Opaの日々雑感


by mizzo301
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鈴懸の径

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 コデマリの花影で犬待ち顔のドンである。近所に住むガールフレンド、同じプードルのチョコちゃんが夕方の散歩で通るのを待ちわびている。やがて彼女がくると、お互いに顔を寄せあって何事かを語り合う。そのうちになぜかチョコちゃんが歯をむきだしてドンを威嚇、飼い主さんにひかれてすたすたと去っていく。春の夕まぐれに毎日くりかえされる風景である。コデマリの花影に取りのこされたドンのつぶやきが聞こえる。女心はわからん。それはOpaにもわからん。さてコデマリ、その別名がスズカケであると、ウィキペディアで初めて知った。鈴木章治のジャズクラリネットで聴く、あの鈴懸の径のスズカケである。まさか我が家に古くからある花だとは知らなかった。もとの曲は3拍子のワルツ、戦中の昭和17年に生まれた歌謡曲であるが、歌に戦時色はない。作曲者の母校、立教大学のキャンパスに、楽想を得たという鈴懸の径が現存、歌碑もあるそうだ。友と語らん鈴懸の径、通い慣れたる学舎の街、やさしの小鈴、葉影に鳴れば、夢は帰るよ鈴懸の径。学業、志なかばで戦場に送られた学徒動員の若者が熱唱したという。
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# by mizzo301 | 2017-04-27 22:58 | Comments(0)

モッコウバラの咲く季節

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 ガレージの屋根にモッコウバラが咲き始めた。この花を見ると連れあいが逝き、ドンの首っ玉を抱いてうずくまっていたいく日かがよみがえる。これではいけないという自覚がありながら、身も心も重く沈んでうごけない日々であった。さすがにいつまでもそうはしておれない。ようやく空元気を得て立ち上がり、気分転換のためにと、2階の寝室を階下に移し、キチンのガスコンロを買い換え、ドンと車で近郊をめぐり、新しいフライパンを買い、カラオケの装置を手に入れ、秋には船旅にも出た。こっけいなほどにじたばたした。だがそんなことで心底いやされることはないのだとわかった時、不思議と気持ちが落ち着いた。待つほかないというさとりを得た気がした。あれから六年、過ぎゆく光陰にいやされてなお、毎年おとずれる感傷の季節である。
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# by mizzo301 | 2017-04-20 17:38 | エッセイ | Comments(0)

非情城市いずこ

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 九份の街は、戦後の台湾をおそった苦難を淡々と描いた映画、非情城市の舞台である。作中、料理店を営む一族が、店の前で記念写真をとる場面があった。Opaの脳裏に染みついたその場所が、今はどんなたたずまいなのかを見たかった。着いたのは夕暮れ時、狭い坂道と階段の街を無数の紅灯がいろどるころ合いである。ところが予想以上の人の波に押し流されるばかり、ついにはある階段の通りでその流れもぴたりと止まり、さらにうしろから人が押し寄せる。前方の様子がかいもくわからない不安、一抹の恐怖すらおぼえる。立錐の余地もない人いきれの中で、杖にすがるOpaの足腰に限界が近づく。もうロケ地見学どころではない。這々の体で人をかきわけ、引き返す。いさぎよくOpa一族退却である。ようやくひどい人混みをぬけ出して、ちょうど目の前にあった古めかしい茶館に入る。外の喧噪をよそに、落ち着いたその店内の雰囲気には心底ほっとした。眼下に港の夜景を見はるかすテラスに腰をおろし、店の人にすすめられた烏龍茶はうまかった。おかげで目的半ばとはいえ、心おだやかに車上の人となり、この後の晩餐のメニューや酒をあれこれ思いながら台北へと向かうのだった。
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# by mizzo301 | 2017-04-14 18:06 | エッセイ | Comments(0)

十份で天灯をあげる

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 台北から車で一時間あまり、願いごとを書いたランタンをとばす天灯上げで知られる町、十份をたずねた。夜空に色とりどりの無数のランタンが浮かぶ幻想的な光景をテレビで見たことがある。来てみれば線路にそってのびる老街に、人があふれている。天灯上げにやって来た観光客である。まだ明るくてテレビの幻想はないが、それでも大賑わい。紙製の熱気球に思い思いの願いを書き、灯をいれて空に放つ。それを鉄道線路の上でやるのだ。時々列車が徐行しながら通る。そのときだけ線路脇にしりぞき、すぐまた線路は人であふれる。町と鉄道で何らかの了解があるのであろう。かたぶつ国、日本ではありえない光景である。Opaも、娘や孫たちがランタンに墨でなにやら書き込んでいる、それを杖にすがって眺めていると、店の人が流ちょうな日本語で、オジイチャン、ドウゾと椅子をすすめてくれた。Opaも流ちょうな台湾語でシェーシェーとこたえて、自分の健康と長寿が、異国の山並みにふわふわと飛び去るのを見送ったのだった。
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# by mizzo301 | 2017-04-10 22:51 | エッセイ | Comments(1)

