めだかの学校ふたたび
2017年 07月 02日
昨春、手塩にかけた金魚をなくした痛手は大きかった。でも魚のいない水槽の濾過ポンプは止めなかった。せめて水音だけでも聴いていたかった。もう魚は飼わぬと決めていた。だがOpaここにきてあっさりと心変わり、ふたたびめだかを飼い始めた。ひとつは蚊の対策、それよりやはり水槽に魚がいないのはさびしい。めだかなら金魚ほどに目立たない。アライグマか野良猫か、思わぬ狼藉者の目にとまらりにくかろうと考えた。前は孵化から育てたが、今度はホームセンターで成魚を買って入れた。およそひと月が過ぎた。今朝、いつものように水槽をのぞくと、小さなチリのようなものが動きまわっている。よくよく見ると、なんとめだかの稚魚が動きまわっている。入れたのはわずかに十尾の成魚である。それが飼い主の知らぬ間に、水草のかげで合コンなどをしたのであろう。はやくも出産とは、隅に置けない連中である。稚魚を別の容器に隔離する。急がないと親たちに食われてしまう。人の社会は少子化で、廃校になる小学校もあると聞く。だが当めだかの学校はこれで安泰である。教育方針はとくにない。みんな健やかに育ってくれればそれでよい。
by mizzo301
| 2017-07-02 12:34
| エッセイ
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