガス

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 梅干しは紀州の特産品である。最近テレビで知ったのだが、その味付け液が大量の産業廃棄物として捨てられる。味付け液といえば素人には美味しそう思えるがそうではなく、そのままでは廃棄できない公害物質であるらしい。ところが最近、その廃液からメタンガスを作る技術が開発され、再生エネルギーとして活用されているという。今後は同じく漬け物の味付け液からも、メタンガスを発生させるという。廃棄にコストがかからない上に、エネルギー源になるという、いいことずくめではないか。ガスといえばOpaは常々おもうのだが、人が無駄に発生させるそれである。まず自治体が市民にいも類や豆類の摂取を奨励する。さらに各家庭から自噴するガスを回収する技術を確率すれば、膨大な再生エネルギーとして人造ガスを活用でき、地方再生の一助にもなろうかと思うのだがどうだろう。へえーっ?

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# by mizzo301 | 2018-03-16 18:07 | エッセイ | Comments(2)