台北は美味しい

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 この台北行でOpaの注文はみっつ。ひとつ、歩くのは絶対にいやだ、ふたつ、必ずうまい酒とうまいものを食わせろ、みっつ、但し小籠包の有名店、鼎泰豊は落ち着かないからいやだ、である。連れて行ってやろうというのに、わがままなじじいである。娘夫妻はかげでは罵りながらも、早くからガイドブックおよびインターネットで旅情報を検討、どの店がうまいか精査してくれたらしい。熟読でぐしゃぐしゃのガイドブックを片手に、Opaをタクシーに押しこんで案内されたどの店もうまかった。小籠包ばかりでなく、肉料理や野菜の点心がみんなうまい。なかでも最初の店で食った、茶の入った小籠包はめずらしいと思った。箸でレンゲにとってつぶすと、グリーンのスープからかすかにお茶がにおって、食べるとお茶の味がする、うまし。てなことで、三泊の滞在中は飲茶の店三軒をめぐり、有名店のひしめく台北駅のフードコートを何度もおとずれ、夜市では牡蠣の鉄板焼きでビールをあおり、ホテルの豪華なバイキングを毎朝たいらげ、食は台北にありを実感して、7人のぶたは帰国したのだった。
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# by mizzo301 | 2017-04-05 17:45 | エッセイ | Comments(4)

ニーハオ台北

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 携帯用の椅子と杖をたよりに、台北をおとずれた。三月の末のことである。老Opaをよろこばせてやろうという娘たちの誘いである。うれしいではないか。姉むすめ夫婦と大きな孫ふたり、Opaの五人がやがやと飛行機に乗り込む。妹むすめ夫婦も別便でおくれてくることになっている。総勢7人現地集合である。台北は近い。機内食のお昼ご飯にワインを一杯、オシッコ一回の距離である。うつらうつらしていると、今さら眠るなとばかりにどっすんと着陸した。もはや小籠包は近い。
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# by mizzo301 | 2017-04-04 23:49 | Comments(0)

通い猫

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 お天気がよいと必ず訪ねてくる猫がいる。静かにやって来て、ガラス戸の外からOpaに一瞥をくれると、そのままガレージの屋根をおおう冬枯れのモッコウバラのしげみにしゃがみ込む。いつも同じ場所に何時間もいる。よく見てやろうとガラス戸に近づくと、しっかりと目があう。文句でもあるのかといわんばかりに、決して目をそらそうとしない。たじたじとOpaが退散すると、またその場にまどろむ。ドンが気づいてほえたてても、動じない。ガラス戸で隔てられている間は大丈夫とわかっているのだ。実は彼女が雌猫であることをOpaは知っている。昨秋のある日、子猫をくわえて裏のブロック塀を移動する姿を目撃したことがある。どう子離れしたのか知らないが、もとよりホームレスのノラ子である。食べ物はどうしているのか、どこで雨露をしのいでいるのか訊いてやりたいが、そうすればさらに情がうつるだろう。モッコウバラのしとねはいつでもどうぞ。でも飼ってはもらえぬ、気の毒な境遇ではある。一方、貴志駅長ニタマ女史の悠然とした日常に思いをはせると、猫たちも激しい格差社会に生きていることがわかる。
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# by mizzo301 | 2017-03-15 22:02 | エッセイ | Comments(2)

晩秋のひと仕事

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 春の陽気を思わせる日がつづいたかと思えば、突然冬に逆戻りの朝もある。春は名のみの風の寒さや・・、 このところの天候は、早春賦に歌われるとおりの気まぐれである。そんな中、プランターや鉢植えの花たちは、そんなことにはまるで気づかぬふりで、実にけなげに咲いてくれる。昨年の秋もおそくに、近所のホームセンターで、苗を買って植えた花たちである。痛い足腰をなだめながら、鉢とプランターの古い土を掘り返し、腐葉土とあたらしい赤玉土、ほんのひとつまみの肥料を混ぜ返す。Opa我流の土作りである。買った苗を植えて作業は終わる。毎年恒例のOpa晩秋のひと仕事である。連れあいが健在のころは、十以上もの鉢やプランターに植えたのを、ひとりになって大幅に削減をした。それでも脚腰の痛い今のOpaには、ちょっとした過重労働である。でも、パンジー、ビオラ、デイジー、シクラメンなどが春先に咲きこぼれるさまを思うと、さあ、今年も植えなくちゃとホームセンターで苗をえらんでいる。そして春、ことしもまるで約束を果たすかのように、花たちは咲いてくれている。Opaもいまや晩秋の人生を生きている。、そのひと仕事の定年はいつ来るのだろう。
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# by mizzo301 | 2017-03-09 21:58 | Comments(0)

大根を食う

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 ドンの朝の散歩でいつも通る畑から、Wさんの奥様が声をかけてくださった。大根をお持ちなさいなと、足下から二本をぬいてくださる。それにサラダ菜もひと株いただく。左手にドンのリードとうんち袋、右手に土つき大根二本と菜っ葉、持ちにくいが欲にからめて持ち帰る。Wさんちの精魂を込められた畑は野菜ばかりでなく、枇杷、無花果、キンカン、レモン、柿、柚子などがよく育つ。白梅の根方に蕗のとうが芽吹き、春秋に彼岸花が咲く。住宅地にありながら、まるで鄙びた里の風情を思わせるすてきな一画である。おまけに季節の収穫物を、必ずOpaに届けてくださる。まさに兼好法師のいう、ものくるるよき友である。さて大根、さっそく煮ることにした。近くのローソン+で厚揚げを買う。なにと煮てもうまい大根だが、Opaは揚げと煮るのが好きである。一本をすこすこと輪切りにして隠し包丁をいれる。あとは薄味でことこと煮るだけ。小ぶりとはいえ一本を一晩では食べきれない。三日三晩は大根である。火をいれるほどに味がしみる。消化がよい。どんなに食べてもあたらない。大根役者の所以である。
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# by mizzo301 | 2017-03-06 17:43 | エッセイ | Comments(0)

胃カメラそれから

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 医院の待合室の朝である。胃カメラの結果を待つ間、まるで入試の合否をまつ受験生みたいに、Opaの心臓はどきどきしていた。診察室に入るや、モニターにはすでになまなましい胃の画像が眼に飛び込む。絶体絶命!そのとき、大丈夫でしたよと、気の抜けたような神の声、ああよかったとOpaには気の抜けたような安堵感。お医者が神様になられた瞬間であった。さっそく車で待つドンに報告、それは良かったねと口をぺろりとなめてくれた。三月にはそのドンも9歳、まさに老境に入らんとす。Opaもまた齢ひとつをかさねる。犬と人の老老介護ってどうなるのかなあ。
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# by mizzo301 | 2017-02-23 23:28 | エッセイ | Comments(2)

胃カメラの朝

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 近くのお医者で胃の内視鏡検査をうけた。Opaの苦手な胃カメラである。覚悟を決めてきたはずなのに、のど元がはげしく拒絶する。マウスピースを砕けんばかりにかみしめ、オエーッ、ギョエーッ。よだれ、涙、鼻水の奔流で抵抗する。そこは手練れの先生、ハイハイなんていいながら容赦なくカメラを押し込む。ここからはガイドつき苦し紛れの洞窟探検である。モニターに見る胃の内部は、いつか見た鍾乳洞に似ている。あれた胃であるのは自分にもわかる。間もなく胃の出口から十二指腸に入ります、とガイドの声。胃の下部から上を見上げたり、胃壁をぐるりと見物したりもする。胃壁のひだを広げるためにと、空気が送りこまれる。とにかく苦しい。あろうことか便意まで感じるが、なにも訴えることができない。先に小さな鉗子のついたワイヤーがするすると送りこまれ、所見のあやしい組織を採取する。鉗子がつまんだ部分を引きはがすのが見える。その瞬間、先生の右手がスナップをきかせているのがわかる。癌の検査に四カ所、ピロリ菌除菌後の培養検査とやらに三カ所、計七回もOpaの胃はむしられた。ようやくカメラが抜かれるや、トイレに直行、力なくガス発射。どうやら胃に送りこまれた空気であるらしい。検査結果は23日だという。バレンタインデーの朝に、Opaはとんだ地獄八景を見たのだった。
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# by mizzo301 | 2017-02-16 22:16 | エッセイ | Comments(1)
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 庭のすみにすておいた鉢になにかが芽吹いている。一昨年の秋、郵便局でもらったチューリップの球根三個を、あり合わせの小さく浅すぎる鉢に植えたのだった。それが昨年の春、首が短くてまるで頬杖をついて物思うような赤い花がまずひとつ、あとの二つも小さいながら赤と黄の花を咲かせた。背がなくてもチューリップはかわいい。花の見頃は短い。その間中Opaがそばによると、あたいたちが貧弱なのはあんたのせいよと、三本が一斉に歌う。わかった、来年はなんとかするからと言い聞かせて、そのまますっかり忘れていた。あれからもうすぐ一年、その一本が芽吹いたのである。ドンと朝の散歩に出ようとして気がついた。あんた約束をまもらへんかったねえ、という。ほったらかしの一年だった。すまんわるかった。咲いてくれるだろうかチューリップ。咲いても咲かなくてもいい、花の季節のあと、今年は球根を掘りだし来年に備えよう。早めにホームセンターへ植木鉢を買いにも行こう。いわしを焼きながらOpaは考えた。明日は立春である。
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# by mizzo301 | 2017-02-03 23:02 | エッセイ | Comments(0)
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 しぐれにあったままの傘を干そうと、傘立ての壷からひき抜いた。開く前の傘になにやら黒く小さなものがうごめく。蜘蛛である。ほそい脚、背中にくっきりと赤いマークがある。初対面ですぐにわかった。セアカゴケグモである。ひと頃はさわがれて、新聞やテレビでもその画像を何度も見ていたそのままである。石づきをトンとつくと簡単に地面に落ちた。寒さのせいか動きはにぶい。どっちに逃げたものか思案している。おそるおそるそれを火ばさみにはさんで、どうしたものかとOpaも思案する。その間にはさみ続けられた蜘蛛は落命、地面においても身じろぎもしない。とっさに足下の下水管に通じる排水管のふたを開き、流し込んだ。そこへ通りがかったのが、自治会の役員さんでもあるご近所の奥様。火ばさみをもって突っ立ているOpaに、何をなさってますのとおっしゃる。ただ今セアカゴケグモ一尾、下水管に水葬いたしました。えっ、それは困ります。その蜘蛛については報告しなければいけません。なにっ報告、いったいどこへ?ケイサツ?ゼイ務署?思いがけぬ蜘蛛との出会いにうろたえて、不覚にも写真をとらなかった。これでは証拠がない。もっといるかもしれないと、壷のそこをさぐった。水受け皿に不規則な蜘蛛の巣、白い小さなマーブルがひとつ、これはネットで見た蜘蛛の卵嚢である。それに胴体はなく脚だけをからめたような蜘蛛の死骸がひとつある。蜘蛛は雌が雄を食うという。さてはOpaが水葬にした蜘蛛は、夫殺しの妖婦であったかもしれない。はたしてケイサツに届けるべきだったのか。
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# by mizzo301 | 2017-01-31 22:58 | エッセイ | Comments(0)

早春のたより

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 ドンと散歩に出る。大寒の朝である。空は晴れて風もない、おだやかな日よりである。午後から大荒れと天気予報はいうがほんとかな。およそ30分で犬と散歩する数人のご近所さんに出会う。みなさんが、寒いですねえとおっしゃる。ほんとに寒いですねとOpaも応じる。実はOpaちっとも寒くない。でも寒くないなどと応えると、へんくつなじじいと思われそうなので、通常は相手にあわせることにしている。子どものころ、冬はもっと寒かった。通学路には霜柱が立ち、手の指や甲はしもやけで赤くはれ、冷気で耳がちぎれそうであった。なのに今ではちっとも寒くない。気候温暖化のせいでOpaだけがあたたかいはずはない。きっとあまりに歳をとりすぎて寒さを感じなくなったのだ。もちろん人並みの防寒着は着ている。裸でも寒くないというわけではない。もっと歳をとるといよいよ感覚がにぶり、真冬に裸もオッケーてことになるのかな。あほうな想念を巡らしながら、ドンとの散歩を終える。椿の花の蜜をもとめて、若いメジロが数羽きている。ふくらみ始めたボケのつぼみは、大寒の朝に届けられた春からの便りかな。
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# by mizzo301 | 2017-01-20 22:51 | エッセイ | Comments(2)

雪の音

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 夕刻、パラパラとベランダの屋根をたたく軽い音がする。さては雨かと思って外を見ると、小粒の真っ白いものが裏庭に舞っている。音もなく降るはずの小雪が棕櫚竹の葉をたたいている。あられ? だが庭に降りしきるその白さはまさしく雪である。美しい。まれに見る光景にOpaは見とれてしまった。明けて日曜の朝、テレビがしきりに雪情報を伝えている。大阪でも北の方はかなりの積雪だという。ところがここ泉州では、昨夜の小雪ちゃんが申しわけ程度にあたりをうっすら白くそめているだけ。それも薄日のさす昼前にはすっかり乾いてしまった。何年か前の雪の日、子どもたちばかりかそのパパたちまでもが、雪だるまにはしゃいでいたのを思い出す。期待はずれのちょっと残念な雪の朝ではあった。
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# by mizzo301 | 2017-01-19 17:34 | エッセイ | Comments(0)

前へならえ

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 ふと外を見ると、洗濯物が前へならえをしている。この冬一番の冷たい風が号令をかけたらしい。寝汗をよくかくものだから、Opaはパジャマを毎朝洗濯する。というても、洗濯機に洗剤をいれてスイッチを押すだけ。ドンの散歩を終える頃には仕上がっている。洗濯で人の仕事は干すことだけである。むかしは今朝のような寒い朝も、母が屋外にしゃがみこんで、たらいと洗濯板で洗っていた。戦後何年かがすぎたある日、父が当時は珍しかった洗濯機なるものを持ち帰ってきた。円筒形の本体の上に絞り器のローラーがあった。いかにも古ぼけた米軍放出の中古品とかである。それでも重労働から解放されるかもしれない母はよろこんだ。Opaら子どもも興味津々、さっそく洗濯物をいれて試運転を始めた。ガックンガックンと機械が衣類をこねまわすのを眺めて、アメリカはすごいと思った。ところが稼働中の本体に手をふれると、ビリビリと電気が走った。これでは感電覚悟の洗濯である。電気がこわい母は、洗濯開始と終了時にコンセントを抜き差しして慎重に洗濯をしていた。それでも何度か感電の憂き目にあったらしく、母は怖い怖いと父にいえぬ不平を子どもにこぼしていた。それからの顛末は記憶にないが、いつのまにか母はふたたびたらいにしゃがみ込んで、ニッポンの洗濯女にもどったのでありました。
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# by mizzo301 | 2017-01-13 15:11 | エッセイ | Comments(3)

駅長さんは猫

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 小春日和のいちにち紀ノ川をわたり、和歌山電鉄貴志駅のニタマ駅長に面会してきた。二代目猫の駅長さんである。先代タマ駅長を記念して新築された、猫耳のある駅舎にガラス張りのゆったりした駅長室、そこにニタマ駅長は制服制帽をぬぎすて、毛皮の私服姿でヒーターに寝そべってくつろいでおられた。中国語の観光客が数人、しきりに写真を撮っている。被写体になるのも大事な仕事である。ご機嫌をうかがうと、すべて先代タマ駅長のおかげですニャンとお答えになった。なにせ先代タマ駅長は社長代理、執行役員にまで栄達をきわめた実業家である。猫の駅長就任は人気をよび、日本はおろか多くの海外メディアの取材までうけている。人気に乗じて、会社はイチゴ電車、タマ電車、おもちゃ電車、ウメボシ電車などアイデア車両を投入して集客につとめる。その結果は、和歌山県に年間で11億円の経済効果をもたらしたという。昨年のタマ駅長の告別式は神道でおこなわれ、電鉄社長と和歌山県知事が弔辞を奏上、3千人が別れを惜しんだそうである。ちなみに先代タマ駅長も現ニタマ駅長も女史、猫界きってのキャリアウーマンなのである。
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# by mizzo301 | 2016-12-23 17:48 | エッセイ | Comments(1)

ありふれたプードル

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 海からの風が冷たい朝であった。ドンの散歩で、登校する小学2,3年とおもわれる二人の女児に行き会った。ドンを見てひとりが、ウァー、かわいいっていってくれる。もうひとりは、なんや、みんなプードルばっかりやんと口元をゆがめていう。猫も杓子もプードルを飼っていると、人を小馬鹿にしたような口ぶりは、まるでくちさがない大人の女である。プードル三代4匹、何十年も飼っているOpaの自尊心は大いに傷つけられた。たしかにこの頃、町内でプードルを飼う人は多い。だがそのことで小馬鹿にされるいわれはない。小にくたらしい小娘である。プードルばっかりで悪うございましたねえ、といい返しそうになってやめた。幼い女児にむかってなんと大人げない。末期高齢者の干からびた理性が、あやういところでふと眼をさました。あぶないところであった。犬の散歩も油断はできない。
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# by mizzo301 | 2016-12-09 23:10 | エッセイ | Comments(1)
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 NHKの「旅するドイツ語」で、もとウイーンフィルのコンサートマスター、キュッフルさんが、何人かの指揮者について自身の体験を語っていた。なかでも晩年のカラヤンとのエピソードは感動的であった。ある練習の日、キュッフルさんは激しい歯痛に耐えながら弾いていたそうだ。練習が終わった直後に、カラヤンの楽屋に呼ばれ、いったいどうしたのだと眼をのぞき込むようにして訊かれる。実は歯痛でと応えると、彼はよかったといって安堵の笑みをうかべ、大切な人を亡くすなどなにか不幸を背負っているのではないかと心配したよといわれたそうだ。その頃のカラヤンはなにかをつかまえていなければ立っていられないほどよわよわしく、指揮台からは奏者たちとのコンタクトをしきりに求めたという。眼を閉じたまま指揮をするなど壮年期の孤高のイメージではなく、楽員たちとほんとうに心の通い合う音楽を演奏したのは、晩年のカラヤンであったかもしれない。心覚えがOpaにもある。若き日の京響にロシアの大作曲家ハチャトリアンがきた。その頃第2バイオリンの指揮者の真ん前にOpaはいた。ある練習でふと指揮者を見上げると、まともにハチャトリアンと目があった。なんとその一瞬、彼はニッと笑ってくれたのである。そのとき背筋に走った強い電流に、Opaは今だにしびれている。
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# by mizzo301 | 2016-12-06 18:41 | エッセイ | Comments(1)

暗い日曜日

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 ひがな雨の降り止まぬ日曜日であった。その雨をついてドンとOpaは揃いの雨合羽て家を出る。ひたすらドンの排泄のためである。こんな日にはせめて家の敷地内ですませてほしいが、しつけをあやまった。雨にもまけず風にもまけず、とにかく歩かぬことには出てやらん、とウンチがいうらしい。好天ならただのお散歩が、しのつく雨のなか、うんち回収に痛む腰でしゃがまんならん。苦痛である。もくてきを達して帰ってからもたいへん。雨滴したたるふたりの合羽を軒下にぶらさげ、バスタオルでまず丹念にドンをふく、その70パーセントはしめったタオルでOpaの顔をふく。その後合羽の下に着せたドンのTシャツを洗濯する。それを朝夕の二度である。昨日は実にめんどうで憂鬱な暗い日曜日であった。暗い日曜日といえばダミアが歌ったシャンソンを思い出す。もとはハンガリーの流行歌で、恋人を亡くした女が、悲しみのあまりに自分も自殺をしますと歌っているのだそうだ。曲のヒットに触発されて、ハンガリーをはじめヨーロッパで自殺者が続出したという。そのため各国では「暗い日曜日」をラジオ放送禁止にしたといわれている。おそろしや暗い日曜日、雨の日のドンのウンチどころではないらしい。
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# by mizzo301 | 2016-11-28 23:47 | エッセイ | Comments(0)

お魚いかが

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 紀州の漁場が近いこともあって、スーパーの鮮魚売り場は魚種が豊富でたのしい。当地で定番のシタビラメ、アジ、サバなどいっしょに、60センチを超える真鯛や、石鯛、イシガキダイなどもめずらしくない。時には刺身が5百人分はとれそうな巨大なそで烏賊や、体長が1mはありそうなマンボウ、大きな鱶が台に横たわっている朝もある。来訪した友人などを案内すると、都会のスーパーや百貨店の鮮魚部ではお目にかかれない光景に、みんなびっくりしはります。さて、今日の目玉は海ではちょっと危険なうつぼとやがらであった。どちらも1mはありそうだ。とくにウツボは派手好みで毒々しい。むかし高知でウツボのたたきを食ったことがあるが、自分で調理してまで食べたいとは思わない。やがらは刺身で美味とは聞くが、気の毒だがそのルックスが食欲をそそらない。この店は買えば調理できるよう捌いてくれるからその点は安心である。この大きさでどちらもたったの千二百八十円、だがこれら珍種をだれかが買うのを、Opaはまだ見たことがない。おくさん、今夜のおかずにおひとついかがですか。
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# by mizzo301 | 2016-11-15 16:36 | エッセイ | Comments(2)

鬼ゆず

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 ここは大阪でも、海岸と山地がもっとも近い斜面に開かれた住宅地である。温暖な気候に恵まれ、柑橘類がよくなる。朝夕散歩の道すがら、あちらこちらの晩秋の庭に、みかんや橙、レモン、柚子などがたわわに実っている。いつもは少ないOpaのレモンも、今年はどうした気まぐれか、グリーンの実をたくさんつけて、得意げに風にゆられている。せっかくのレモンなのに、当地ではもらい手もなく、毎年Opaは無駄にすててしまう。なにかいい手だてはないものか。そこへご近所のWさんの奥様が、お風呂にどうぞと柚子をひとつ届けてくださった。それがでかい。人の顔ほどもありそうな柚子である。鬼柚子というそうだ。さっそく湯船に浮かべて入浴、かすかな柚子の香り。まぢかに見るとでこぼこのすごい面がまえ、その名のとおり鬼である。湯船の端へ押しやる。鬼と混浴かあ~、うつらうつら。鼻先に柔らかい感触を感じてふっと目が覚める。いつの間にかゆらゆらと近づいた鬼が、湯で寝入りそうなOpaを軽い頭突きでおこしてくれたらしい。鬼柚子は顔に似合わずやさしかった。
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# by mizzo301 | 2016-11-09 18:20 | エッセイ | Comments(0)

九度山へ

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  秋麗の一日、ご近所で紀州の人Nさんに同道を願って、ドンを供に九度山をたずねた。道中、根来寺を過ぎると大きくうねる斜面にみかん畑、柿畑がつらなり、山裾の集落をいくつもみながら紀州の風景を行く。 高野山中を流れくだる清流、丹生川が紀ノ川とまじわる位置に九度山の里はある。川向こうに高野口の町、その向こうは雲ひとつない青空を背景に紀泉の山々がつらなる。訪れたのは慈尊院、空海の母堂が庵を結んだいわれの寺院である。境内に御大師さんと並んで、案内犬ゴンの像がある。はてなと思っていると、ご住職らしき僧侶が近づかれて話しかけてくださった。ゴンは平成の初め頃に寺院をねぐらにした白い野良犬であった。その犬が高野山まで多くの人々を案内しているのを知ったのは、お寺にかかるお礼の電話や礼状が届くのを不思議に思ったからだそうである。そういえば昼間は山内に姿はない。高野山頂までは空海も歩いた20余キロの山道、参詣者を先導して連日往復していたらしい。分岐点ではふり返って人を待ち、大門をくぐるのを見届けるとくるりときびすを返して日暮れのせまる森へ消えていく。帰路は獣道を一目散に駆け下りたのだろうか、早朝には慈尊院の軒端で疲れ汚れた身体を横たえている。身体についたダニを毎朝とってやりました。梵鐘によく耳をかたむけるところから、ゴンと名付けてお寺の犬にいたしました。毎日往復40キロの道のりでさすがにゴンの疲れが目立ち、見かねて4年ほどでガイドを引退させました。それから十年の余生をこの寺で安穏に過ごし往生いたしました。法要にはそれは大勢の方のお参りをいただきましてなあ、と遠い眼をなさるご住職。さてドンちゃんの名の由来はなんですかいな。Opaとっさに応えられず、これは三代目のドンでありまして、代々世襲の名でありましてムニャムニャ・・。そうかそうかよい子じゃ、ドンちゃんは長生きしなされやと、ご住職はおおきな手でドンのあたまを撫でてくださったのだった。
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# by mizzo301 | 2016-11-04 17:21 | エッセイ | Comments(0)

ちいさなミイラに

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 扇風機を納戸にしまう前に分解掃除をした。お役目ごくろうとつぶやきながら、回転軸のキャップをはずす。その瞬間、なにやら小さな異形のものが古新聞の上にぽとりと落ちた。ただのごみかと思ったがそうではない。体調3センチばかりの子どものやもりが、すっかりミイラになっている。虫眼鏡でよく見ると、前肢後肢には4本ずつのゆびが、眼のくぼみには黒い目玉がみえる。今にも歩き出しそうなフォルムで固くなっている。どうして回転軸のキャップの隙間などに入ってしまったのか。せまいところに身を潜めてみたい子どものいたずら心からか、それとも今夏の暑さに耐えかねて、扇風機に涼を求めたのだろうか。今となっては聞き出すすべもない。おそらくそのうちに出るつもりが、Opaがスイッチを入れたものだから、突然世界が急速に回転して、振り落とされまいとしがみつく。眼がまわって失神、気がつくとまた回る。その繰り返しではなかったか。恐怖と精神の苦痛はいかばかりであったろう。夏中回転して彼は餓死した、とOpaは推量する。もしその通りなら、知らぬこととはいえ、子どものやもりの死にOpaはずいぶん残酷な手をかしてしまったことになる。
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# by mizzo301 | 2016-10-27 18:44 | エッセイ | Comments(2)

でんでん虫

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 裏手のブロック塀に、雨が降るとカタツムリがひとつあらわれる。むかしはあたりまえに見られたものだが、いまではなぜかめったにお目にかかれない。終戦に近い幼時の思い出がある。母の実家に大好きな叔父がいた。お泊まりの夜はいつもその人のふとんにもぐり込んでねむった。叔父はふとんで腹ばいになって、必ずたばこを一服すう。阪急百貨店をかたどった灰皿が枕元にあった。吸い終わると、絵柄の布シェードの電気スタンドのひもをパチリとひいて明かりを消し、お休みといってくれた。その叔父の出征の日がきて、梅田まで家族で見送った。阪急電車のターミナルの大屋根にいなずまがとどろく日であった。はげしい雷雨の音にまけじと、バンザイを叫ぶ声がこだましていた。叔父ちゃんに会えなくなるんよと母がささやいた。ところがそれからほどなく叔父は帰還した。いまだ戦時であったが、健康に問題があって入隊免除となったそうである。小さなOpaはまた叔父のふとんにもぐり込んだが、前とちがう人のそばにいるような妙な気分であった。目覚めると雨が降っていた。ぬれ縁でだまってたばこをふかす叔父の横で、納戸の戸袋にカタツムリがいくつもはい上がるのを、ぼんやりとながめた朝を、夢のように思い出す。
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# by mizzo301 | 2016-10-25 23:29 | エッセイ | Comments(0)

旅する蝶

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 秋日和のいちにち、ドンを連れて妹を訪ねた。着くなり、アサギマダラが来ているからはやくはやくと庭で手招きをする。見ると荒れた庭のフジバカマの花に、青い蝶が群れている。アサギマダラは渡りをする蝶で、上空からこの花を見つけて、毎年一度は飛来するという。髙地ではよく見かけるから、あなたも登山できっと見たはずよと妹はいう。そうかもしれないがOpaに確信はない。渡りの習性がひろくしられて、近年急速に人気が高まっているそうだ。ウィキペディアをひらいてみた。なるほどそこには、蝶の意外な旅の記録がある。マーキング調査という方法で、蝶の翔の色のうすい部分に、マジックで捕獲地、日付、捕獲者を記入して放蝶するのだという。渡りの先々の捕獲者がそれを行うことで、その旅の記録がとれるのである。下呂市から宝塚、函館から下関市などどれも長旅のなかに、2011年の10月に和歌山県で放たれて、83日後に香港で捕獲されたという記録がある。いたいけな蝶がひとり、ひらひらと大陸を目指して大海原をこえていく。この可憐な生き物は、どんなロマンをもとめて海をわたるのか。不思議である。
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# by mizzo301 | 2016-10-12 19:42 | エッセイ | Comments(0)

坂道から海がみえる

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 海辺にくだる坂道から、書き割りのような家並みの間に海がみえる。貨物船が一隻浮かんでいる。海岸ちかくまでくだると船は一隻ではなく、何十隻も停泊しているのがわかる。台風で荒れる外海をさけて、大阪湾内に避難しているのである。台風の前に見られるいつもの光景である。この地に越して47年になる。いまはすっかり家が建て込んでいるが、もとは広い造成地に数軒ばかりの新興住宅地であった。当時は家のキッチンから海が見晴らせた。台風の前に大きな船がぞくぞく集まる光景がめずらしくて、おどろいたものだった。日曜日の朝は、食卓においた双眼鏡で行き交う船や淡路島を眺めながらトーストをかじりコーヒーを飲んだ。神戸市街から明石海峡まで居ながらにして見渡せた。まるで大阪湾一望の支配者になった気分であった。好天の朝には、風景から伝わるわくわくをおさえきれず、平日だというのに、釣り竿をかついで海へ出勤したことも実はあったのである。
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# by mizzo301 | 2016-10-05 14:06 | エッセイ | Comments(0)

コスモス

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 今朝、ドンの散歩で通りがかった燐家の畑で、居合わせた奥様がコスモスを切ってくださった。つれあいが好きだった花をおぼえておられて、毎年、秋には必ずくださる。Opaより少し年かさのご夫妻で、いつも仲むつまじく畑を楽しんでおられた。そのご主人を先週末に亡くされたばかりである。在宅療養中ときいてはいたが、そのままご自宅で最期を迎えられたのである。ご葬儀のあとはじめてお目にかかる。お参りのお礼を述べられて、ちょっととまどうOpaの気持ちを察しられてか、普段通り明るく話される。親しい近隣に心配をかけまいというお心遣いであろうか。そんな方にコスモスをいただく。同じ畑に赤い彼岸花のいっぱい咲く朝であった。
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# by mizzo301 | 2016-09-28 18:23 | エッセイ | Comments(0)

歩くのが好きだった

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 毎朝、大阪南端の岬町まで海岸沿いに往復およそ12キロを歩くのが日課であった。3駅はなれた床屋、ひと駅向こうの郵便局などへも徒歩で通った。たまに大阪に出ると、御堂筋を梅田からなんばまで歩くのが楽しみであった。歩くのは苦にならない。いつか東海道を歩いたみたいと夢見たこともあった。そんなOpaが、足腰の疼痛で突然歩けなくなるなんて思ってもみなかった。脊椎管狭窄症の診断、一寸先は闇である。杖にすがり、投薬と点滴などでがまんの一年を過ごしたが、回復のきざしはない。医師のすすめでようやく手術をうける。あれから一年半、ようやくドンと短い散歩が出来るまでに回復した。朝夕それぞれ1キロほど、一日およそ2キロの散歩である。それでも左腰部から大腿部がだるくて、行きずりのお宅の石垣に腰をおろす。これでもずいぶん快復したものだ。ドンの散歩も、ほんの数軒さきへのゴミ出しも出来ず、お隣さんに頼っていたのだから。そんなOpaをさらにはげましてくれたのが、パラリンピックの映像である。まるで車両の床下の板バネのような義足もあらわに、選手たちが走り跳ぶ。すごい。苦労や苦悩をみじんも感じさせない勇姿にOpaは感動した。たかが腰痛でめそめそしている場合じゃないと、つくづく思った。
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# by mizzo301 | 2016-09-25 23:03 | エッセイ | Comments(0)

野菜が高い

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 台風での天候不順や各地の災害のせいで、野菜の高値がつづく。とくに好きではないけれど、食事に野菜は欠かせない。朝食にはボウル一杯の生野菜、夕食には煮物野菜やおひたしなどを出来る限り食べるようにしている。スーパーに行くと何日分かの野菜を買う。それがこのところ、野菜売り場で値を見てとまどってしまうのだ。小松菜やみず菜、青梗菜など98円だったのが150円以上、ほうれん草など地元産を78円で買えたのに今は257円もする。Opaの朝食に欠かせないキュウリやトマト、レタスはもちろん、にんじんなど根菜類までえらく値上がりしている。そんな野菜売り場で、幼い二児をつれた若いお母さんが思案している。さてOpa、夕食の付け合わせにほうれん草がほしい。えーい、257円、年金でお買い上げ、敬老の日である。
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# by mizzo301 | 2016-09-19 16:58 | エッセイ | Comments(0)